猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 3 説経松浦長者⑥おわり

2011年11月19日 20時50分13秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

まつら長者(小夜姫)⑥ おわり

 懐かしい我が家も朽ち果て、母の行方も知れず、小夜姫は途方に暮れていましたが、

母を尋ね歩いている小夜姫に、里の人がこう教えました。

「いかに姫君、母上様は、あなたが居なくなってからというもの、明け暮れ、姫が恋しいと泣き暮らし、程なく両眼を泣き潰しました。それから、母上様の行方はとんと知れません。」

 これを聞いて小夜姫は、驚き悲しみましたが、諦めることなく、母親を探し続けました。あちらこちらと探し回っているうちに、小夜姫は、再び奈良の都まで戻って来ましたが、ふと道端で子供たちの囃し声を耳にしました。

「松浦物狂い、こなたへきたれ、あなたへまいれ。」

 一人の物乞いらしい老女が、子供たちに嬲(なぶ)られていたのでした。はっとばかりに小夜姫が駆け寄ると、紛れもなく、探し求めた母上様です。小夜姫は思わず、

「母上様、小夜姫です。」

と涙と共に抱きつきました。しかし、御台は、

「小夜姫とは誰がことぞ、確かに昔、小夜姫という娘がいたが、人商人が謀って行方も知れぬ、今はもうこの世に無き者なり。盲目の杖に打たれて、我を憎むなよ。」

と、杖を振り上げて、むちゃくちゃに振り回します。小夜姫は、懐から大蛇にもらった玉を取り出すと、杖に打たれながらも再び母に抱きつきました。その玉を両眼に押しつけて、なで回し、

「善哉なれや、明らかに、平癒なれ。」

と、必死に唱えると、なんと、母の両眼はぱっと見開いたのでした。類まれなる親子の対面、喜び合うことも限りなく、親子抱き合って再会を確かめ合うのでした。

 それから、松谷に戻った二人でしたが、やがて昔の奉公人達も戻ってきて、再び富貴の家を興し、奥州の権下の太夫夫婦も召し抱えて、さらに繁盛させ、松浦長者の跡を継がせたということです。これも一重に、親孝行の心の優しさを、天が哀れんでくれたためです。

 年月重なり、小夜姫は八十五歳で大往生をされました。その時、花が降り、音楽が聞こえ、異香(いきょう)が薫じ、三世の諸仏を共として、西に紫雲がたなびいたと言われます。こうして、小夜姫は、近江の国竹生島の弁財天とおなりになり、大蛇との縁から、その頭には大蛇を乗せられておられるのです。

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</shape>※写真のように竹生島宝厳寺の弁財天の頭部には顔が乗っていて、蛇には見えないが、これは、宇賀神という人頭蛇身の神である。竹生島にはさらに宝珠をくわえた蛇が河川沼湖を守る八大龍王として祀られている。

Photo_3 Dscn9766

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 昔も今も、親に孝行ある人は、この事、努々(ゆめゆめ)疑うべき

 不孝の輩は、諸天までも加護なし

 生きたる親には申すに及ばず

 無き後までも孝行尽くすべし

 また、女人を守らせ給う故

 我も我もと、竹生島へ参らん人はなかりけれ

 身を売り姫の物語

 証拠も今も末代も

 例(ためし)少なき次第とて

 感ぜぬ人はなかりけれ

 寛文元年五月吉日 山本久兵衛板

 おわり

 


忘れ去られた物語たち 3 説経松浦長者⑤

2011年11月19日 18時00分05秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

まつら長者(小夜姫)⑤

 祭壇の三階に取り残された小夜姫は念仏を唱えて続けています。群衆は、今か、今かと大蛇の出現を待ちながら、ざわめいておりましたが、待てど暮らせど、何も起こりません。やがて、人々は、神主がいらざる唱え事をしたから、大蛇が機嫌を損ねたと言い出しました。大騒ぎになった群衆は、恐ろしいことになったと浮き足立つと、我先にと逃げ帰り、家の木戸を閉じて屋内に閉じこもり、物音ひとつしなくなりました。

 誰もいなくなった池の祭壇で、なおも小夜姫は、一人ぽつねんと念仏を唱えていましたが、やがて、俄に空がかき曇り、激しい風雨となりました。雷が鳴り響き、突風が吹き、池が波立つと、その丈、十丈あまりの大蛇が水を蹴立てて、忽然と姿を現しました。

 大蛇は、小夜姫をひと飲みにしようと、口より火炎を吹き出して襲いかかろうとします。大蛇が首をもたげて祭壇の三階に顎を乗せましたが、小夜姫は凛として騒がず、父の形見の法華経を掲げると

「いかに大蛇、汝も生ある者ならば、少しの暇を得させよ。汝もそれにて聴聞せよ。」

と言うと、法華経を声高らかに読み上げました。

「一者梵天、二者帝釈、三者魔王、四者転輪聖王、五者仏神、

 うんが女身、即身成仏、そもこの提婆品と申せしは、

 八歳の龍女、即身成仏の御理(ことわり)なれば

 汝も蛇身の苦患(くげん)を逃れよ。」

そして、小夜姫が、経をくるくると巻き上げて、大蛇の頭を打つと、十二の角がはらと落ち、さらに、この経を戴けと、上から下へと撫でまわすと、一万四千の鱗が、一度にざざっと落ちました。その有様は、三月の頃に門桜が散り行くようです。すると大蛇は、そのまま池に入ったかと思う間もなく、十七八の女の姿となって、現れました。

「いかに、姫君。私は、子細あってこの池に棲むこと九百九十九年。その年月の間に九百九十九人の人身御供を取りました。今ひとり服すれば千人というところで、あなたのような尊き人に出会うとは、誠に有り難き幸せです。お経の功力(くりき)によって、たちまちに大蛇の苦しみから逃れ、成仏得脱いたしました。お礼に、この竜宮世界の如意宝珠を差し上げます。この玉は、思う宿願の叶う玉。目が悪ければ目に、腹が悪ければ腹に当ててなでれば、たちまちに治ってしまいます。」

龍女の話を、呆然と聞いていた小夜姫でしたが、玉を受け取ると、ようやく安心をして、ほっと溜息をつきました。龍女はなおも続けて、

「私の生国は、伊勢の国の二見浦(三重県伊勢市二見町)ですが、継母の母に憎まれて、

家出をいたしましたが、人商人にだまされて、あちらこちらと売られて、ここの十郎左右衛門に買い取られました。その昔、ここには川が流れておりましたが、橋を架けても毎年流されてしまいます。そこで、陰陽の博士に占ってもらった所、見目良き女房を人柱にすれば、橋は流されなくなるという占いが出ました。まったく、恐ろしい占いです。

村の人々は、そんなら神籤(みくじ)を作ろうということになって、身御供の役を引いたのが主人の十郎左右衛門でした。そうして、私が、人柱に沈められることになったのです。私は、あまりの悲しさに、こう言いました。『八郷八村の里に人多いその中で、私だけを沈めるなら、丈、十丈の大蛇となって、村の者達を取っては服し悩ましてやる』

私は、そうわめきながら、沈められ、とうとう大蛇になってしまったのです。九百九十九年に一人ずつの人を取り、その報いには、鱗の下に九万九千の虫が棲み、この身を攻める苦しみは、例えようもありません。このような時に、あなたと出会えたことは、一重に仏様の引き合いです。」

と、喜ぶのでした。食べられても構わないと覚悟していた小夜姫でしたが、ようやく得心して、龍女に向い、

「いかに大蛇、私は、大和の国の者であるが、奈良の都に、母一人を残してきました。母が、どうしておられるかが、一番の気がかりなのです。」

と言いました。すると、龍女は、

「それでは、私が送ってあげますので、ご安心なさい。」

と言いました。

 小夜姫が、太夫の館に戻ると、太夫夫婦は飛び上がって驚きました。小夜姫が、事の次第を語って聞かせると、太夫夫婦は大層喜んで、都に帰らずにここに留まるように勧めました。しかし、小夜姫は、その申し出を断って、早々に館を出ると、こんなところにいつまでも居られないと、再び池へと急ぎました。

 池で待っていた大蛇は、小夜姫を龍頭に乗せると、そのまま池の中へどぶんと入りましたが、瞬きもしない間に、大和の国は奈良の都、猿沢の池(奈良公園)のほとりに小夜姫を担ぎ上げたのでした。

 さて、この大蛇は、姫を降ろした途端に龍となって天に昇り、再びこの池に戻りませんでした。この池を「去る沢」の池と言うようになったのはこの時からです。そしてこの大蛇は、衆生済度を行うため、壺阪の観音様となったのでした。

 大蛇と別れた小夜姫は、急いで松谷の館に帰りますが、館の荒廃は著しく、人の住む気配もなく、母の姿はありませんでした。

つづく


忘れ去られた物語たち 3 説経松浦長者④

2011年11月19日 15時59分03秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

まつら長者(小夜姫)④

 長い旅の末にようやく館に着いた権下の太夫は、休む間も無く、奥の座敷を祓い清めると小夜姫を奥の座敷に招き入れると、そぐり藁の荒ムシロを敷き、その上に小夜姫を座らせました。見も知らぬ異国に連れて来られ、只でも心細い小夜姫は、何が始まるのかと涙ぐんでいますと、太夫は、〆を七重に張り回して、十二幣を切り、七十二の幣を立てました。それから、姫を湯殿に下ろすと、湯垢離(ゆごり)を七回、水垢離を七回、塩垢離を七回させて、二十一度の垢離をさせてその身を清めさせました。

 何のことか分からない小夜姫はたまりかねて、女房達に聞きました。

「いかに、女房達、奥州では、家に上がるのにこのようにしなければならないのですか。」

すると女房達は、こう答えました。

「あら、いたわしい姫様、知らないのであれば、教えてあげましょう。館より北十八丁ほどの所に「さくらの渕」という周囲三里ほどの池があります。その池に築島があり、その島に三階の祭壇を飾って、しめ縄を張り、あなたを大蛇の餌として供えるために、このようにお清めをしているのです。」

 今まで何にも聞かされてなかった小夜姫の驚き様は例え様もありません。倒れ伏して泣きながら、

「そもそも、私を買って末の養子とするとは聞きましたが、人身御供になると約束した憶えはありません。」

と、口説く姿があまりにも哀れだったので、御台が近づいていたわりの声を掛けました。

「いかに、姫、あなたの嘆きはもっともです。都の方とは聞いていますが、お国はどちらですか。私も、来年の春には、京の都に参りますので、父母への便りの文を届けてあげますから、文をお書きなさい。」

あまりのことに、小夜姫は、返事をすることもできませんでした。小夜姫は、故郷への形見の文を書こうと筆を持ちましたが、次々と涙が溢れてきて、とうとう文を書くことができませんでした。

 

 さて、小夜姫のお清めを済ませた太夫は、三階の祭壇を調えると、葦毛の馬にまたがって、八郷八村に触れて回りました。

「今度、権下の太夫こそ、生け贄の当番に当たりて候。都より姫一人買い取りて下るなり。皆々、お出でましまし、見物なされ候え。」

 近隣の人々は、池のほとりに桟敷を作り、小屋がけして、上下貴賤を問わず、ぞくぞくと池の周りに集まって、今や遅しとその時を待つのでした。

 太夫は館に戻ると、小夜姫の装束を改めさせて、

「いかに姫、おん身を、これまで連れて来たのは外でもない。あの山の奥に大きなる池があり、年に一度、身御供を供えなければならない。今年の当番が、それがしである。

おん身を供え申す。お覚悟あれ。」

と言いました。小夜姫は、涙を流しながらも、

「かねてより、いかなる憂き目も覚悟の上、かかることとは夢とも知りませんでしたが、父の菩提のそのためと思えば、恨みもありません。ただ、都の母上様だけが気がかりです。」

と言うと、網代の輿に乗り込みました。やがて輿が、池へと到着すると、池の周りに所狭しと詰めかけた群衆がどよめきました。輿を降りた小夜姫は、舟に乗せられ、築島の祭壇へと向いました。三段の祭壇の一番上には小夜姫が、中段には神主が、下段には当番の太夫が上がりました。やがて、神主が、

「あら有り難の次第やな、これは、権下の太夫の所、繁盛のそのために、お守り有りてたび給え。」

と、肝胆砕いて礼拝しました。それから太夫も礼拝し、さらに様々な祈誓をかけて、唱え事をすると、神主と太夫は、また舟に乗って岸に戻りました。

 祭壇の三階に小夜姫は一人残され、池の周りの群衆は、いよいよ姫の最期と、固唾をのんで見つめておりました。

Photo_2 坪坂観音縁起絵巻より(太夫の館と思われる場面)

つづく


忘れ去られた物語たち 3 説経松浦長者③

2011年11月19日 10時24分37秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

まつら長者(小夜姫)③

 小夜姫だけを心のより所として生きてきた御台様は、一人打ち捨てられて、泣き明かしておりましたが、やがてもの狂いとなり、両眼を泣き潰してしまいました。小夜姫を捜し求めるように奈良の都を徘徊して、松浦の狂女と呼ばれるようになってしまいます。かつての栄華を考えれば、御台所のなれの果てを、哀れと思わない人はいませんでした。

 さて、そうとも知らず小夜姫は、権下の太夫に連れられて、どこまで行くとも知らないまま、やがて木津川を渡ると山城の国に差し掛かりました。故郷の大和の国ともお別れです。

「後を問う その垂乳根の憂き身とて 我が身売り買う 泪なりけり」

と歌うと、泪に潤む目に故郷の景色をしっかりと焼き付けました。

【ここから、いわゆる、「東下り」の「道行き」と言う記述になります。現在も残る旧東海道の宿や地名を辿りながら、旅慣れぬ姫の苦労が語られます。四百年前の旅路を、記述に従って辿ることにします。】

①命めでたき長池や(京都府城陽市)

②小倉つつみの野辺過ぎて(京都府宇治市小倉)

③四条河原

④祇園林の群烏(むらがらす)

⑤経書堂(きょうかくどう:石に一字づつ経を書く)

⑥清水寺

⑦秋風吹けば白川や(京都市左京区)

⑧粟田口とよ悲しやな(京都市東山区)

⑨日の岡峠を早過ぎて(京都市山科区)

⑩人に会わねと追分けや山科に聞こえたる四ノ宮河原を辿り(京都市山科区四ノ宮)

⑪行くも帰るも逢坂の この明神のいにしえは蝉丸殿にて御座ある(滋賀県大津市)

 ※ここで説経らしく、小夜姫は蝉丸宮に詣でています。

⑫大津、打出の浜(琵琶湖畔)より志賀、唐崎の一つ松(近江八景唐崎夜雨)

⑬石山寺の鐘の声(近江八景石山秋月【三井寺の三井晩鐘が混じっているようです】)

⑭なおも思いは瀬田の橋(近江八景瀬田夕照)

⑮時雨も抱く守山や(滋賀県守山市)

⑯風に露散る篠原や(滋賀県野洲市 小篠原・大篠原)

⑰くもりもやらで鏡山(野洲市と竜王町の境:標高384m)

⑱馬淵、縄手を早過ぎて(滋賀県近江八幡市)

⑲多賀の浮き世の中厭いつつ(滋賀県近江八幡市)

⑳無常寺よと伏拝み(不明)

21  入て久しき五じょう宿(不明)

22 年を積もるが老蘇の森(滋賀県近江八幡市)

23 愛知川渡れば千鳥立つ(滋賀県東近江市・愛壮町)

24 小野の細道摺針峠(滋賀県彦根市)

25 番場、醒ヶ井、柏原(滋賀県米原市)

26 寝物語を打ちすぎて(美濃と近江の国境)

27 お急ぎあれば程もなく山中宿へお着きある(岐阜県関ヶ原町、今須付近)

  先を急ぐ太夫の足についていけない小夜姫は、疲れ果てて遂に、山中の宿で足の痛みに耐えかねて、

「いかに太夫殿、憂き長旅のことなれば、急ぐとすれど歩まれず。この所に二三日逗留してくださるようにお願いします。」

と、言います。太夫は、大きに腹を立てて、

「奈良の都より奥州までは、百二十日もかかる旅であるぞ。どんなに嘆いても逗留はならん。」

と、手に持つ杖でさんざんに打ちつけるのでした。小夜姫は、打たれる杖のその下よりも、

「情けも無い太夫殿。打つとも、叩くとも、太夫の杖と思えば、真に恨むことはありません。冥途にまします父上様の教えの杖であると知っていますから。」

と、手を合わせて言うのでした。これには、さすがの太夫も参りました。ここまで歩き詰めに歩かされてきましたが、三日間の休養を許されたのでした。

28 嵐、木枯らし不破の関(岐阜県関ヶ原町)

29 露の垂井と聞くなれば(岐阜県垂井町)

30 夜はほのぼの赤坂や(岐阜県大垣市)

31 杭瀬川にぞお着きある(岐阜県大垣市)

32 大熊河原の松風(不明)

33 尾張なる熱田の宮を伏し拝み(愛知県名古屋市熱田区)

34 三河の国に入りぬれば、足助の山も近くなり(愛知県豊田市)

35  矢作の宿を打ち過ぎて(愛知県岡崎市)

36 かの、八つ橋にお着きある(国道1号線矢作橋付近)

37 先をいづくと遠江、浜名の橋の入り潮に(静岡県 浜名湖大橋付近)

38 明日の命は知らねども池田と聞けば頼もしや(静岡県浜松市 天竜川)

39 袋井縄手遙々と(静岡県袋井市)

40 日坂過ぐれば音に聞く、小夜の中山これとかや(静岡県掛川市)

41 いかだ流るる大井川

42 岡部の松は少しあれ(不明)

43 神に祈りの金谷とや(静岡県島田市)

44 四方に神はなけれども島田と聞くは袖寒や(静岡県島田市)

45 聞いて優しき宇津の山辺(静岡県藤枝市:静岡市 宇津ノ谷峠)

46 丸子川、賤機山を馬手に見て(静岡県静岡市駿河区)

47 いかなる人か由比の宿(静岡県静岡市清水区)

48 蒲原と打ち眺め(静岡県静岡市清水区)

49 富士のお山を見上げれば・・・略・・・南は海上、田子の浦(静岡県富士市)

50 原には塩屋の夕煙(静岡県沼津市)

51 伊豆三島を打ち過ぎて(静岡県三島市)

52 足柄、箱根にお着きあり(神奈川県箱根町)

53 相模の国に入りぬれば、大磯小磯は早過ぎて(神奈川県平塚市)

54 めでたきことを菊川や(不明)

55 鎌倉山はあれとかや(神奈川県鎌倉市)

56 行方も知れぬ武蔵野や(横浜・川崎付近カ)

57 隅田川にお着きある

  げにや誠、音に聞く、梅若丸の墓印

  (木母寺(謡曲「隅田川」の寺)東京都墨田区堤通2丁目161号)

58 東雲早く白河や、二所の関とも申すらん(福島県白河市)

59 恋しき人にあいずの宿(不明)

60 お急ぎあれば程も無く、遙か奥州日の本や、陸奥の国、安達の郡に着き給う。

以上の道行きは上方版による記述ですが、江戸版では、関東近辺の記述がやや詳しくなっています。さながら、四百年前の旅行ガイドといったところでしょうか。小夜姫と共に百二十日に及ぶ東海道と奥州街道の旅にお付き合いいただきました。

つづく