永平寺開山記 ①
いろいろと考えてみると、人の「道」に明るい者は、一家を成してその身を全うすることができるが、邪(よこしま)な者は、男女によらず身を失うものである。
ここに、越前国(福井県)の吉祥山永平寺の御開山様であられる「道元禅師」の由来を詳しく尋ねてみると、後鳥羽院の頃のお話です。(鎌倉時代初期)
村上天皇(平安時代中期)より九代の孫に当たる「源中納言道忠卿」(みなもとちゅうなごんみちただ)という貴族がおりました。道忠は、家には三宝仏陀をお祭りして、外では、「人、天、声聞、縁覚、菩薩」の五乗に則り、大変礼儀正しい方でした。
中納言道忠卿には、三人の子供がありました。長男「神道丸」は十五歳。二歳の年に実母を失ってしまいますが、母のことを忘れず、明け暮れ母の菩提を祈り続けております。金道卿の姫を後妻として生まれた二男は、「金若丸」、十三歳。末の妹「松代姫」はまだ二歳でした。
一門を守護し支えるのは、家の執権は、譜代の家臣「更級行家光虎」(さらしないえみつみつとら)。さてまた、御台の乳母(めのと)には、「木下将監行正」(きのしたしょうげんゆきまさ)。将監の一子、「梅王」は十四才と、頼もしい家臣に恵まれて、道忠の果報を羨ましく思わない人はありませんでした。
ある時、道忠卿は、更級、木下両家臣にこう言いました。
「私も五十歳となり、明日の命も知れない。ここらで引退して、神道丸に官位を譲り、私は、仏道一筋に生きようと思う。幸い今日は吉日であるので、一門を集め、言い渡したい。用意いたせ。」
ご兄弟、家臣一同が参集しますと、道忠卿は、こう言い渡しました。
「いかに皆の者、私はもう歳を取ったので、これよりは神道丸を参内させ、隠居することにする。これからは、私にしてくれたように、神道丸に忠孝を尽くしてもらいたい。
神道丸よ、おまえは、まだ幼少ではあるが、おとなしく帝に仕え、私無く五乗を守り、慈悲深く家を治めて身をたてるのだぞ。私が亡き後は、母に孝行を尽くして、更級、木下両人を、私と思って、何事につけても言われた通りにすればよい。」
「さて、金若丸よ。兄に礼儀正しく接し、更級、木下と共に、家の執政を執り行い、少しも兄に背いてはならない。よくよく心を尽くしなさい。」
「さてまた、ここに太刀が二振りある。大の太刀は、三條小鍛治(※三条宗近)が鍛えた「松風」という剣である。小の太刀は、「村雨」という「天国」(※あまくに)の名作である。大は総領神道丸に、小は金若丸に継がせることにる。」
それからは大宴会となり、道忠卿が、御兄弟に盃を下されると、千代降るまで共に変わらることは無いと、数々の盃が交わされました。目出度い代替わりの儀式が滞りなく終わりました。
しかし、世の中の習いとは言うものの、女心というものは、儚い(はかない)ものです。御台は、夫道忠の神道丸への代譲りの言葉を聞いて腹を立てていました。御台はむらむらと悪心を起こし、乳母(めのと)木下を、密かに呼びつけると、わざと、さめざめと泣いてみせてから、こう言いました。
「私ほど、果報のつたない者はありません。仏神に祈願をかけて、あの金若を懐胎し、誕生して成長すれば、器量優れて優しく、いかなる高家、殿上人にも劣らないと喜び、いつかは、家を継がせたいと思っていたのに、神道丸の家来となって、末の栄華も無いとは、口惜しい。」
と、ぎりぎりと歯がみをするのでした。
何事かと駆けつけた将監は、呆れ果てて、
「これは、五條金道卿の御息女とも思えない仰せ。神道丸殿は先腹(せんぶく)の御総領であられます。金若丸様は御二男でありますから、家を継げないと恨む筋合いではありません。他人の聞こえも悪い事。」
と、苦々しく諭しますが、御台は、
「さては、お前も、最早私を見捨てて、神道丸を世に立てて、金若丸のことはどうでもいいと思っておるのだな。もう、お前には頼みません。出て行きなさい。」
と、騒ぎ立てました。将監は、手を焼いて、
「お腹立ちは分かりましたが、金若丸様がどのようにお考えなのかをお聞きなされて、相談され、金若丸様の仰せに従うのが良いかと存じます。」
と、取りなします。御台は、
「いやなに、金若は我が子ですよ。母が心に背くはずはありません。さあ、金若丸を呼んで、この事を話して喜ばせてあげましょう。」
と、金若丸に使いを出して、呼び寄せました。
金若丸がやってくると御台は、
「いかに、金若。今日の父の仰せを聞き、さぞや無念と思ったことでしょう。私の心もめらめらと炎を上げて、焦げ付きそうです。そこで、将監に頼んで、今宵、暗闇にまみれて神道丸を殺すことにしましたから、喜びなさい。お前を総領としてあげますよ。」
と、目をぎらぎらさせて言うのでした。金若は、驚いて、
「いや、何を仰いますか。私は、二男ですから、家を継ぐなどということはあり得ません。それに、私はまだ若年で、兄上を尊敬しておりますので、その様なことを考えたこともありません。」
と、笑いました。これを聞いた御台は、きっとなり、
「何を言っているのです。そんなことではありませんよ。継子の神道丸を世継ぎにして、毎日、朝夕憂き思いをして、いらいらと過ごすことなど耐えられるものではない。なんとか、お前を世継ぎとして、浮き世を楽々と過ごせるようにするのです。お前は、まだ幼いので、分からないだけです。いいから、母に任せておきなさい。ささ、将監、言われた通りやるのです。」
と、まくしたてました。将監は、慌てて、
「お待ちなされてくだされませ。只今の若君のお言葉を、何とお聞きになったのですか。御台様の御子ではありますが、仏様のお言葉とお聞きになり、思い止まってくださるようにお願いいたします。」
と、なんとか思い止まらせようとします。金若丸も、
「神代の昔より、継子継母(ままこままはは)の悪心は、枚挙に暇がございません。そのような悪逆は、末代まで人々の嘲り(あざけり)を受けますので、おやめください。」
と、詰め寄りました。御台は、二人の説得の道理に、返す言葉も無く黙ったままでしたが、やがて、わなわなと身体を震わせると、顔色も真っ赤になり、
「さては、お前達は、私の命令に背いて、私を悪人にして、人々に言いふらして笑いものにしようと言うのだな。よしよし、今より後は、母を持ったと思うな、金若。私も子を持ったとは思うまい。将監諸共、七生(しちせい:七代後まで)の勘当じゃ。」
と、わめき散らすと、守り刀を引き抜いて、
「生きていても仕方ない、死んで恨みを晴らしてやる」
っとばかりに、喉に自害の刃を突き立てました。驚き慌てた将監が飛びついて、
「これは、短慮なことを。お命には代え難し、ご命令は分かりました。若君様いかがいたしましょう。」
と、言いました。金若丸は母に取りすがり、
「いや、こうなっては、仕方がない。のう、母上様、錬士(れんし)の礼儀をもって、一旦はあの様に申しましたが、母上の仰せには背きません。自害はおやめになってください。」
と言いました。これを、聞くと御台は、にやりと笑い、
「おうおう、そうであろう、そうであろう。何に付けても、お前のため。悪い事は言いいませんぞよ。それそれ、急げ将監、金若は静かにしていなさい。」
と、言って一間に入られた御台の心の闇は、怖ろしいばかりです。
つづく