まつら長者(小夜姫)② さて、小夜姫の発心の話はひとまず置いて、奥州陸奥の国の安達の郡(ごおり)というと、現在の福島県郡山市付近のことです。現在、安積山(あさかやま)の山麓に日和田町がありますが、この付近は盆地となっていて、その昔は、大きな沼であったと言われています。この沼のことを安積沼と呼んだそうです。その沼には、大蛇が棲んでおり、年に一人づつ、美しい姫を身御供(みごく)に供えなければ、大蛇の祟りがあるというのでした。 【現在も福島県郡山市日和田町日和田にある蛇骨地蔵には「佐世姫物語」が伝わっているという話です。】 その年、身御供の当番に当たったのは、裕福な商人であった「権下の太夫」でした。この身御供に供える姫を買うために、権下の太夫は約一ヶ月をかけて、ようやく都へ辿り着きました。初めに京都の一條小川(こがわ)で高札を出してみましたが、誰も身を売る者は無く、丁度、小夜姫が発心をした頃には、奈良にやってきて「つるや五郎太夫」に宿を取っていたのでした。 人買いの高札を見た小夜姫は、 「おお、これは嬉しい高札じゃ、これよりすぐに身を売ろう。」 とも思いましたが、このまま身を売ってしまっては、母上様とも生き別れになってしまうと思い直して、母に別れをしようと一度壺阪の館に戻ることにしました。 一方、既に日時を費やしていた権下の太夫は、ここでも姫を見つけることが出来ずに、いらいらと無駄に日を送っていましたが、ある夜の夢想に春日の明神のお告げがありました。 「これより南の方の松谷という所に、まつら長者という富豪が居たが、今は宝も消え果て貧者の家となり、館には御台と娘が只二人おるのみ。この娘なら売るということがあるかもしれないぞ、太夫殿。」 権下の太夫は、はっと飛び起きると、早速に松谷に急ぎました。松谷にやってくると、長者の館らしい大きな門が見えましたが、瓦も軒も崩れ落ちて、みすぼらしいばかりです。権下の太夫は、恐る恐るに大広庭に入ると、物申さんと呼ばわってみました。 既に人の出入りも絶えて久しかったので、小夜姫は、誰が来たのかと、いぶかしげに顔を出しました。廃屋同然の館から出てきた美しい小夜姫の怪しさに、太夫は少したじろぎながらも 「いや、怪しい者ではござらん。私は都の者であるが、身を売る姫があるなら、高値で買うためにこれまでやってきた。」 と、嘘混じりに告げました。小夜姫は、春日明神のお引き合いと嬉しく思い、即座に、 「それは、それは、商人様、私を買ってください。値は太夫殿にお任せいたします。親の菩提を弔うために、ようやく身を売ることが出来ます。」 と、答えました。太夫は、 「親の菩提を弔うためというからは、高値で買ってあげましょう。」 と、五十両を懐から取り出すと、その場で小夜姫に渡しました。喜んだ小夜姫は、 「有り難い、有り難い、商人様、これより五日の暇を下さい。その間に父の菩提を弔いたいと思います。五日目の八の刻頃に、再びお迎えください。」 と、固く契約を交わすと、太夫はすっかり安心してひとまず宿に帰りました。館の中へ取って返した小夜姫は、急いで母の元に戻ると、嬉々として言いました。 「母上様、これをご覧下さい。この黄金(こがね)を、表の門外で拾いました。この黄金で、父上様の菩提を懇ろに弔ってください。」 小夜姫が身を売ったとも知らない母は、小夜姫の志が深いので、天がお与えくださったかと思い、小夜姫の言うままに、多くのお坊さんを呼んで、出来る限りの盛大な供養を行ったのでした。 さて、念願の父の菩提を無事に弔うことができた小夜姫は、約束の五日目に、母親の前に居ずまいを正すと、 「母上様、父の供養が無事に済んだ今は、もう何も隠すことはございません。実は、私は人商人に身を売りました。これより、いづくとも知らない国に参りますが、どこの国に行こうとも、必ず便りを出しますから、どうぞ嘆かないでください。」 と、言いました。突然のことにびっくりした母親は、小夜姫に抱きついて、情けない、情けないと泣き崩れました。しかし、最早太夫が迎えに来る時分です。気丈にも小夜姫は、涙ながらに母親を振り切って表を指して立ち上がりました。なおも、母は小夜姫に取りすがって 「小夜姫、しばらく、お待ちなさい。今しばらく。」 と、持仏堂に入ると別れを惜しんで、二人で読経を始めました。そこに権下の太夫が、小夜姫を迎えに来ますが、約束の時刻が過ぎても一向に現れません。業を煮やした太夫が、大声で呼ばわりますが、人の気配すらしません。大きに腹を立てた太夫は、ずかずかと館の中を探しまわって、持仏堂で一心不乱に読経している二人を見つけました。 「いかに、姫、こんなところで何をしておる。時刻は過ぎた。早くしろ。」 と、太夫は小夜姫の腕をひっつかむと、門の外へと引きずり出しました。母は、取りすがって、 「情けも無い、太夫殿、まだ幼き者、乱暴せず、許してくだされ。」 と、泣きわめいて離れません。とうとう太夫も仕方なく、 「分かった、分かった。上﨟殿よ。この姫を我が末の養子にして、いずれかの大名へ奉公に出したなら、お前様へ、迎えの輿(こし)を差し向けましょう。」 と、その場限りの取りなしをすると、母親を無理矢理に引き離しました。母親は、道端に一人打ち捨てられ、小夜姫はこぼれる涙もそのままに、太夫に引きずられて館を後にしました。涙、涙の別れは、哀れとも、なかなかに申すばかりはありません。
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