したのは、萬治四年(1661年)のことであり、元禄の初めぐらいまで約30年間は、 江戸古説経の黄金期と言えるようだ。(説経正本集第3:天満八太夫雑考:信多純一) 説経正本集第3(40)に収録された「毘沙門之本地」は、宝永八年(1711年)出版 と推定されているが、再版であることは明かなので、原刻は、その12年前の貞享四年(1 687年)であろうとされている。まだ、天満八太夫が元気な頃の説経であり、仏神の奇譚 を、絡繰りを駆使して見せたであろう、説経らしい舞台が目に浮かぶ。 毘沙門の本地① そもそも、京都の鞍馬寺にいらっしゃる毘沙門天王の由来を、詳しく尋ねてみますと、 天竺の傍にありましたクル国にまで遡ります。クル国の王様は、三皇五帝の後を継いで、国 を治めておりました。吹く風も、枝を鳴らさない程に、穏やかな国で、剣は箱の中にしまっ たままだったということです。摂家、六位の公卿達は、昼夜に精勤して、国王を守護し、下 は、首陀(しゅだ:シュードラ)の人々まで、幸せに暮らしたというほどに、栄えていまし た。しかし、そのような素晴らしい国王でさえ、八苦を逃れることはできないのです。 国王は、もう百歳近い老体でしたが、跡継ぎが一人もおらず、そのお嘆きは、大変深い ものでした。卿相雲客達が集まっては、いろいろ相談をしましたが、願いは叶いませんでした。 ある時、家臣の一人が、こう申し上げました。 「今も、昔も、王子が無い国は、滅んでしまいます。諸天の神々に、王子を授けて頂く様、 願を掛けては如何でしょうか。」 王様は、願を立てようと思い立って、内侍所(ないしどころ)に籠もらるると、大梵天王宮 を勧請になり、様々な祈祷を始めたのでした。 「南無帰命頂礼(なむきみょうちょうらい)大梵天。その昔、陰陽の二道に分けられてより この方、夫婦、人倫の道あり。ですから、普天率土(ふてんそつど)の精よ、お願い致します。 凡そ、身分の上下を問わず、世継ぎを持たなければ、必ずその家は絶えてしまいます。これ を悲しまない者があるでしょうか。どうか、神々の感応を戴き、一子をお与え下さい。」 と、王様は、深く祈るのでした。有り難いことに、梵天王は、これを不憫とお思いになられ、 紫雲に乗って、王様の枕元に立たれたのでした。梵天王は、 「如何に、大王。お聞きなさい。あなたの嘆きを不憫に思って、三界を飛行して、あなたの 子種を捜し回りましたが、残念ながら、あなたの子種はありませんでした。あなたに子種 が無いことには、理由があります。あなたは前世で、西の崑天山(こんてんさん:崑崙山脈カ)の 峰に棲む小鷹でした。沢山の鳥類を食べたので、その業因が積もって、子種が無いのです。 又、この国の王として生まれたことにも、理由があります。崑天山の山中には、弥陀経を 読誦する法師がおりましたので、そのお勤めの声を、毎日聞いていたのです。その聞法の 功徳によって、現世で、この国の王となったのですよ。過去の因果を知らずに、嘆くとは 不憫なことです。しかし、あなたは大願をお立てになったので、玉体の天女を一人、与える ことにしましょう。」 と言って虚空を招くと、異香が漂い、花が降り始めました。すると、天人菩薩が、姫を抱い て、天より降りて来たのでした。やがて、姫を内侍所に安置すると、梵天王達は、再び天へと 帰っていきました。王様とお后様が夢から覚めて、 「有り難い夢を見た。」 と、辺りを見て見ると、可愛らしい女の子が居たのでした。后が、駆け寄って抱き上げました。 「あなたは、我が子となったのですよ。なんという嬉しい契でしょう。元気に育って下さいね。」 と、その喜びは限りもありません。そして、不思議なことに、姫君の姿を見た途端、王様も お后様も、もう九十歳を越える年齢であったというのに、三十代の若さに戻ったのでした。 国中の人々が喜んだのは、言うまでもありません。 姫宮は、人間の子では無く、天の麗質を具えていましたので、その眉目と言い貌と言い、 言葉では尽くせぬ美しさです。やがて、その噂は広がって、近隣諸国の王子達は皆、姫宮に 恋い焦がれるようになったのでした。さて、クル国は、豊かに栄えて、千秋万歳の喜びは、 なかなか、言い尽くせるものではありません。 つづく
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