それから、緑の前は、形部夫婦、乳母忍達を共として、都を目指しました。姫君の一向が、
漸く、母方の祖父、二条の大臣の館に着いた頃、父の道高も蝦夷征伐を終えて、無事に帰国
してきました。二条の大臣の館に目出度く一同が再会したのでした。人々の喜びは限りありません。
留守中の様々を聞いた道高は、形部を許して、
「お前の忠義は抜群であった。此の度の恩賞には、これまでの本領に加えて、弾正の領分
を与える。」
と、有り難いお言葉をお掛けになったのでした。形部が、余りの忝さに、畏まっていますと、
そこに勅使が来ました。何事かと、道高が、応接すると、勅使は笏を取り直して、
「龍神のお告げによって、道高が献上致した閻浮檀金(えんぶだごん)の仏像を、住吉大社
の近くに、御堂を建立して安置せよ。導師は源空上人(法然)とし、奉行は、道高が行え。」
と、命じたのでした。
そうして、道高は、畿内の職人達をかき集めると、住吉大社の北側に御堂を建立して、
神宮寺と名付けました。(住吉三大寺:神宮寺・津守寺・荘厳浄土寺)入仏の供養には、
導師源空上人が香華を供えて、浄土経三部・妙典(法華経)を高らかに読誦なされました。
大変、有り難いことです。ところが、その時に不思議な事が起こりました。住吉大社の方
から、金色の光に包まれた神々しい一人の童子が顕れたのです。その童子は、
「この頃、疫病が流行り、人々は皆大変悲しんでいる。これを救う本尊といえば、五大力
を置いて外は無い。さあ顕れよ。有り難い住吉明神の神徳。さあ見よ。薬師如来の本願。
衆病悉除(しゅびょうしつじょ)を。」
と告げると、一枚の絵像をさっと広げて、仏前に掛けたのでした。その仏画をようく見て
みますと、この絵は、五大力の尊体を、大変恐ろしげに描き表したものでした。髪は逆立っ
て、生い立ち、口が耳まで裂けている金剛憤怒の凄まじさには、どのような悪魔も厄神も、
恐れをなして逃げていくことでしょう。源空上人は、大変お喜びになられて、
「和合同塵(わごうどうじん)の利益は、今に始まる事ではありませんが、これは本当に末
世における奇特です。どうか、御本地の妙なる姿を顕されて、衆生を済度して下さい。」
と御念じになられました。すると、忽ちの内に、五大力のお姿は、五智の如来に変化して、
八十種好(はちじっしゅこう)のお姿を顕して、光を放ち始めたのでした。すると、十方
の世界から、数え切れない程、沢山の菩薩が下られて、五智の如来の回りを取り囲むのでした。
大変有り難い次第です。その時、彼の童子は、
「この五大力菩薩は、五智如来の本地垂迹です。先ず中尊には、大日如来がいらっしゃいます。
右上は、西方安養浄土(あんにょうじょうど)の阿弥陀如来。右下は南方に当たって、宝生
如来がお立ちになっておられます。さて左の上は、北の方丈を指し、釈迦如来がいらっしぃます。
左の下は、東方の浄瑠璃世界に阿閦如来(あしゅくにょらい)がいらっしゃるのでございます。
皆、法性の台から降りられて、現世の塵に交わり、諸々の病苦を取り除くだけでなく、来世
において、無為安全の浄土に入れる様に、御方便をお示しになられるのですから、努々(ゆ
めゆめ)疎かにしてはなりません。」
と、説法をして、仏前の狛犬に跨がりました。すると、不思議にも、木像の狛犬は、忽ち
自由に動き出し、雲井に向かって飛び立ちました。最後に童子が、
「我々は、一切の邪魔の障礙を打ち払う、大聖不動明王であるぞ。」
と、言い放つと、その姿は不動明王と変化して、迦楼羅炎(かるらえん)の光明に包まれて、
天高くに昇って行ったのでした。貴賤僧俗を問わず、渇仰の頭を傾けて、拝んだということ
です。誠に有り難いともなんとも、申し様もありません。
終わり
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