猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 11 説経百合若大臣 ③

2012年03月28日 16時23分00秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ゆりわか大じん ③

別府兄弟、大臣を嶋捨て、帰国の事

 さて、そのままご帰朝あれば、何事も起こらなかったのでしょうが、百合若大臣は、

日本を背負っての長期にわたる戦いに疲れたのでしょう。別府兄弟を近付けると、

「この辺りに嶋が有れば、ひとまず上陸して、休みたい。」

と、命じました。兄弟は、端船(はしぶね)を降ろして、百合若大臣を乗せると、玄海

島(福岡県福岡市)に上陸させました。百合若大臣は、敷き皮の上にどうと横になると

岩角を枕として、忽ちに眠り込んでしまいました。剛の者の常と言いますか、一度寝入

り込むと、そう簡単には起きません。大臣は三日経っても起きませんでした。

 さて、別府兄弟は、することもなく傍らに付き添っていましたが、諸々おしゃべりを

して居る内に、弟の貞貫(さだつら)が、こんなことを言い出しました。

「さて、この君は、御帰朝なされれば、日本国をいただくことになるのでしょうね。

私も、この君のような果報を得たいものです。」

兄の貞澄(さだすみ)はこれを聞いて、

「もっとも。君は左様に富み栄えるが、我々は大して変わりもなく、そのまま朽ち果て

るのがおちじゃ。まったく無念よの。しかし、お前はどう思うか。今なら、この君を討

って、主無き後を、我々で知行できるかもしれんぞ。」

と、いいました。貞貫は、

「声が大きい、兄じゃ。我ら兄弟が心を合わせて、密かに殺してしまえば、誰にも分か

りませんが、我が手で殺せば、天罰が下るかもしれません。どうでしょうか、この嶋に

置き去りにするというのは。人里離れたこの嶋ですから、十日と命はもちますまい。こ

こに、打ち捨てて帰朝してしまいましょう。」

と、策略しました。貞澄はこれを聞いて、

「おお、それは、よい考えじゃ。」

と、賛成して、百合若大臣の太刀、刀を奪い取ると、さっさと端船に乗り込んで、母船

に戻ってしまいました。別府兄弟は、陣に戻ると、

「我が君様は、蒙古が大将、梁曹と組合いになり、そのまま海に没してしまわれた。」

と、嘘をつきました。軍勢みなこの嘘の報告にがっくりと力を落としましたが、兄弟の

命令に従って、日本へ向けて帰国することになりました。日本軍の大船団が、一度に

どっと動き出しました。

 この船音に、百合若大臣は、目を醒まして、辺り見回しましたが、誰もいません。か

っぱと起きあがって見てみれば、最早、我が船団は、遙かの海上に帆を上げていました。

「ええ、さては、別府兄弟め、心変わりをしたな。やあ、その船戻せ。」

と、声を限りに叫びましたが、船音高く、届きません。百合若大臣は、海に飛び込んで

泳ぎ着こうとしましたが、風を受けた船に追いつくことは出来ません。とうとう仕方な

く、元の嶋に泳ぎ戻りました。磯に立ち上がった百合若大臣は、茫々たる海を眺めて

呆れ果ててしまいました。

「ああ、口惜しや。それにしても、かつて、早離速離(そうりそくり:継母によって離

島に遺棄されて死んだ兄弟の話:早離は観世音菩薩:速離は勢至菩薩)が、捨てられた

時もこのような惨めさであったか。」

それにしても、早離速離の兄弟は慰め会うこともできましたが、百合若大臣は只一人、

草木も稀な小島に取り残されたのでした。蒼天は広々と無辺で、月の出る山もなく、朝

日が海から昇り、夕日は海に沈み、たまたま聞こえる声は、海鳥ばかり。明け行く夜は

遅く、暮れゆく日影は長く、ようやく、なのりそ(ホンダワラ)を摘んで飢えをしのぎ、

悲しみに暮れる日々を過ごすのでした。

 これはさておき、別府兄弟は、帰朝後に、まず豊後の御所へ行き、百合若大臣が戦死

したと嘘の報告をしました。

「君は、蒙古(むくり)が大将梁曹と組み合ったまま海に落ちました。我々は、形見の

品を持参いたしました。」

と、嘆くふりをして、太刀や刀を渡しました。これを聞いた御台所は、声を上げて泣き

崩れましたが、よくよく考えてみると、変な話しです。御台は、

『おかしな話しだ。敵と組んで海中に落ちたのに、どうやってこれらの形見を残すこと

ができたのだろうか。』

と、別府兄弟の報告を疑い始めました。御台は兄弟を捕らえて、拷問して責めれば、本

当のことを言うかもしれないとは思いましたが、死んでは居ないという証拠も無く、あ

まり騒ぎ立てて、狂乱したと言われても困るので、半信半疑のままに別府兄弟を帰して

しまいました。

 別府兄弟は、これで先ずは、首尾良く言ったと、兄弟揃って、都へと向かいました。

早速に参内した兄弟は、まことしやかに、帝に奏聞しました。

「この度の筑紫での合戦は、敵の蒙古(むくり)手強く、数度の合戦に及び、大臣も手

を焼きましたが、敵の大将、大臣を狙ってひっ組み、ついに両将諸共に海中に没しました。

詰めの戦いを我々兄弟で下知し、苦戦しながらもようやく、蒙古を退治して参りました。

とはいえ、大臣が討たれましたことは、帰国の甲斐も無い次第です。」

帝は、

「それは、無惨な次第である。大臣が無事に帰国あれば、日本の主としようと考えてい

たが、残念である。それでは、別府兄弟には、九州の国司を預けおくので、大臣の御台

所に仕えて、その上、大臣を懇ろに弔うように。」

との宣旨を下されました。兄弟は、ははっとばかりに下がりましたが、兄弟顔を見合わ

せて、

「いやいや、予想に反して、ありきたりの恩賞であったな。日本国をいただけると思っ

て、君を置き去りにしてきたのに。」

と、不平たらたらで、筑紫へと戻ったのでした。兄弟の心中は、はかなかりけりとも中々

申すばかりはなかりけり

つづく

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忘れ去られた物語たち 11 説経百合若大臣 ②

2012年03月28日 09時25分12秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ゆりわか大じん ② 

蒙古の梁曹(りょうそう)、百合若大臣に討たるる事

 蒙古(むくり)の大将梁曹は、二相を悟る神通の者でありましたので、百合若大臣が

攻めて来るのを既に悟り、

「敵の軍勢を近寄せてはならない。潮境まで打って出て、即時に勝負を決してくれん。」

と、四万艘の軍船に多くの軍勢を乗せて、唐と日本の潮境、筑羅(ちくら:巨済島)の

沖に陣取りました。同じ頃、百合若大臣の軍勢も筑羅の沖に到着しました。海上で両軍

は対峙して、互いに太鼓を打ち鳴らして鬨(とき)の声を上げました。これこそ六種振

動(ろくしゅしんどう)を見るが如くの凄まじさです。やがて、鬨の声が静まると、蒙

古の大将梁曹は、天地も響かす大声で、

「我らが、いくさの吉例には、霧降りの法がある。いざ、霧を降らせよ。」

と、下知しました。すると、キリン国の大将が船端に突っ立ち上がって、青息をほうと

つくと、なにやら術をかけて、辺りは一面の霧に包まれたのでした。この霧は、一日や

二日では消えず、百日百夜続きました。日本の強者どももこれには閉口して、呆れ果て

るばかりです。百合若大臣は、無念と思い、潮(うしお)をすくって手水(ちょうず)

を使うと、

「南無日本六十四州の大小の神祇(じんぎ)、この霧を晴らせよ。」

と、深く神仏に祈誓をかけたのでした。すると、仏神三宝もこれを不憫と思われて、俄

に神風が吹き、霧を吹き散らしたのでした。百合若大臣は、これを見て喜ぶと、蒙古

に多勢をかけるのも無駄なことと思い、僅か十八人の強者どもを率いて、一気に攻め込

みました。蒙古軍は、これを「蟷螂(とうろう)が斧」(※弱小の者が自分の力量も弁

えず強敵に向かうこと)と見下して、鉾を飛ばし釼を投げつけ、火花を散らして応戦し

ました。しかし、有り難いことに、百合若大臣の船の舳先に金泥で書かれている「尊勝

陀羅尼(そんしょうだらに)」の文字が、三毒不思議の矢となって、蒙古の眼を射潰し

不動の真言のカンマンの二文字が釼となって飛びかかり、観音経の「於怖畏急難(おういきゅうなん)」

の文字が黄金の盾となって、蒙古の矢を防いだので、味方を失うことはありませんでした。

力を得た百合若大臣以下十八名は、ここぞとばかりに鉄の弓矢を射かけます。やがて

接近戦となり、鉾、鉄杖ひっさげて互いの船に乗り込んで、入り乱れて火花を散らしました。

そうこうしているうちに、誰が射たのかは分かりませんが、白羽の矢が虚空より飛んで

きて、蒙古の大将梁曹の眉間を貫きました。そのまま狂い死にした梁曹をみた蒙古の軍勢は、

途端に怖じ気づいて、撤退を始めたのでした。百合若大臣はいよいよ勇んで、唐と日本

に戦いに勝ったぞと、勝ち鬨を上げたのでした。

百合若大臣の手柄の程、由々しかりとも中々申すばかりはなかりけれ

つづく

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