猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語32 古浄瑠璃 親鸞記 ⑤

2014年06月21日 19時08分42秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 しんらんき ⑤

 親鸞上人は、ある時人々を集めて法談をするために高座を飾り付けました。国中から老若男女が門前に市をなす程に集まり、上人の御説法を今や遅しと待っております。やがて、親鸞上人が高座に上がられて、法話が始まりました。

 「さて、正月というのは、歳徳神(としとくじん)と言いまして、広く人々がお祝いを致しますが、その根源を尋ねてみますと、阿弥陀如来でいらっしゃいます。そういう訳ですから、私の法では、貧富にかかわらず只、念仏を唱えよと言うのです。又、七月には、精霊を祀りますが、そこでは、輪廻から解脱するために、七仏通を唱えることが重要です。(七仏通誡偈)ですから、それぞれの家で先祖を祀る必要は無いのです。さて又、修多羅(しゅたら)の経というものは、月を指差すその指の様なものです。あれが月だよと、指指しますが、次に見る時にはもう、指は必要無いでしょう。仏も同じこと、念仏以外の雑行(ぞうぎょう)は、いらないのです。八万諸経は、それぞれに仏を指し示していますが、すべて阿弥陀仏に集約され、五輪卒塔婆でさえ、阿弥陀の誓願に叶うものですから、なんの障りも無いのです。ですから、只、一心一向に、南無阿弥陀仏、お助け下さいと、信心深く唱えなさい。そうすれば、地獄に落ちるなどということは、決してないのです。」

 誠に有り難い説法に、鹿島の大明神も、二十丈(約60m)ばかりの大蛇になって聞き入っていました。それから明神様は、三十ばかりの男と姿を変えると、

 「大変有り難い教えです。」

 と、頭を垂れて、礼拝をなされるのでした。親鸞上人は、すぐに鹿島大明神の化身であると見抜くと、

 「おお、お気の毒に。五衰三熱の苦しみのために、ここまでいらっしゃったのですね。さあさあ、そうであれば、早速に、他力本願の易行念仏(いぎょうねんぶつ)をお授けいたしましょう。」

 と、御十念をお授けになったのでした。すると、大明神は、立ち所に五衰三熱から逃れることができたのでした。大明神は、有り難や有り難やと礼拝されると、

 「見たところ、ここには御手水水(ごちょうずみず)が出るところがありませんね。それでは、私が御報謝いたしましょう。」

 と、仰ると、鹿島の方を手招きなるのでした。すると、忽ちに井戸が湧き出で、滝の様に流れ出しました。(神原の井戸)更に手招きをされると、今度は、神馬に跨がって大天狗が現れました。大天狗は、御簾と御帳を抱えてきました。大明神が、

 「どうぞ、これをお使い下さい。」

 と、親鸞上人に献げますと、上人は、忝しと受け取って、

 「それでは、此上は、法名を授けることにいたしましょう。」

 と、鹿島大神宮に『釈信海』(しゃくしんかい)という法名を授けたのでした。大明神は大変喜んで、鹿島へとお帰りになったということです。ところが、その頃、鹿島神宮では社人達が大騒ぎをしていました。ご神前の御簾や御帳が無くなってしまったのです。慌てふためいている所へ、今度は、昔からある七つの井戸の内のひとつが、突然消えてしまったという知らせが入りました。人々は、いったい何が起こったのかと、話し合いましたが、埒も明きません。

 「御簾と御帳は、人が盗むということもあろうが、井戸がなくなるというのは、いったいどういうことだ。これは、天下に災いがある兆しではないか。あるいは、我々社人に何か災難が起きるのかも知れない。大明神にお供え物をして、ご託宣を伺う外はあるまい。」

 ということになりました。お供えをすると、やがて、十四五ぐらいの子供が、託宣を口走り始めました。

 「我は、この社の神霊なり。五衰三熱が苦しいので、親鸞上人に会いに行き、他力易行の念仏を授かった。その上、釈信海上人と法名を受けた。それで、親鸞上人に、井戸や御簾を報謝としてお渡しした。これからは、よくよく、親鸞上人を尊んで拝むように。」

 或る神主は、この託宣を知識に種として、早速に親鸞上人の御弟子となり、後々、都までお供をされたということです。兎にも角にも、親鸞上人の尊さは、何にも比べ様がありません。

 つづく

Photo (別板:東大本より)

 


忘れ去られた物語32 古浄瑠璃 親鸞記 ④

2014年06月21日 09時58分48秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

しんらんき ④

さて、越後の国府に流されていた親鸞上人は、ある時、共の者も連れずに只一人、常陸の国へ向かわれました。親鸞上人は、自ら笈を背負い、道中の所々で逗留しながら説法をして回りました。やがて、常陸の国笠間郡稲田と言う所にお着きになられると、ここに草庵を結ばれ、布教活動をされたのでした。(西念寺:茨城県笠間市稲田)
それはさて置き、其の頃、常陸の国には、山伏が多数おりました。山伏達は、

 「この上人が、来てからと言うもの、山伏の霊験を頼る者がいなくなった。」

 と愚痴をこぼしていましたが、中でも妙法坊という山伏は、

 「この上は、この坊主を殺害して、山伏達の瞋恚の怒りを静めよう。」

 と考え、触書を書いて国中に回しました。やがて、恨みをもった山伏達が大勢集まってきました。その数は総勢24名でした。妙心坊が、

 「皆さんお聞き下さい。親鸞とやらが、この国に来てよりこの方、山伏を頼りにする者も居なくまりました。こんな無念なことはありません。なんとかしてこの上人を殺害して、我々の法術を繁盛させようではありませんか。」

 と言うと、人々は喜んで、親鸞を待ち伏せして殺すことにしたのでした。親鸞上人がいつも通るという山道に、待ち伏せして、今や遅しと待ちましたが、その日は、親鸞上人は山道を通らず、遥か下の谷を通られました。山伏達は悔しがって、今度は谷に下って、上人が来るのを待ちました。するとその日は、上人は山道を通られます。次に山伏達は、山と谷に分かれて待ち伏せをしましたが、とうとう親鸞上人はお通りになりませんでした。山伏達は、集まって、

 「やはり、この上人は、通力自在だ。」

 と、騒ぎましたが、妙法坊が、

 「いやいや、皆さん聞いて下さい。そもそも、稲田の草庵を踏み破って討ち入り、吊し上げて首を掻き切ってやるつもりだったのですから、こうなったら、稲田の里に攻め込みましょう。」

 と言いますと、心得たりとばかりに二十四人の人々は、稲田の里へ急行して、親鸞上人の草庵を二重三重に取り囲んだのでした。山伏達が、我先にと争っていると、親鸞上人が現れました。皆水晶の数珠をつまくりながら、念仏をお唱えになっておられます。どこにも気負った所も無く平常心そのままです。二十四人の山伏は、逃がさぬぞとばかりに取り囲んで、太刀を抜き放ちました。しかし、山伏達は思わず、親鸞上人のお姿を尊く感じて、切り込むことができません。いったいどうしたことかと、思っていると、なんと不思議なことに、空から花が降り始め、異香が漂い、菩薩がご来迎されたのでした。親鸞上人のお顔は、金色の光で輝き、そのお姿は、阿弥陀如来として顕れたのでした。妙法坊を初めとして二十四人の山伏達は、持つ太刀もへなへなと取り落として、忽然と仏事に目覚めたのでした。人々は皆、頭を地に付けて、

 「さても、有り難し、有り難し。上人様が仏様でいらっしゃるとは、露にも知らず。このような事を思い立つ事の浅はかさよ。」

 と、涙を流して、

 「これからは、悔い改めて、上人様の教えに従いますので、どうか御法話下さい。」

 と懇願するのでした。すると、親鸞上人は、元のお姿にお戻りになり、

 「おお、容易いことです。そこで、よっく聞きなさい。阿弥陀の本願は、どのような悪人、女人であろうとも、南無阿弥陀仏を念じさえすれば、必ず極楽へ救い取るという誓願です。あなた方が、どんなに大悪人であっても、一心一向に、南無阿弥陀仏と唱えるのなら、成仏は疑いありません。南無阿弥陀仏。」

 と、お話になり、念仏を唱えるのでした。二十四人の山伏達は、頭巾、篠懸を金繰り捨てると、皆々そろって弟子となりました。まったく、親鸞上人の御法力は大変なものです。中々、言葉には尽くせません。(関東二十四輩)

 つづく