18年にもなりますか

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めちゃくちゃ

2006-06-06 22:23:00 | 風景
 ヤフーのトップページに宮崎勤死刑囚が、絞首刑は残酷なので薬による執行を望んでいるということが報道されていた。

 『勝手なことを言うな!』怒りすら出ないくらいに呆れてしまった。

 自らの欲望の赴くままに、まるで愉快犯のごとくに幼い命をもてあそび奪い、しかもその親族に対して神経を逆なでするような言動。さらには罪を逃れたいが為の虚言、狂言。
なにをいまさら言っているのか?と思う。

 当たり前の社会性、普通に普段の生活を、良識をもって営むことが出来ないから仕方がないとも言えるが、被害者の親族にしてみれば、宮崎死刑囚がどんな境遇で育とうが、やったことは絶対に許さないし、怒りも消えはしない。

 ましてや、自らその死刑執行について、”楽な方法で執行”すべきとまで言う。この死刑囚のどこに反省の色が見られるのであろうか。このニュースを耳にした被害者の親族は改めて怒りと悔しさがこみ上げてきたに違いない。

 法律が許すならば、自らの手で犯人の息の根を止めたいとさえ思っているだろう。想像もしたくないが、自分だったら間違いなくそう思う。

 きたないゆがんだ欲望で、純真な心の幼い子供がその命を奪われてしまった。その命は戻らない。絶対に戻ってこないのだ。戻ってこない命を、人がその感情や欲望から、奪って良いはずがない。もしもそういうことがあったなら命を奪った犯人は、自らその命で償わなければならない。

 池田小学校事件の宅間守は自らの人生に未練は無いがごとくに早期の死刑判決を望んだ、また奈良小1女児事件の小林薫も同様に死刑を望んでいるという。

 彼らが何を望もうが、何にも希望を持てなかろうが、そういう事と、幼い命に手をかけるのとを一緒にするというのは断じて許せない。

 幼い命という殆ど無抵抗な存在を狙う卑怯さ、言い訳がましく早期の死刑判決を望むという破廉恥さ、そこまで腐りきれるものかと思う。30代の大人であるはずなのに、心の幼稚さがそのまま見えて来て、さらに憤ってしまう。

 そして、また幼い命が奪われた。しかも普段付合っている隣人の子供が歯牙にかかったのである。

 もう、鬼畜としか言えない行為だ。

 主婦による子供の殺人は虐待を除くと、今年の2月の滋賀県長浜市の園児殺人事件の鄭永善、平成11年の文京区の山田みつ子、などが思い出される。そして今回の事件。

 表向きの動機は違えども、やはり”幼稚な”ものの考え方。狭量な心があるとしか思えない。自分を正当化するためにじゃまになる物を排除する。その時、幼い子供達の命は、彼女たちにとっては命ではなく、物でしかないのだ。

 何度も何度も繰り返される、大人という、子供からすれば圧倒的に力の強い存在による、子供の殺害。顔見知りの大人からの、考えられない行為。その時、幼き命は何を思っただろうか?

 大人はいとも簡単に子供の存在を消しうる事が出来てしまう、だからこそ、心が子供のまま、幼稚なままであっては行けないのだ。耐えられない事だが、こういう事件はまだまだ続いてしまうように思う。

 最大の防御策は、大人達がしっかりとしたオープンなコミュニティを作り、人を排除せずにつながりを持つことぐらいしか無いのではないだろうか?

 命を奪われた幼い子供達がその苦しみから逃れ、安らかに神の元へ行かれますように。