猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 26 古浄瑠璃 はなや(5)

2014年02月11日 18時14分28秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 はなや(5)

  さて、姉弟はようやく、都に辿り着いたのですが、哀れんでくれる者もおらず、
物憂い日々を送っておりました。そんな時に、宿の亭主は、御門のお触れを耳にしたのでした。
亭主は、
「そうだ、この頃お泊まりの修行者は、筑紫の人であったな。これはひとつ、
奏聞することにしましょう。」
と思い、急いで参内したのでした。亭主が、
「お尋ねの方かどうかは分かりませんが、筑紫から来た、幼い修行の姉弟が、
宿泊しております。」
と奏聞すると、大臣が急いで、御門に報告しました。早速に召し寄せることとなり、
亭主と官人達が、宿所へと押し寄せました。官人達は、
「御門よりの宣旨である。早く参内せよ。」
と、花若丸を引っ立てるので、花世姫は驚いて、
「なんと、情けも無いことをする人々でしょうか。宣旨と言うのならば、私も一緒に連れて
行って下さい。」
と言って、花若丸の袂に縋り付いて、離れません。泣きわめくお姿は、まったく目も当てられない労しさです。
しかし、官人達は、花若丸だけを、引っ立って、急いで内裏へと戻ったのでした。
連れて来られた花若丸に、御門は、
「筑紫の修行者とは、御前のことか。年端も行かぬその身で、修行をするとは神妙である。ここに、病人がおり、何をしても治らない。おまえは、本復させることができるか。どうだ。どうだ。」
と、迫りました。花若丸は、勅命を受けて、
「分かりました。私が后の病を治して、御門のお望みを叶えましょう。」
と答えると、お経を取り出して、観音経を読み始めました。
「念彼観音力。頼み奉る。南無大悲観音菩薩」
と祈られると、后は、もうすっかり回復したのでした。喜んだ御門は、
「おお、この度の働きの褒美として、筑前を与える。早く筑紫へ下向せよ。」
と宣旨を下されましたが、花若丸は、今こそ待ち望んだ機会であると思って、
涙ながらにこう奏聞したのでした。
「私は、相模の国に流罪となった、花屋の子供ですが、どうか父花屋に筑前をお与えいただき、も
う一度、都へお戻しくださるように、お願いいたします。」
涙ながらの奏聞に、御門は、
「むう、それは簡単なことだが、既に四五日前に、花屋を処刑せよとの勅使を立ててしまったので、
最早この世には無いであろう。気の毒なことではあるが、いくら嘆いても手遅れじゃ。大人しく筑紫に戻れ。」
と答えたのでした。それでも、花若丸は、重ねてこう願いました。
「譬え、命が無くとも、今一度、お許しの御判をいただきたく思います。」
重ねての奏聞に、御門は、やがて御判を下されたのでした。

 花若は、御門の御判を貰うと、早速に宿所に戻り、姉御に詳しく事の次第を話しました。
これを聞いた花世姫の喜びは、限りもありません。花世姫は、
「私も一緒に連れて行ってくださいな。さあさあ、行きましょう。」
と勇みたちました。しかし、花若丸は、これを聞くと、
「仰ることは、分かりますが、遙か遠くの道のりを、姉御様を連れてでは、時間が掛かって、
父御様の命が危うい。一刻も早く、私が下向して、父上と一緒に戻って参りますから、
姉御様は、ここでお待ち下さい。」
と、言うのでした。花世姫は諦めて、花若を送り出しました。花若丸は、駒に乗って、
相模の国を目指したのでした。かの花若丸の、心の内の焦りは、何かに譬えるものもありません。

 これはさて置き、相模の国には、花屋を処刑せよとの勅使が、既に到着していました。
横山殿は、仕方無く、花屋殿を呼び出すと、
「誠に残念なことですが、あなたを処刑せよとの勅使が参りました。ご用意下さい。」
と言い渡しました。花屋殿は、これを聞いて、
「致し方も無いことです。しかし、横山殿お情けは、決して忘れませんよ。最期に、
古里へ形見の文を書かせて下さい。」
と、硯と料紙を頼みました。花屋殿は、思いの丈を残さず書き記して、涙と共に、押し畳むのでした。
この便りを、必ず、古里に届けて戴きたい。深くお願いいたします。最早、思い残すこともありません。
それでは、お暇いただきましょう。」
と、花屋殿は、悪びれもせずに立ち上がりました。横山殿は、侍十人ほどを従えて、
由比ヶ浜へと、花屋殿を引き据えたのでした。
 鎌倉中の人々は、この処刑を見物しようと、我も我もと、集まってきました。
由比ヶ浜に引き据えられた花屋殿は、西向きに座り直して、こう言うのでした。
「私の古里は、西の国。これから行くのは、西方、弥陀の浄土。黄泉路(よみじ)の旅の空を、
阿弥陀光をもって、いよいよ照らして下さい。南無阿弥陀仏。」
これを聞いた、横山殿を初めとし、貴賤の群衆達は、
「げに、道理なり理(ことわり)なり」
と、袖を絞らない者はありませんでした。 

つづく

 


最新の画像もっと見る