しんらんき ⑤
親鸞上人は、ある時人々を集めて法談をするために高座を飾り付けました。国中から老若男女が門前に市をなす程に集まり、上人の御説法を今や遅しと待っております。やがて、親鸞上人が高座に上がられて、法話が始まりました。
「さて、正月というのは、歳徳神(としとくじん)と言いまして、広く人々がお祝いを致しますが、その根源を尋ねてみますと、阿弥陀如来でいらっしゃいます。そういう訳ですから、私の法では、貧富にかかわらず只、念仏を唱えよと言うのです。又、七月には、精霊を祀りますが、そこでは、輪廻から解脱するために、七仏通を唱えることが重要です。(七仏通誡偈)ですから、それぞれの家で先祖を祀る必要は無いのです。さて又、修多羅(しゅたら)の経というものは、月を指差すその指の様なものです。あれが月だよと、指指しますが、次に見る時にはもう、指は必要無いでしょう。仏も同じこと、念仏以外の雑行(ぞうぎょう)は、いらないのです。八万諸経は、それぞれに仏を指し示していますが、すべて阿弥陀仏に集約され、五輪卒塔婆でさえ、阿弥陀の誓願に叶うものですから、なんの障りも無いのです。ですから、只、一心一向に、南無阿弥陀仏、お助け下さいと、信心深く唱えなさい。そうすれば、地獄に落ちるなどということは、決してないのです。」
誠に有り難い説法に、鹿島の大明神も、二十丈(約60m)ばかりの大蛇になって聞き入っていました。それから明神様は、三十ばかりの男と姿を変えると、
「大変有り難い教えです。」
と、頭を垂れて、礼拝をなされるのでした。親鸞上人は、すぐに鹿島大明神の化身であると見抜くと、
「おお、お気の毒に。五衰三熱の苦しみのために、ここまでいらっしゃったのですね。さあさあ、そうであれば、早速に、他力本願の易行念仏(いぎょうねんぶつ)をお授けいたしましょう。」
と、御十念をお授けになったのでした。すると、大明神は、立ち所に五衰三熱から逃れることができたのでした。大明神は、有り難や有り難やと礼拝されると、
「見たところ、ここには御手水水(ごちょうずみず)が出るところがありませんね。それでは、私が御報謝いたしましょう。」
と、仰ると、鹿島の方を手招きなるのでした。すると、忽ちに井戸が湧き出で、滝の様に流れ出しました。(神原の井戸)更に手招きをされると、今度は、神馬に跨がって大天狗が現れました。大天狗は、御簾と御帳を抱えてきました。大明神が、
「どうぞ、これをお使い下さい。」
と、親鸞上人に献げますと、上人は、忝しと受け取って、
「それでは、此上は、法名を授けることにいたしましょう。」
と、鹿島大神宮に『釈信海』(しゃくしんかい)という法名を授けたのでした。大明神は大変喜んで、鹿島へとお帰りになったということです。ところが、その頃、鹿島神宮では社人達が大騒ぎをしていました。ご神前の御簾や御帳が無くなってしまったのです。慌てふためいている所へ、今度は、昔からある七つの井戸の内のひとつが、突然消えてしまったという知らせが入りました。人々は、いったい何が起こったのかと、話し合いましたが、埒も明きません。
「御簾と御帳は、人が盗むということもあろうが、井戸がなくなるというのは、いったいどういうことだ。これは、天下に災いがある兆しではないか。あるいは、我々社人に何か災難が起きるのかも知れない。大明神にお供え物をして、ご託宣を伺う外はあるまい。」
ということになりました。お供えをすると、やがて、十四五ぐらいの子供が、託宣を口走り始めました。
「我は、この社の神霊なり。五衰三熱が苦しいので、親鸞上人に会いに行き、他力易行の念仏を授かった。その上、釈信海上人と法名を受けた。それで、親鸞上人に、井戸や御簾を報謝としてお渡しした。これからは、よくよく、親鸞上人を尊んで拝むように。」
或る神主は、この託宣を知識に種として、早速に親鸞上人の御弟子となり、後々、都までお供をされたということです。兎にも角にも、親鸞上人の尊さは、何にも比べ様がありません。
つづく