かまだびょうえまさきよ ②
金王を騙すことができず、さんざんに脅された長田は、ぶるぶると震えて、座敷から
逃げ出ると、義朝の御前に行き、先ず、空泣きをして見せました。義朝公は、ご覧になり、
「おや、どうした荘司。何を泣いているのか。」
と、言いました。長田は、
「さればです、君のご馳走のための蓬莱の仕度に、魚と鹿を調達させておりますが、五人
の子供を鹿狩りにやりました所、内海に仕掛けた網の奉行になる者がおりません。そこで、
渋谷殿に、奉行をお頼み申したのですが、この年寄りの荘司に、散々の悪口雑言。
今、危うく命長らえて、これまで来たという訳です。」
と、さめざめと泣き真似をするのでした。義朝は、これを聞いて、
「あの金王は、物狂いの所があるからのう。私が、なだめすかして、奉行に出るように言っておこう。」
と、答えました。長田は、しめしめと、一礼して、下がりました。やがて、金王が呼ばれました。
金王は、
「さては、長田の荘司め、君に訴訟したな。ええ、殿に万一のことあらば、奴めの
そっ首、ねじ切って捨ててやる。」
と、思い切って、御前に出ました。義朝は、金王の様子をご覧になり、静かに言いました。
「如何に金王。都より、長田を頼んで下る我々は、長田を、山ならば、須弥山よりも、
尚、頼もしく思う身であるぞ。ちょっとぐらい、気に食わぬことがあっても、何で、奉
行を引き受けないのだ。その上、漁猟は、若者の仕事ではないか。お前の様な若い剛の者には、
たいした仕事でもあるまい。奉行に立って、年老いた長田に協力してあげなさい。金王丸よ。」
と、言いました。金王は、これを聞いて、
「それがし、奉行が厭で断ったという訳ではありません。長田の様子を良く、観察しますに、
心変わりがあると思われます。今回の事は、君を騙して、討ち滅ぼそうとする計略に違いありません。
ここは、この金王にお任せ下さい。」
と言いました、金王は、奉行に立つ気は、さらさらありません。義朝は、これを聞いて、
「もし、そうだとしても、どうしようも無い。長田が翻意したとしても、外に頼る所があるのか。
また、もし、翻意していなかったら、後々の恨みを何とする。只々、黙って奉行に行くのだ。」
と、重ねて諭しました。金王は、涙を流して、
「ええ、埒の明かない君のお言葉です。東岱前後の夕煙(とうたいぜんごのゆうけむり:火葬の煙)
遅れて行くも先立つも、世の習い。もし、内海において、私が討ち殺されなかったなら、
再びお目に掛かりましょう。」
と言うのでした。義朝は、
「不吉なことを言うでは無い。金王よ。門出の祝いじゃ。」
と、お手ずから、酒を注ぎ下されるのでした。金王は、これを三度、押し頂きました。
それから、金王は、奉行に出る仕度をしました。先ず肌には、唐紅の小袖を引き違え
に着ると、滋目結(しげめゆい)の直垂に、四つのくくり紐をゆるゆると垂らします。
黒糸緋縅(くろいとひおどし)の胴丸(鎧)に、肩上(わたがみ:肩の部分)を付けると、
草摺長(くさずりなが:大腿部の垂れ)を下げました。まさに、巳の時(みのとき:物の盛り)
の輝きというばかりの出で立ちです。結い上げた帯を、力一杯締めると、全部で、三腰
の刀を差しました。箙刀(えびらがたな:短刀)、四尺三寸の首掻き刀、三尺五寸の角
鍔(かくつば)の厳物造り(いかものづくり)を、重ね履きに履いて、四尺八寸の大薙刀
を、ぶーんと振り担げる(かたげる)と、ゆらりゆらりと、外に出ました。金王は、
「君の運命が、尽きることがあれば、長田の謀略をご存じないことが口惜しい。もし、
内海において、手向かいする奴輩が居るのなら、何百もやって来い。この薙刀で、片っ
端からなぎ倒し、内海の大海を、死人で埋め尽くしてくれるわ。」
と、歯がみをすると、ずんずんと、内海に向かったのでした。
さて、金王の話しは、ひとまず置いて、鎌田兵衛正清は、その夜も更けたので、御前
を退出し、廊の館へと帰りました。(※廊の方:長田の娘=鎌田の妻)
鎌田は、弥陀石と弥陀若の二人の子供を、膝に乗せると、後れの髪を掻き撫でてながら、
涙を流して、こう言うのでした。
「この正清が、都での多くの合戦を戦いながらも、不本意に、生き長らえてきたのは、
只、お前達がいるからだ。何時か、お前達が成人したなら、父の共をさせて、恥ずかし
ながら、小弓に小矢でも一筋でも射させ、殿のお役に立たせようと考えていたからだ。
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