市原市議会議員 小沢美佳です

市政や議会の報告、日々の活動や想いを綴ります。
一番身近な地方政治の面白さが、皆さんに伝わりますように・・・

在宅医療について

2016-02-08 | 健康・医療
先日、在宅医療に携わって25年、これまでに3000人以上の患者さんを在宅で看取ってこられたドクターとお話しする機会がありました。

先生は、「自然な死は神様からの最後のプレゼント」とおっしゃっていました。
このとき、医師会の雑誌に掲載された先生の寄稿文のコピーをいただいたので、少し長くなりますが抜粋して紹介します。


(寄稿文より)
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人が死ぬときは、食欲が低下し、血中ケトン体が増加し、脱水傾向になり、血液が凝縮して、脳の循環が悪くなり、意識がもうろうとしてきて、呼吸が浅くなり、低酸素になり、さらに意識が落ちて、脳内モルヒネ様物質βエンドルフィンが分泌して、幻覚が見えて、安らかに美しく天に召されるということをたくさん確認しました。
これは神様が動物すべてにくださる、この世で最後のプレゼントです。

ただし自然に任せ、抗わず見守っていた場合に限ります。

高齢になり嚥下機能が悪化し、食べられないからといって、胃瘻や経鼻チューブから人工的に栄養剤を流し込んだり、脱水だからと言ってすぐに点滴をしてしまえば、プレゼントは消えてしまいます。
いつもと違う、うっとり夢心地の老人を見て、家族が「意識がありません」と救急車を呼べば、病院に搬送されて、当たり前ですが点滴が始まり、天国から引きずり戻されるのです。

この医療行為は医学的には正しいもので、寿命は確実に伸びます。
でもその先の不自然な時間は苦しみを伴います。

胃腸の動きが悪くなり食べたくなくても、チューブから定期的に栄養が押し込まれます。
止めてとの意思表示もできないまま、チューブを抜かないように手を縛られ、長くなると褥瘡が多発し、痛みが増します。
それでも生きていなければならないのです。
終末期の人工栄養は非論理的であるという認識が、欧米に比べ20年近く遅れているのです。

唐突ですが、原子力発電の場合も医療の場合も、持てる技術をフルに使いたくなるのが人情ですが、便利に暮らしたいから、少しでも長く生かしたいからといって使うと、どんどん苦しくなります。
今の終末医療に求められているのは進歩ではなく、荘子の説いた「退歩」です。毅然とした退歩だと思います。
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先生とは3時間くらいじっくりとお話しさせていただいたのですが、その間先生の携帯電話は幾度となく鳴り響いていました。
昼間は通常の外来診療。夜に往診しいったん帰宅して寝るのですが、不思議と夜中の2時や3時に亡くなる患者さんが多く、毎晩1回は必ず呼ばれるので、寝るときはパジャマを着ないそうです。

そんな先生が貴重なお時間を割いてでも私に伝えたかったことは、終末医療の現状と在宅医療の希望だと思います。
勇気を出して人工栄養を拒否して自宅に帰ってきたご家族が、のちに自責の念に苦しむことがないように。
患者さんが在宅で穏やかに天寿を全うできるように。
一人でも多くの人にぜひこのことを知らせてほしいとおっしゃっていました。

それにしても、在宅医のハードさは想像を絶するものでした。これでは若い医師も躊躇してしまいます。
これからは数人の医師がチームを組んで輪番当直体制を作るチーム在宅医療が主流にならなければ、在宅医療の推進は見込めないでしょう。

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