きのきのTimeees!

スポーツ・音楽・趣味の旅行ネタなど自己満足的に更新してます、少し頭の隅に覚えて頂ければ幸いです。わくのい通信から改名!

F1C級チーム列伝  第5話  シムテックチーム

2008-07-06 20:51:32 | F1・C級チーム列伝!
なんだか蒸し暑くてクーラー使用中も、体に悪いですよね冷風扇って効果あるのかな買うか検討中

今日は、不定期連載のF1・C級チーム列伝です


チーム名・・・シムテック・フォード


基本データ

予選出走台数・・・40台(歴代60位)

予選最高位・・・14位(1995年アルゼンチンGP・Jフェルスタッペン)

決勝最高位・・・9位(94年フランスGP・J-Mグーノン、95年アルゼンチンGP、スキャッタレーラ)

完走・・・13回(完走率63.5㌫)


歴史

実力はありながらも不運の連続でわずか参戦は1年半程度だった。なんと言っても94年のイモラの悲劇でのラッツェンバーガーの事故死がスポンサーがつかなくなってしまった一因ともみられる。その後セナもレース中に亡くなったわけだが、現代F1において安全性向上が図られるきっかけになったのは、間違いない。94年は、トップドライバーはD・ブラバム、セカンドドライバーは、ラッツェンバーガーの後釜のモンテルミーニが一度も予選通過することなく事故で両足を骨折わずか2戦でドライバーは、グーノンに交替。後々取り上げたいと思っている、謎の日本人ドライバー井上隆智穂が日本GPのみスポット参戦。計4回のドライバー交替が行われた。

なお当時同時に、パシフィックチーム(こちらも後に取り上げます)も参戦していたが、当時は28台が参戦していて2台が予選落ちする形でしたが、ほとんどパシフィックを上回るポテンシャルを発揮していた。そのポテンシャルをいよいよ2年目にさらに向上。

アルゼンチンGPで予選最高位の14位を記録。非力なフォードエンジンで中位グループに食い込む活躍だったが、その矢先にまたも不幸が・・・参戦予定だった日本人ドライバー野田英樹が、持ち込むはずだった資金が阪神大震災の影響で入らず参戦資金の目処が立たなくなり残念ながらそのポテンシャルを発揮することが出来ないまま撤退を余儀無くされた。

個人的には、紫を基調とした落ち着いたカラーリングが結構好きでした。若きオーナー、ニック・ワースはデザイナーとしてはかなり優れておりその後ベネトンへ移籍してシューマッハをチャンピオンに導きました。それだけに、資金集めに長けたGMなんかがいたらこのチームの行く末も少し違っていたのかもしれません。



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