永平寺開山記 ②
さて、神道丸は、亡くなった実の母ことを、片時も忘れぬ親孝行者で、毎日花を摘み、香を焚いて菩提の回向を欠かすことはありません。女人の成仏は成り難しと聞いてからは、法華経提婆品を読誦して、今日も母の仏果菩提のためと、継母の怖ろしい企てもしらぬまま、お祈りをされておりました。
すると、そこに突然金若丸がやってきました。金若丸は、
「兄上、父上様がお呼びです。早くお出でください。」
と言うのです。神道丸は、先ほど、一家中を集めてお話をしたばかりなのに、いったい何の御用事ができたのだろうと怪訝に思いながらも、立ち上がると、突然、金若丸は、袖を取って、
「のう、兄上様、お願いがあります。兄上が召されている小袖の模様が、あまりにも美しく見事なので、私に譲っていただけないでしょうか。」
と、言いました。神道丸は、何を突然にと笑いながら、
「なんだ、そんなことか。」
と、小袖を脱ぐと、金若丸の後ろに回り、優しく袖を通させました。
「すぐに戻るから、待っていなさい。今宵は、ここで、これからの事などをゆっくりと語り合おう。」
と、金若丸に優しく声を掛けると、金若丸は、これが今生の見納めかと、耐えかねて涙が溢れてきました。神道丸は不審に思って、
「どうしたのだ、金若よ、さては、父上様のご機嫌でも損なったのか。安心せよ。私が行って父の機嫌を治してこよう。」
と、言いますと、金若丸は、
「いえいえ、そんことはありません。家督を継がれた兄上様の御姿が、大変ご立派で、父上様にそっくりですので、感激いたしました。父より後は、兄上様、心足らずのこの金若ではありますが、よろしくお見立てください。」
と、今生の別れを込めて泣き崩れました。神道丸は、
「何を今から、弱気なことを、母上もまだまだご健在、もし、父が亡くなったなら、この兄を父とも兄とも思えば良い。しょうがない弟だな。」
と、金若を慰めると、帰るまでまっていろと言い残して出かけて行きました。
一人残った金若丸は、
「兄上様、兄弟、理無き(わりなき)別れも知らずに、最後まで私に力をお与え下され有り難う存じます。これが、今生の別れで御座います。」
と、泣き口説いていましたが、やがて、
「いやいや、こんなに泣いてばかりいては、今にも将監が忍び入り、せっかくの計画が台無しになってしまう。」
と、心強くも、父母へ、心ばかりの暇乞いをすると、神道丸の小袖を羽織って、そばにあった小机に寄り添って、最期の時を、今や遅しと待つのでした。その金若の心の内は、なんとも哀れなことです。
そうこうするうちに、木下将監は、神道丸の首討ち取るために、夜陰に紛れてやってきました。
庭の籬垣(ませがき)を押し分け、押し破り、つつっと忍び込むと、そこに神道丸ありと見て、金若丸の御首を、ズバッと打ち落としたのでした。首を小袖に包むと、即座にその婆から逃れました。将監は、
「心ならずの悪逆は主命なり。」
と、詰めていた息をほっとつきましたが、その心の葛藤の苦しみは、言う言葉もありません。かの木下将監の行く末は、なんとも危うし、危うし。
つづく
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