ほう蔵びく ④
鹿野園の后の墓で手篤く回向をした太子一行は、西上国へと戻りましたが、最愛の妻
を失った悲しみを癒すことはできませんでした。ある時、二人の若宮、臣下大臣を集め
ると、千丈太子はこう言いました。
「さても無常な世の有様。盛りと見ていた春の花は、嵐に誘われ散り易く、秋の月は、
雲に覆われる。昨日、見た人も今日には亡くなっており、若くても長生きするとは限ら
ない。悲しい無常の世界だ。このような世の中で、迷い暮らす輪廻の綱を何とかして断
ち切りたいと考えておる。この世でたまたま人身を授かって、菩提心に至らないままで
は、またもや三悪道に堕罪して、六道四生(ろくどうよんしょう)に迷い、貪瞋痴(と
んじんち)の三毒に冒され、無明煩悩(むみょうぼんのう)の闇から出ることが出来ない。
必ず法性(ほっしょう)の悟りを開いて、末世の衆生を利益しようと思う。今生の楽し
みもこれまでだ。」
そうして、千光、千子諸共に、髪を剃ると、墨の衣にお着替えなされました。則ち、太
子は自ら、「法蔵比丘」と名乗り、千光千子兄弟は、「早離」、「速離」(※早離は観音菩
薩、速離は勢至菩薩の前世)と名付けられたのでした。ラゴトンを始め、近習の者六十
人も、皆々これに習って出家をされました。法蔵比丘は、末世濁世の悪衆生を仏果に導
くために、四十八願をお立てになり、再び鹿野園のアジュク夫人の墓に参りました。
法蔵比丘が、墓に向かって、
「声明念仏、仏果菩提一蓮托生、正覚正道なり給え。」
と、夫人の成仏を様々に弔いますと、本願が忽ち現じて、草茫々たる墓が二つにぱっか
りと割れたのでした。中より、十方を照す光明が顕れたかと思うと、蓮華が一本生え、
花が開き、中から、アジュク夫人が現れて、
「あら、尊き御祈りかな。御本願の功力によって、正覚はまさに疑いありません。私の
最期の時、病を受けて苦しみましたので、薬師と号して末世の衆生の病苦を救いましょう。」
と言うと、忽ちに薬師如来と顕じて、左の御手に持つ瑠璃の壺には、八万四千の薬味を
入れて、東方浄瑠璃世界へと飛び去りました。誠に有り難い限りです。そして、弥陀の
六十願の内、十二願は薬師如来に付属したのでした。法蔵比丘が、残る四十八願の成就
のために祈り続けていると、不思議な音楽が聞こえ始め、異香(いぎょう)が薫じて、
花が降り始めました。やがて南無阿弥陀仏の六字の名号が光りを放ち、十方世界を照ら
し出し、諸々の仏、菩薩が数多降臨したのです。そして、早離は観音に、速離は勢至に
正覚されました。これを見た法蔵比丘は、こう言いました。
「さては、この願、成就疑い無し。我は阿弥陀仏と号して、愚痴無知を極楽浄土へと救い取らせん。」
有り難かりける次第なり。 忝なくも阿弥陀如来の御本願は、
一念弥陀仏 即滅無量罪 現受無比楽 後生清浄土(観世音菩薩往生浄土本縁経)
(いちねんみだぶつ そくめつむりょうざい げんじゅむひらく ごしょうしょうじょうど)
『一度、阿弥陀仏を念ずれば、直ちに無量の罪を滅ぼして、目の当たりに無比の楽を受
け、後生は浄土に生まれ変わるであろう。』と、いうことなのです。まったく有り難い
とも中々申し様もございません。
おわり