さて、今日もF1新コーナーF1・C級チーム列伝をお送りします
今日は、全戦予備予選落ちというおそらく破られないであろう記録を作ったザクスピードチームを取り上げます
(基本データ)
参戦年数 5年
決勝出走台数 84台(歴代39位)
総ポイント 2ポイント(歴代55位)
予選最上位 13位
決勝最上位 5位
(歴史)
本来は、1984年からの出走予定でしたが資金の関係で1年遅れでの参戦。結局85年は、1年落ちのマシンで戦うことになり苦戦を強いられた。この年は1台のみの参戦。続く86年も苦戦が続き常に下位グループ。
しかしながら、エンジン・シャーシともにオリジナルでこれは当時ではかなり珍しかった。
87年は、ターボエンジン効果で序盤は健闘。M・ブランドルが最初で最後の入賞となる5位フィニッシュを果たす。また、予選最上位13位もこの年。
88年、再びたびたび予選落ちを繰り返すようになり、
89年は、鈴木亜久里が参戦。ターボエンジンが使えなくなりヤマハエンジンを採用も、F1経験不足のヤマハエンジンはトラブル頻発。鈴木は、全戦予備予選落ちという金字塔を打ち立てた。同僚ドライバー、シュナイダーも予備予選を通過したのはわずか2戦であった。この年を最後にF1撤退となった。
87年によくなりかけたものの、レギュレーション変更のあおりも食らって不遇のままF1を去ってしまいました。違う意味で89年のヤマハエンジンで全戦予備予選落ちがこのチーム最大の勲章でしょう。
今日は、全戦予備予選落ちというおそらく破られないであろう記録を作ったザクスピードチームを取り上げます
(基本データ)
参戦年数 5年
決勝出走台数 84台(歴代39位)
総ポイント 2ポイント(歴代55位)
予選最上位 13位
決勝最上位 5位
(歴史)
本来は、1984年からの出走予定でしたが資金の関係で1年遅れでの参戦。結局85年は、1年落ちのマシンで戦うことになり苦戦を強いられた。この年は1台のみの参戦。続く86年も苦戦が続き常に下位グループ。
しかしながら、エンジン・シャーシともにオリジナルでこれは当時ではかなり珍しかった。
87年は、ターボエンジン効果で序盤は健闘。M・ブランドルが最初で最後の入賞となる5位フィニッシュを果たす。また、予選最上位13位もこの年。
88年、再びたびたび予選落ちを繰り返すようになり、
89年は、鈴木亜久里が参戦。ターボエンジンが使えなくなりヤマハエンジンを採用も、F1経験不足のヤマハエンジンはトラブル頻発。鈴木は、全戦予備予選落ちという金字塔を打ち立てた。同僚ドライバー、シュナイダーも予備予選を通過したのはわずか2戦であった。この年を最後にF1撤退となった。
87年によくなりかけたものの、レギュレーション変更のあおりも食らって不遇のままF1を去ってしまいました。違う意味で89年のヤマハエンジンで全戦予備予選落ちがこのチーム最大の勲章でしょう。