猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 10 説経法蔵比丘 ④ おわり

2012年03月01日 17時26分14秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ほう蔵びく ④

 鹿野園の后の墓で手篤く回向をした太子一行は、西上国へと戻りましたが、最愛の妻

を失った悲しみを癒すことはできませんでした。ある時、二人の若宮、臣下大臣を集め

ると、千丈太子はこう言いました。

「さても無常な世の有様。盛りと見ていた春の花は、嵐に誘われ散り易く、秋の月は、

雲に覆われる。昨日、見た人も今日には亡くなっており、若くても長生きするとは限ら

ない。悲しい無常の世界だ。このような世の中で、迷い暮らす輪廻の綱を何とかして断

ち切りたいと考えておる。この世でたまたま人身を授かって、菩提心に至らないままで

は、またもや三悪道に堕罪して、六道四生(ろくどうよんしょう)に迷い、貪瞋痴(と

んじんち)の三毒に冒され、無明煩悩(むみょうぼんのう)の闇から出ることが出来ない。

必ず法性(ほっしょう)の悟りを開いて、末世の衆生を利益しようと思う。今生の楽し

みもこれまでだ。」

そうして、千光、千子諸共に、髪を剃ると、墨の衣にお着替えなされました。則ち、太

子は自ら、「法蔵比丘」と名乗り、千光千子兄弟は、「早離」、「速離」(※早離は観音菩

薩、速離は勢至菩薩の前世)と名付けられたのでした。ラゴトンを始め、近習の者六十

人も、皆々これに習って出家をされました。法蔵比丘は、末世濁世の悪衆生を仏果に導

くために、四十八願をお立てになり、再び鹿野園のアジュク夫人の墓に参りました。

法蔵比丘が、墓に向かって、

「声明念仏、仏果菩提一蓮托生、正覚正道なり給え。」

と、夫人の成仏を様々に弔いますと、本願が忽ち現じて、草茫々たる墓が二つにぱっか

りと割れたのでした。中より、十方を照す光明が顕れたかと思うと、蓮華が一本生え、

花が開き、中から、アジュク夫人が現れて、

「あら、尊き御祈りかな。御本願の功力によって、正覚はまさに疑いありません。私の

最期の時、病を受けて苦しみましたので、薬師と号して末世の衆生の病苦を救いましょう。」

と言うと、忽ちに薬師如来と顕じて、左の御手に持つ瑠璃の壺には、八万四千の薬味を

入れて、東方浄瑠璃世界へと飛び去りました。誠に有り難い限りです。そして、弥陀の

六十願の内、十二願は薬師如来に付属したのでした。法蔵比丘が、残る四十八願の成就

のために祈り続けていると、不思議な音楽が聞こえ始め、異香(いぎょう)が薫じて、

花が降り始めました。やがて南無阿弥陀仏の六字の名号が光りを放ち、十方世界を照ら

し出し、諸々の仏、菩薩が数多降臨したのです。そして、早離は観音に、速離は勢至に

正覚されました。これを見た法蔵比丘は、こう言いました。

「さては、この願、成就疑い無し。我は阿弥陀仏と号して、愚痴無知を極楽浄土へと救い取らせん。」

有り難かりける次第なり。 忝なくも阿弥陀如来の御本願は、

一念弥陀仏 即滅無量罪 現受無比楽 後生清浄土(観世音菩薩往生浄土本縁経)

(いちねんみだぶつ そくめつむりょうざい げんじゅむひらく ごしょうしょうじょうど)

『一度、阿弥陀仏を念ずれば、直ちに無量の罪を滅ぼして、目の当たりに無比の楽を受

け、後生は浄土に生まれ変わるであろう。』と、いうことなのです。まったく有り難い

とも中々申し様もございません。

おわり

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忘れ去られた物語たち 10 説経法蔵比丘 ③

2012年03月01日 14時30分29秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ほう蔵びく ③

 こうしてラゴトンの働きによって、太子親子は助けられたのでしたが、都へ帰ること

も出来ず、奥深い山の中で、月日を重ねました。やがて弟君が誕生し、千光と名付けら

れました。姫宮は、こんな山の中で生まれなければならなかった弟宮を哀れみましたが、

太子は、いつかは昔のように都へ戻れる日が来ると慰めるのでした。

 さて、西上国では、太子が行方知れずとなってから、お后も亡くなってしまい、大王

は、独りぼっちになってしまいます。ある夜、大王は、

「一生は風前の灯火、春の夢。」

と思うと、書き置きを残して、コウリン山へと遁世してしまいました。人々は、このよ

うなことになったのも、太子が行方不明になってしまったからだと、手分けして太子を

捜すことにしたのでした。

 龍瀬の洞での山暮らしも、七年が経ちました。太子は、姫宮にこう言いました。

「そろそろ、本国に帰り、父上に奏聞して、迎えの輿を寄越させることにしましょう。

長い旅となりますが、二人の若を慰みとして、再び会う日まで辛抱してください。」

これを聞いた姫君は、

「そんなつれないことを言うのですか。このような山暮らしもあなたが居れば耐えられ

ますが、あなたが居なくなってしまっては生きていくも出来ません。どうか親子一緒に

連れて行ってください。」

と泣き沈みました。太子も後ろ髪を引かれる思いですが、二人の子供達の為には、そう

するしか無いのだと、重ねて説得をすると、意を決して一人、西上国へと向かったので

した。それからというもの、姫宮は、恋しい夫を思いつつ、二人の子供を守って、心細

い山の生活と続けたのでした。

 さて、千丈太子は、やがて西上国へと戻って来ましたが、王宮の有様は、門に蔦が這

い、軒の瓦も崩れ落ちている有様です。不思議に思った太子が、うろうろしていると、

老人が、出て来て、

「如何なる者ぞ。」

と咎めました。太子は、

「そういう翁は誰ですか。大王様はどうなされたのですか。」

と聞き返しました。老人は、太子が居なくなってからのことを語り、涙ながらに、

「さて、つくづく見れば、千丈太子に良く似ていらっしゃいますが、恋しい太子ではあ

りませぬか。」

と言いました。太子が、

「我こそ、千丈太子である。」

と言えば、老人は、はっと驚いて、

「ははあ、私は、大王の家臣、桂の大臣でございます。数千の家臣はあなた様を捜しに

行ったまま戻らず、残る臣下大臣は、大王と共にコウリン山へ籠もってしまいました。

御台様も亡くなり、内裏を守るのは私一人で、このように荒れ果ててしまいました。」

と、頭を地にすりつけて、声を上げて泣くのでした。大王が存命であることを知った太

子は、先ずコウリン山へ行き大王に謁見しました。喜んだ大王は、位を千丈太子に譲り、

太子は王宮を再建したので、数千の臣下もやがて戻り、王宮は元の賑わいを取り戻した

のでした。そうこう忙しくしている所に、かのラゴトンが現れました。太子は、喜んで

ラゴトンを迎え入れました。ラゴトンは、姫宮のことを心配したので、急いで龍瀬の洞

へと迎えに行くことになったのでした。

 一方、龍瀬の洞では、アジュク夫人と二人の若宮が、迎えの輿を待ちながら暮らして

いましたが、五年経っても迎えが来ません。后は、若宮達の前で、

「父上は、五年目の春には迎えに来ると言っていましたが、五年目の夏も過ぎ、もう秋

も半ばとなりました。我々を捨ててしまわれたのでしょうか。それとも旅路の露と消え

てしまわれたのでしょうか。」

と泣くのでした。兄弟の若宮は、

「御嘆きは尤もです。この上は、我々が母上のお供をしますから、西上国へ行きましょ

う。命さえあれば、きっと巡り会うことができます。」

と、力強く言うのでした。そこで、お后は兄弟を連れて西上国へと旅立つことを決心したのでした。

しかし、それも峨々たる山を越え、谷を渡る辛い旅路です。二年と三ヶ月の月日を費や

して、母子三人はようやく鹿野園(ろくやおん)に辿り着きました。三人は、赤栴檀(しゃくせんだん)

の木の下でしばしの休息を取りましたが、母にはもう歩く力も残ってはいませんでした。

母は、そこにどっと倒れ伏してしまって動けなくなりました。母は、苦しげな息の下よ

り、兄弟に、

「もう、母は最期のようです。会うは別れの始めと言います。心強く持って、何とかし

て西上国まで行って、父上に会うのですよ。私は、死んでもお前達の影身に寄り添って、

お前達を守ってあげますからね。衣冠正しき高人に会ったなら、先祖を詳しく語って、

父を尋ねなさい。

 さて、この肌の守りは千光の宮に、この簪(かんざし)は、千子の宮に、形見として

肌身に添えて持ちなさい。この鬢(びん)は、父上に渡しなさい。ああ、名残惜しの兄

弟よ。暇申してさらば。」

と最期の言葉を残すと、二十七歳を一期として息絶えてしまいました。兄弟が、取りす

がって、呼べど叫べど答えません。空しい死骸を押し動かして、顔と顔とを摺り合わせ

て嘆き悲しみますが、もうどうしようもありません。やがて、千光は、赤栴檀の枝を折

り、母上の死骸を無常の煙と葬りました。印の塚を築くと兄弟は、生きている母に言う

様に、

「母上様の仰せに従い、これより西上国へと向かいます。いざさらば。」

と、言い置いて、涙ながらに出発したのでした。

 ところが、父千丈太子は、もう既に鹿野園の近くまで来ていたのでした。兄弟が、ウ

ンビシュリという所まで来ると、綺麗な華鬘(けまん)瓔珞(ようらく)に飾られた輿

と出合いました。千光はこれを見て、母の仰せの通り、名乗ろうと思い、御輿の近くに

走り寄りました。しかし、家来達は、

「やあ、見苦しい者ども。畏れも知らず輿に近づくとは、何事か。」

と、散々に打ち伏せました。兄弟は互いにかばい合って、打つなら我を打てと泣きました。

これを見ていた千丈太子は、

「難の咎があって、そのような幼いを叩くのだ、手荒な事をするな。子細を聞くから連

れてきなさい。」

と、兄弟を招きました。太子が、どこの者かと聞くと、兄弟はここぞとばかりに名乗りました。

「何を隠そう我々の父上は、西上国の主千丈太子、母上はアジュク夫人と申して東上国

の姫宮・・・。」

と名乗りも終わらぬ内に、太子は輿から跳んで降り、

「おお、我こそは、お前達の父であるぞ。」

と言うなり抱き付き、喜びの涙に暮れましたが、やがて涙の隙より、母上はどうしたと

尋ねました。兄弟は、

「さればでございます。母上は、父上を恋わびながら、七日前に鹿野園の麓でお亡くな

りになりました。」

と泣き崩れたのでした。聞くなり太子も、あまりの無念に悶え焦がれました。太子は

涙をぬぐって、

「今、兄弟に出合うことも、これ天道のお導き。これより后の後を弔わん。」

と言うと、若宮達を御輿に乗せ、鹿野園へと向かいました。この人々の御有様は、

哀れともなかなか申すばかりはありません。

つづく

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