昭和25年に矢板高校から大宮分校として開校したのがスタート。
塩谷町に唯一あった高校だった。その塩谷町も大宮、玉生、船生と3つの地区が
合併して出来た町となっています。
分校として開校時は塩谷村でしたが昭和47年に分離独立し塩谷高校となった頃は
塩谷町となっていました。
過疎化の波には抗えず、再度矢板高校に吸収される形で平成27年に閉校となっています。
そんな塩谷高校の歴史を振り返ります。
平成成績 1勝24敗 .040
通算成績 6勝38敗 .136
平成最高成績 初戦突破(H3)
ライバル校! 那須拓陽
過去最高は、昭和55年に2勝したのが最高。
平成に入ってからは部員不足が慢性化。チームを組むのがやっとで、
最終的には新1年生が加わる夏のみの参戦という年もあった。
最後に勝ったのは平成3年の那須拓陽戦。打撃戦を制し次の足利南戦も惜しいところまでいったが惜敗。
その後は、21年連続コールド負けという状況だった。
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