古説経末期の作品であり、浄瑠璃の影響が色濃い。奇を衒う(てらう)設定や、合戦などを取り入れることで、受けを狙ったのであろうが、説経本来の情感を失ったストーリーとなっている。また人形操り的には、絡繰り(からくり)を多用したものと思われる。
もうひとつの竹生嶋弁財天の本地を語る「まつら長者」とはまったく異なるストーリーであるが、天照大神のお告げにより聖武天皇が、行基に命じて竹生嶋宝厳寺を開基させたという史実に基づいているのは、こちらの方である。但し、元正天皇を聖武天皇の母として設定したり、(実際には、叔母にあたるが、聖武帝を我が子同様に庇護した。)実在しない聖武帝の兄、大魔岩富の宮なる人物を設定して、活劇に仕立てようとするなど、史実にそぐわない無理な設定が目立つが、全体として、大仏を建立した聖武天皇を神格化しようとする試みがあるように思われる。
竹生嶋弁財天の御本地 ①
さて、いろいろと思いを巡らせてみますと、三界(さんがい:欲界・色界・無識界)
は、龍車のように、生まれては死に、死んではまた生まれ、いつになったら苦しみを逃
れることができるのでしょうか。だから仏様も、「三界無安猶如火宅」(さんがいむあん、
ゆにょかたく)、どこに行っても、火のついた家のように、落ち着いてはいられず、不
安定な世界なのだとお示しになったのでしょう。しかし、これを不憫と思われて、衆生
の貧を救い、福徳を与えようとされる仏様が、ここにいらっしゃいます。その仏様を詳
しく尋ねてみますと、近江の国、竹生嶋の弁財天がそれなのです。
竹生嶋は、景行辰の十年(西暦80年)に、金輪際(地底)より、五水を分けて、忽
然と現れた山です。ご本尊の弁財天は、行基菩薩が、初めてこの嶋に参詣した時に、開
眼なされました。さて、この勧請を命じたのは、人皇四十五代の御門、聖武天皇でした。
この御門は、神代よりこの方、一番の賢王でありましたので、吹く風は枝を鳴らさず、
民のかまども賑わい、大変に目出度い御代でした。時の摂政には、前の左大臣道成(道
成寺を建立)。右大弁(うだいべん)惟喬親王(これたかしんのう)。両臣、いずれも私
無く仕えました。天下の武将には、欽明天皇の末孫で、曾我の大臣(おおとも)に十一
代の孫に当たる丹海公藤原経正(ふじわらつねまさ:不明)がいます。経正は、年齢十
八歳。威勢抜群、百人力で、唐土まで聞こえた古今無双の若武者でした。この経正の郎
等には、海道丸照秀(かいどうまるてるひで)、岩堂丸(いわどうまる)、金道丸(かな
どうまる)という、いずれも劣らぬ大剛の強者(つわもの)が居ました。その外、公卿
大臣、皆、聖武天皇を敬って仕えたので、四海の浪は静かで、目出度くも平和な世の中
を治められていたのです。
これはさて置き、その頃、近江の国、滋賀の里には、大魔岩富の宮(だいまいわとみ
のみや)という者がいました。その有様は、普通ではなく、背丈は九尺四寸(約3m)
色は、浅黒く、頬骨が飛び出て、眼(まなこ)は逆さまに切れており、朝日に照らした
その顔は、まったく夜叉の様でありました。この大魔岩富に付き従う眷属には、御影
の鉄扇景虎(みかげのてっせんかげとら)とその舎弟、悪道、悪七、悪四郎がおりました。
ある時、岩富の宮は、彼ら四人を集めて、こう言いました。
「いかに汝ら、この世の中で、包むべきは、悪心である。我は、幼少より、悪を好むた
めに、御母である元正天皇の勘気を蒙り、皇位も許されず、二の宮の聖武帝に代を奪わ
れてしまった。我は、悪王となり、このような田舎に押し込められ、空しく朽ち果てる
しか無いのは、誠に無念である。これというのも、元正天皇は、我にとっては、継母で
あるからである。そこで、逆心を持って兵を起こし、二の宮聖武帝を初め、一味の公卿
どもを掴み拉ぎ(つかみひしぎ)、大魔王と呼ばれようと思うが、お前達は、どう思う
か。」
兄弟の中でも、悪七が答えて言いました。
「仰せは、ごもっともではありますが、こちらは、僅か二カ国ばかりの小勢力です。天
下に打って出て、し損じては、一大事です。力で叶わぬ時には、調伏するに越したこと
はありません。祈祷をしてはいかがでしょうか。」
大魔岩富は、成る程と思い、調伏をすることにしました。岩富は、悪日を選ぶと、八方
四面に釼(つるぎ)で切った御幣を飾り、人間の油で灯明を燃やし、仏供(ぶく)には、
羊の内臓を盛り、柳の木を削って人形(ひとがた)を拵えると、第六天の魔王の絵を
本尊として、魔界の法で、祈祷を始めました。
「上は、欲界、無色界。下界の悪霊、無間奈落(※地獄)の悪鬼、外道に至るまで、
ことごとく、驚かせ、我が念ずる所の妄念を、晴らさせ給え。ギャソンギャテイ、ダン
ナクチエジザイ、ウンタラカンマン。」(原文のママ:真言と解すると、ウンタラタカンマン(不動明王)に該当すると思われるが、前段は不明。般若心経の羯諦羯諦カ:又、断悪智慧自在と読めなくは無い)
大魔岩富の宮は、振り上げた数珠の緒も切れよとばかりに責め立て、強く祈祷をすると、
なんと壇に飾った釼が跳び上がり、人形(ひとがた)を貫きました。人形は、たちまち
燃え上がり、煙となって消えたのでした。大魔の宮は、祈願が成就したと喜びましたが、
天は、誠を守るものでございます。その魔術は、聖武天皇には届かずに、母親の元正の
身の上に降ったのでした。元正は、突然、万死の床についてしまわれたのです。
突然の御病気に、聖武天皇は驚いて、片時もそばを離れずに、様々看病をなされまし
たが、一向に病状は回復せず、日々悪化するばかりです。聖武帝は、悲しみの涙に打ち
しおれておりましたが、やがて摂政関白、公家、大臣を集めると、
「なにとぞ、神力をもって、母上のお命を助けようと思う。誰か力のある沙門はいないか。」
と、言いました。摂政は、謹んで、
「はい、和泉の国に、行基僧都(ぎょうぎそうず)という、尊き知識の僧がおります。
これを、参内させて、ご祈祷なさるのが良いでしょう。」
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