ゆりわか大じん ③
別府兄弟、大臣を嶋捨て、帰国の事
さて、そのままご帰朝あれば、何事も起こらなかったのでしょうが、百合若大臣は、
日本を背負っての長期にわたる戦いに疲れたのでしょう。別府兄弟を近付けると、
「この辺りに嶋が有れば、ひとまず上陸して、休みたい。」
と、命じました。兄弟は、端船(はしぶね)を降ろして、百合若大臣を乗せると、玄海
島(福岡県福岡市)に上陸させました。百合若大臣は、敷き皮の上にどうと横になると
岩角を枕として、忽ちに眠り込んでしまいました。剛の者の常と言いますか、一度寝入
り込むと、そう簡単には起きません。大臣は三日経っても起きませんでした。
さて、別府兄弟は、することもなく傍らに付き添っていましたが、諸々おしゃべりを
して居る内に、弟の貞貫(さだつら)が、こんなことを言い出しました。
「さて、この君は、御帰朝なされれば、日本国をいただくことになるのでしょうね。
私も、この君のような果報を得たいものです。」
兄の貞澄(さだすみ)はこれを聞いて、
「もっとも。君は左様に富み栄えるが、我々は大して変わりもなく、そのまま朽ち果て
るのがおちじゃ。まったく無念よの。しかし、お前はどう思うか。今なら、この君を討
って、主無き後を、我々で知行できるかもしれんぞ。」
と、いいました。貞貫は、
「声が大きい、兄じゃ。我ら兄弟が心を合わせて、密かに殺してしまえば、誰にも分か
りませんが、我が手で殺せば、天罰が下るかもしれません。どうでしょうか、この嶋に
置き去りにするというのは。人里離れたこの嶋ですから、十日と命はもちますまい。こ
こに、打ち捨てて帰朝してしまいましょう。」
と、策略しました。貞澄はこれを聞いて、
「おお、それは、よい考えじゃ。」
と、賛成して、百合若大臣の太刀、刀を奪い取ると、さっさと端船に乗り込んで、母船
に戻ってしまいました。別府兄弟は、陣に戻ると、
「我が君様は、蒙古が大将、梁曹と組合いになり、そのまま海に没してしまわれた。」
と、嘘をつきました。軍勢みなこの嘘の報告にがっくりと力を落としましたが、兄弟の
命令に従って、日本へ向けて帰国することになりました。日本軍の大船団が、一度に
どっと動き出しました。
この船音に、百合若大臣は、目を醒まして、辺り見回しましたが、誰もいません。か
っぱと起きあがって見てみれば、最早、我が船団は、遙かの海上に帆を上げていました。
「ええ、さては、別府兄弟め、心変わりをしたな。やあ、その船戻せ。」
と、声を限りに叫びましたが、船音高く、届きません。百合若大臣は、海に飛び込んで
泳ぎ着こうとしましたが、風を受けた船に追いつくことは出来ません。とうとう仕方な
く、元の嶋に泳ぎ戻りました。磯に立ち上がった百合若大臣は、茫々たる海を眺めて
呆れ果ててしまいました。
「ああ、口惜しや。それにしても、かつて、早離速離(そうりそくり:継母によって離
島に遺棄されて死んだ兄弟の話:早離は観世音菩薩:速離は勢至菩薩)が、捨てられた
時もこのような惨めさであったか。」
それにしても、早離速離の兄弟は慰め会うこともできましたが、百合若大臣は只一人、
草木も稀な小島に取り残されたのでした。蒼天は広々と無辺で、月の出る山もなく、朝
日が海から昇り、夕日は海に沈み、たまたま聞こえる声は、海鳥ばかり。明け行く夜は
遅く、暮れゆく日影は長く、ようやく、なのりそ(ホンダワラ)を摘んで飢えをしのぎ、
悲しみに暮れる日々を過ごすのでした。
これはさておき、別府兄弟は、帰朝後に、まず豊後の御所へ行き、百合若大臣が戦死
したと嘘の報告をしました。
「君は、蒙古(むくり)が大将梁曹と組み合ったまま海に落ちました。我々は、形見の
品を持参いたしました。」
と、嘆くふりをして、太刀や刀を渡しました。これを聞いた御台所は、声を上げて泣き
崩れましたが、よくよく考えてみると、変な話しです。御台は、
『おかしな話しだ。敵と組んで海中に落ちたのに、どうやってこれらの形見を残すこと
ができたのだろうか。』
と、別府兄弟の報告を疑い始めました。御台は兄弟を捕らえて、拷問して責めれば、本
当のことを言うかもしれないとは思いましたが、死んでは居ないという証拠も無く、あ
まり騒ぎ立てて、狂乱したと言われても困るので、半信半疑のままに別府兄弟を帰して
しまいました。
別府兄弟は、これで先ずは、首尾良く言ったと、兄弟揃って、都へと向かいました。
早速に参内した兄弟は、まことしやかに、帝に奏聞しました。
「この度の筑紫での合戦は、敵の蒙古(むくり)手強く、数度の合戦に及び、大臣も手
を焼きましたが、敵の大将、大臣を狙ってひっ組み、ついに両将諸共に海中に没しました。
詰めの戦いを我々兄弟で下知し、苦戦しながらもようやく、蒙古を退治して参りました。
とはいえ、大臣が討たれましたことは、帰国の甲斐も無い次第です。」
帝は、
「それは、無惨な次第である。大臣が無事に帰国あれば、日本の主としようと考えてい
たが、残念である。それでは、別府兄弟には、九州の国司を預けおくので、大臣の御台
所に仕えて、その上、大臣を懇ろに弔うように。」
との宣旨を下されました。兄弟は、ははっとばかりに下がりましたが、兄弟顔を見合わ
せて、
「いやいや、予想に反して、ありきたりの恩賞であったな。日本国をいただけると思っ
て、君を置き去りにしてきたのに。」
と、不平たらたらで、筑紫へと戻ったのでした。兄弟の心中は、はかなかりけりとも中々
申すばかりはなかりけり
つづく