中将姫⑤
さて、中将姫が雲雀山から都にお帰りになられて、暫くした頃のことです。姫君は十六歳
になられました。そして、后の位に就く話が再び持ち上がったのでした。しかし、姫君は、
「例え私が十全万葉の位に就いたとしても、無間八難の底に沈むことから、救われる訳では
無い。出家をして、母も継母も回向しよう。」
と、菩提の心がむくむくと湧いて来たのでした。
「私が、無断で忍び出ることは、親不孝なことかもしれませんが、私が先に浄土へ行き、
父を迎えることこそ、真実の報恩であると信じます。」
と、姫君は誓うと、その夜の内に、奈良の都を出て、七里の道を急いで、当麻の寺へと向か
ったのでした。姫君は、寺に着くと、とある僧坊に立ち寄って、出家の望みを伝えましたが、
上人は、
「まだ、幼いあなた様が、どうして出家などなされるのですか。思い留まりなさい。」
と、諭しました。しかし、姫君は重ねて、
「私は、無縁の者で、頼りにする所もありません。殊に、親のご恩に報いる為に思い立った
出家ですから、どうか平にお願い申し上げます。」
と涙ながらに頼むのでした。さすがに、上人も哀れと思われて、
「それでは、結縁申しましょう。」
と、背丈ほどある黒髪を下ろし、戒を授け、その名を、善尼比丘尼(※実際は法如)と付け
たのでした。
ある時、善尼比丘尼は、本堂に七日間、籠もられて、
「私は、生身(しょうじん)の弥陀如来を拝むまでは、ここから一歩も出ません。」
と大願を立てられて、一食調菜(いちじきちょうさい)にて、一年間の不断念仏行に入られ
たのでした。
仏も哀れに思し召したのでしょうか。第六日目の天平宝字七年六月十六日(763年)の
酉の刻頃(午後6時頃)に、五十歳ぐらいの尼が現れ、中将姫の傍にやって来たのでした。
すると、その尼は、
「汝、生身の弥陀を拝みたいのであるならば、蓮の茎を百駄分(馬一頭分の荷駄:135Kg)
を調えなさい。そうすれば、極楽の変相を織り表してお目にかけましょう。」
と言うと、掻き消すように消えたのでした。善尼比丘尼は、
「あら、有り難や」
と、西に向かって手を合わせると、
「願いが叶った。」
と御堂を飛んで出るのでした。そして、父の所へ真っ先に行き、事の次第を話すのでした。
不思議に思った父大臣は、この奇跡について、さっそく御門に奏聞しました。すると、御門
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