猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語 33 古浄瑠璃 明石 ⑤

2014年11月05日 21時53分33秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
あかし ⑤

 さても哀れな御台様は、都を立ち出でて東路を目指しました。
《以下、道行き:省略》
東海道を何日も掛けて旅した二人は、12月2日に、遠江の小夜の中山に着きました。ところが、御台様は、常磐にこんなことを言って、あわてさせました。
「私は、妊娠しています。もう苦しくて歩くこともできません。御産とは、どうするものですか。」
と、言うのです。飛び上がった常磐は、
「ええ、それは、大変です。急いで人里へ下りて、助けを呼びましょう。」
と、御台様の手を引きますが、もう一歩も歩けません。御台様は、その場に倒れ込んでしまいました。既に辺りは夜陰に包まれはじめ、その上、雪まで降り出しました。御台様が、微かな声で、水が欲しいと言うので、常磐は、雪を分けて水を探し始めました。谷の下の方で水音がします。常磐が、水を汲んで帰ろうとした時、降り積もる雪に道を失ったことに気が付きました。常磐は焦って、彼方此方とさまよいました。どうしても御台様の所に帰り付けません。やがて、夜が明けて来ました。すると、遠くから、赤ん坊の泣く声が聞こえてきます。常磐が、急いで駆け寄ってみると、若君が生まれていました。常磐は、若君を抱き上げて、御台様を懸命に暖めますが、その甲斐も無く、御台様は、既に亡くなっていました。
 その時、不思議な事に、どこからともなく、紫の袴を着た女が現れ、御台様の口に薬を入れたのでした。すると、御台様は蘇りました。二人が、
「あら、有り難や。」
と、手を合わせて拝むと、その女は、
「私は、熊野権現のお使いの者です。余りに不憫なので、命を助けにきました。しかし、命の代わりに、その子を捨てて行きなさい。」
と、言って消え失せたのでした。二人は、泣く泣く若君を捨てて、山を下ったのでした。
 一方、陸奥の国の住人で、信夫の庄司基隆(もとたか)という人は、申し子の為に熊野へ参詣して、権現から、ある霊夢を授けられました。そして、小夜の中山を通った時に、この赤ん坊を拾うのでした。赤ん坊を抱いた基隆は、駿河の国で、御台所と常磐と行き会い、
「小夜の中山で、ご出産なされたのは、あなたではありませんか。」
と尋ねるのでした。御台様は、言葉も無く、只、醒め醒めと泣くばかりです。この子の母が御台所であると分かった基隆は、信夫の里に親子共々を、連れ帰りました。そうして、御台様は、信夫の里で暮らすことになったのでした。
かの姫君の心の内の哀れさは、何に例えん方もなし
つづく

忘れ去られた物語 33 古浄瑠璃 明石 ④

2014年11月05日 20時48分50秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
あかし ④

 さて、御台様と乳母の常磐は、明石の消息を知る為に、都に行こうと考えましたが、追っ手の者から逃れる為に、山道を辿り、知らない谷や渚を回りました。冥途の道かと思う様な恐ろしい所を通り、書写山(兵庫県姫路市)の裏側に出ました。暫く休んでいると、道行く人が、
「あなた方の事かも知れませんが、後ろの方で、大勢の人々が捜し廻っていましたよ。」
と言い捨てて行きました。御台様と常磐は、驚いておろおろするばかりです。泣く泣く常磐は、
「今、里へ出るのは危険です。今夜は、この山中で夜を明かしましょう。」
と言いました。二人は、千草に鳴く虫たちと一緒に、泣き明かすのでした。さて、夜が明けると二人は、二重の衣装を、脱ぎ捨てて、落ちて行きました。
 やがて追っ手の者がやって来ましたが、脱ぎ捨てられている衣装を見ると、
「さては、身投げをしたな。」
と思い。あちこちと、捜し廻りました。しかし、とうとう死骸も発見できなかったので、諦めて帰って行きました。
 こうして、御台所と常磐は、ようやく都に辿り着き、五条の辺りに宿を取ると、先ず清水へとお参りに向かったのでした。明石殿の無事を祈って、深く祈誓を掛けていると、十八九の女房が、近付いて、話しかけて来ました。
「お見受けいたします所、深い思いがおありのようですが、こう申す私も、深い思いがあって、ここに参ったのです。と申しますのもこう言う次第なのです。播磨の国の住人で、明石の三郎重時様の御台様は、津の国の住人、多田の刑部という人の娘です。一昨年、熊野へご参詣の折、同じくご参詣の高松の中将殿に見初められました。中将殿は、明石殿の御台様を手に入れる為に、父の多田に明石殿を討つ様に命じました。多田は、いろいろと手を打ちましたが、討つ事ができず、とうとう、合戦となったのです。一日一夜の合戦で疲れ切った明石殿は、生け捕られて、奥州に流されたということです。かく言う私は、二条西の洞院(京都市中京区)の遊女、熊王と申す者で、明石殿が在京の折に宮仕えした者です。」
と、醒め醒めと泣くのでした。御台所は、心の内に、
『このような者まで、明石の身を心配してくれて、なんと心の優しいことか。』
と思い、涙に袖を濡らすのでした。それから、二人は終夜、語り合い、夜明けに泣く泣く別れをするのでした。御台様は、常磐に、
「常磐よ。明石殿は、陸奥という国で、まだ生きておられますよ。さあ、捜しに行きましょう。」
と言うと、立ち上がりました。御台所の心の内の哀れさ、何に例えん方も無し

つづく

忘れ去られた物語 33 古浄瑠璃 明石 ③

2014年11月05日 19時36分24秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
あかし ③

 播磨の明石に残された御台所は、都での出来事を夢にも知りませんでしたが、何やら胸騒ぎを感じている所へ、美山が明石殿の手紙をもたらしました。急いで、開いて見てみると、
『浅ましいことに、神では無いこの身の悲しさは、お前が引いた袂を引き分けたその日が、
今生の別れであるとは、分からなかった。どういうことかというと、高松の中将、天下の宮は、お前を妻として手に入れる為に、父の多田殿に沢山の褒美を与えて、私を殺そうとしていたのだ。こうなっては、もう討ち死にする外は無い。』
と、書いてあり、その辞世は、
『忘るるな 一夜、契りし呉竹の 葉に浮く露の ふちとなるまで』
とありました。御台所は、夢か現かと、泣き伏す外はありません。御台所は、
「親に背けば、五逆罪。夫には、二世の契り。私も、自害いたします。」
と、懐剣に手を掛けますと、乳母の常磐が駆け寄って、押し留め、
「おお、勿体ない。お待ち下さい。私が、何とかお隠しいたします。」
と、兎に角も、天下の宮の追っ手から逃れることにしたのでした。
 さて、都では、孝尚の太夫国春(たかなおのたゆうくにはる)を大将とする天下の宮の軍勢一千余騎が、明石殿へと押し寄せて、鬨の声を上げています。国春が門外に駆け寄せて、大音声を上げました。
「只今、ここへ寄せ来たる強者を、誰だと思うか。天下の宮の御内に、孝尚の太夫国春であるぞ。明石殿、覚悟いたせい。」
館の内で、これを聞いた、加藤輔高は、
「何、孝尚の太夫国春だと。我を誰と思うか。明石の乳母に、加藤の太夫輔高なるぞ。歳積もって七十四。出陣したる合戦は五十七度。ええ、いで手並みを見せん。」
と、名乗り合い、ここを最期と激戦となりました。加藤は、大勢に傷を負わせましたが、自らも十三カ所の傷を負い、明石殿の前に戻って来ると、
「都にての合戦で、この輔高、一番に討ち死にすること、なによりもって幸いなり。」
と言い残すと、かっぱと腹を十文字に掻き切って果てたのでした。明石殿は、
「輔高が、討ち死にする上は、もう惜しい命も無い。中将に一太刀浴びせて、返す刀で腹切って、死出の山に追いつくぞ。」
と言うと、駒引き寄せて、ゆらりと乗り出しました。七条の御所の前で、明石殿は、大音声で上げて、
「只今、ここに押し寄せた強者を、誰と思うか。播磨の国の住人、明石の三郎重時なるぞ。
歳積もって、十八歳。中将殿に見参。見参。」
と名乗られました。ここを先途と、再び激戦が始まりましたが、一日一夜の合戦に明石殿も疲れ果て、とうとう生け捕りにされてしまったのでした。明石殿は、高手小手に縛り上げられて、天下の宮の前に引き出されました。天下の宮は喜んで、直ぐに首を刎ねようとしましたが、母の女院が、止めました。女院は、牢舎させなさいと言うので、明石殿は、陸奥の国の住人、津軽の源八のところに幽閉されることになったのでした。無念なるとも中々、申すばかりはなかりけり


つづく

忘れ去られた物語 33 古浄瑠璃 明石 ②

2014年11月05日 17時46分30秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
あかし ②

前の御台の子であった太郎と二郎は遁世してしまったので、多田の刑部は、今の御台の子である三郎と四郎を呼んで、明石を討つ手を考えさせました。三郎は、
「明石の命を取る事など容易いことです。明石を騙して呼び出し、酒を飲ませ、べろべろに酔わせた所を、切って捨てれば良いことです。どうです。父上。」
と、答えました。多田の刑部は喜んで、
「おうおう、良い考えじゃ。お前達兄弟が生まれた時に植えた二本の松が、この頃、勢いよく伸びて来たが、どうやら、お前達の末繁盛を占っているようじゃ。」
と、まだ見ぬ夢物語をして、どっと笑いましたが、それこそ、運の尽き場としか、言い様がありません。


 それから多田は、明石に、遊びに来る様にとの文を書いて送りました。明石は喜んで参りますと返事をしたので、多田は喜んで、今や遅しと、明石の来訪を、手ぐすね引いて待ち構えるのでした。
 さて、明石殿は、乳母の加藤を大将として、五百余騎を率いて、津の国へと向かわれました。多田の館に着きますと、山海の珍味に、国土の菓子で迎えられ、沢山の酒を飲まされましたが、明石はまったく乱れる所を見せません。業を煮やした多田は、三郎、四郎を近づけて、相談を始めました。三郎が、
「それでは、毒の酒を盛りましょう。」
と提案したので、多田は早速に、毒酒を持って酌に立ちました。多田は、
「さあさあ、婿殿。この酒は、我が家に伝わる特別の薬酒じゃ。門外不出であるが、婿殿には進ぜましょう。」
と、毒酒を差すのでした。明石殿は、
「おお、これは、忝い。」
と受けると、ぐいと干されました。多田一門が、すわやと見守りますが、何も起こりません。明石殿は、熊野権現の申し子でありましたので、常に権現様がお守りになり、どんな毒酒を盛ろうと、たちまちに甘露の酒に変わってしまうのでした。その上、明石殿のそばには、乳母の加藤太夫輔高(すけたか)等が、左右に付き添い、常に守っているので、容易には手も出せません。とうとう、多田一門は、何もできないまま、明石殿は、播磨の国へお帰りになったのでした。
 多田の刑部は、地団駄を踏んで悔しがり、更なる計略を巡らし、今度はこんな嘘の手紙を書き送りました。
『都、天下の宮様よりの宣旨によしますと、此の度、聟揃えを行うということです。近国の聟は、急ぎ上洛せよとのお達しですから、明石殿も、急いで御上洛下さい。しかし、上洛には、沢山の兵は連れては行けませんので、お供は四、五人にとどめて下さい。』
この手紙を見た明石殿は、御受けなされて、11月10日に出立すると返事をしたのでした。
多田は、この返事を受けると、喜んで上洛し、天下の宮に早速に報告しました。
「此の度、国元で、明石を討ち取ろうと、色々企てましたが、うまく行きませんでした。そこで、偽りの手紙によって誘い出すことにしました。明石は、11月10日に播磨を出立するということですので、急ぎ軍勢を集めて、討伐なされませ。我が君様。」
これを聞いた天下の宮が、早速に号令されると、一千余騎の軍勢が集結したのでした。
 さて、11月10日になりました。明石殿は、乳母の加藤を大将として、選び抜いた強者五十人を共にして、京に向けて出発なされようとしましたが、御台所が、袂(たもと)に取り縋って、
「何故かわかりませんが、今日は、夢見が悪かったので、大変心配しています。どうか今回は、行くのをおやめください。」
と、言って離さないのでした。明石殿は、
「心配ない。直ぐ帰る。」
と言い残して、都へと向かったのでした。明石一行は、都に着くと、三条高倉に宿を取りました。すると、「熊王」という遊君が尋ねて来て、こう告げるのでした。
「あなたは、きっとご存じ無いと思いますが、あなたの妻が、熊野へ参詣した折、七条の天下の宮、高松の中将も同じく参詣しおりました。天下の宮は、御台所をご覧になって、横恋慕をされました。舅の多田を抱き込んで、あなたを殺し、姫を手に入れようとたくらんでいるのです。播磨六カ国を餌に踊らされた多田は、あなたを国元に呼んで殺そうとしましたが、うまく行かなかったので、今度、聟揃えなどと偽って、都へおびき出したのです。今、七条の御所には、雲霞の如くの軍勢が集まっています。」
熊王は、涙を流しながら、訴えました。明石は、これを聞くと、
「今にも、天下の宮の軍勢が、ここに攻めてくるでしょう。私は、潔く討ち死にいたしましょう。あなたは、早くお帰りなさい。」
と言うと、故郷の妻に宛てて、細々と文を書き綴りました。その文を、美山の安三郎に託すと、名残の酒宴を催すのでした。明石殿は、心の中で
『只、一筋に駆け入って、中将に一太刀くらわせてくれるわ』
と、決意するのでした。
彼の明石重時の勢いには、如何なる天魔鬼神も、面を向くべき様も無し
恐ろしし共中々、何に例えん方もなし

つづく