以前、こちらの ブログ記事 でもご紹介しました、
『ボクたちクラシックつながり』(青柳いづみこ 著)
この本の48ページに・・・
モーツァルトは「二度と同じようには弾かない」
という小見出しがつけられた節があります。
バロックから古典派、そしてロマン派までは、
作曲家自身が演奏家でもあった時代。
演奏家は即興でいろいろな飾りを加えることが求められていて、
それが腕の見せどころだったわけです。
そして、時代の流れとともに、作曲家は作曲のみ、
演奏家は演奏のみ。。。という形が多くなってきたのですね。
作曲家というのは、自分が演奏するときと、自分の曲を
他人が演奏するときでは人格が変わるものらしいんです。
ところが、リストだけは、
楽譜どおりでなくても認めていたそうです。
数百人とも数千人ともいわれるリストの弟子たち。
それぞれが、それぞれの感性に基づいて演奏をすると・・・。
この頃から、楽譜どおりに演奏しようという流れが
大きくなってきたようです。
ここで、ロマン派へ戻り、私からのオハナシ。
ブラームスは、人前でピアノ演奏することを、
あまり好まなかったと伝えられています。
お願いしても、真面目にピアノを弾くことは少なく、
さっさと切り上げてしまったり、とか…。
ささやかながら、浅いながらも、私が、
ブラームスのピアノ作品を弾いていて・・・。
ブラームス作品には、演奏者の入り込む余地があるように、
感じられるのです。
そこで私が思うのは・・・
ブラームスは、わざと真面目に演奏しなかった、のではないか、
ということ。
もしもブラームスが、キチンとした演奏を
度々披露していたら?
作曲家本人の演奏ですもの。
音だけを真似して弾こうとする人も、たくさん出てきそうです。
ブラームス作品を演奏する楽しさと醍醐味のひとつは、
ブラームスが考えたであろう「正解」に一歩でも近づくこと。
そしてまた、ブラームスの与えてくれた「余地」を、
演奏者自身が埋めて、トータルで音楽を作りあげていくこと。
そのように、私は感じています。
でもでも、もしかしたら、単純に・・・
ブラームスは人前が苦手だっただけかもしれませんネ。
真実は、ブラームスのみぞ知る。
『ボクたちクラシックつながり』(青柳いづみこ 著)
この本の48ページに・・・
モーツァルトは「二度と同じようには弾かない」
という小見出しがつけられた節があります。
バロックから古典派、そしてロマン派までは、
作曲家自身が演奏家でもあった時代。
演奏家は即興でいろいろな飾りを加えることが求められていて、
それが腕の見せどころだったわけです。
そして、時代の流れとともに、作曲家は作曲のみ、
演奏家は演奏のみ。。。という形が多くなってきたのですね。
作曲家というのは、自分が演奏するときと、自分の曲を
他人が演奏するときでは人格が変わるものらしいんです。
ところが、リストだけは、
楽譜どおりでなくても認めていたそうです。
数百人とも数千人ともいわれるリストの弟子たち。
それぞれが、それぞれの感性に基づいて演奏をすると・・・。
この頃から、楽譜どおりに演奏しようという流れが
大きくなってきたようです。
ここで、ロマン派へ戻り、私からのオハナシ。
ブラームスは、人前でピアノ演奏することを、
あまり好まなかったと伝えられています。
お願いしても、真面目にピアノを弾くことは少なく、
さっさと切り上げてしまったり、とか…。
ささやかながら、浅いながらも、私が、
ブラームスのピアノ作品を弾いていて・・・。
ブラームス作品には、演奏者の入り込む余地があるように、
感じられるのです。
そこで私が思うのは・・・
ブラームスは、わざと真面目に演奏しなかった、のではないか、
ということ。
もしもブラームスが、キチンとした演奏を
度々披露していたら?
作曲家本人の演奏ですもの。
音だけを真似して弾こうとする人も、たくさん出てきそうです。
ブラームス作品を演奏する楽しさと醍醐味のひとつは、
ブラームスが考えたであろう「正解」に一歩でも近づくこと。
そしてまた、ブラームスの与えてくれた「余地」を、
演奏者自身が埋めて、トータルで音楽を作りあげていくこと。
そのように、私は感じています。
でもでも、もしかしたら、単純に・・・
ブラームスは人前が苦手だっただけかもしれませんネ。
真実は、ブラームスのみぞ知る。
曲に関してだけではなく、作曲家や時代背景など、いろんなことを知りたくなったのは、ブラームスを弾いた今回が初めての私・・・。(爆
こちらのお話も、とても興味深く拝見いたしました^^
実は、今日。録画したのですよ、この曲^^
まだまだ出来上がっていないのですが、私の感じだと、こんな感じかなぁ???(お時間ありましたら・・・^^;)
いろんな演奏、本当にたくさん聴きましたが、どれ一つ同じ演奏はありませんね^^
・・・っていうか、私も弾くたびに違うけど・・・(あまりよくないかも?!笑)
私が現在のyu-kiさんくらいの年齢の頃(多分♪)は、
ピアノも習っていなかったこともあり、
音楽は、単純に聴く程度でしたヨ。
私も、いろいろ興味を持ち始めたのは、ここ数年です。
ひとつ知ると、もっと知りたくなって。。。(*^▽^*)
インテルメッツォは、ある意味、コワイ曲かもしれません。
本人が意図しないものまで露呈してしまう可能性も?(笑)
弾き手による違いは、どんな曲でもあると思いますが、
何というか、こう、伝わってくるものが違う。。みたいな。
飽きない曲だと思います。
おぉ~、yu-kiさんの「録画」ですね!
モチロン、じっくりと拝見&拝聴させていただきます♪
人生経験豊富な人の生き様が現れるとか。
前に先生がそんな事を話されていました。
先生が学生時代に弾いた時に、そのまた大先生から「まだあなたには早いわね。」と言われたそうです。
ブラームスが好きな方っていうのは、その辺りをマニアックに追求するのが好きな方が多いのでしょうか。
麻由子さんが弾いてくれるワルツはとても好き♪
麻由子さんのワルツは、優しさに溢れていて清潔なイメージです。
私の先生が学生だった頃、やはり大先生から言われたのは・・
「Bのつく作曲家の作品を弾くのは、ン十年早い」だったとか。
それと同時に「今、弾くことは悪くない」とも言われたとか。
私と同年代の先生。
その時の大先生の言葉が、今になって理解できるそうなの。
音楽から感じ取ったり、自分の経験を音楽に重ねてみたり……。
「適齢期」もあるような気がします。(笑)
マニアック?
ん~~、そうね、マニアックなのでしょうね。
こういうことを考えるの、私は好きですし♪(笑)
その辺のこともあって、「合っている」と言われるのかも…。
>麻由子さんが弾いてくれるワルツはとても好き♪
そう言ってもらえると、すごく嬉しいです♪
ありがとう。
まさに人の生きてきた生き様が現れた、音に魂のこもった演奏でしたね。
少しだけだったけど、朝から得をした気持ちになりました。
テンペストの演奏も、ケンプさんのとはまた違って素敵でした。
母から電話があって「これ、あなたがいつも弾く曲?なんか違う曲みたいだけど?」なんて失礼な事言われた(笑)。
全くピアノを弾かない人にも、何か伝わるものがあったのね。
いつか演奏会に行ってみたいね。
最近ツアーやっていたそうだけど、次はいつなのかな。
コメント、どうもありがとう♪
今朝のフジコさんは、本当によかった!!
ひとつも聴き逃すまい!。。と、一所懸命に見ていました。
本当に、音のひとつひとつに魂がこもっていて、素晴らしい!
私も、すごく得をした気持ちです♪
実際に、得したと思います。
生で聴くと、もっともっと感動的なのでしょうね。
フジコさんのコンサート後のインタビューの場面で、
「しばらく椅子から立ち上がれませんでした」
と言っていた人もいたしね~。
フジコさんの宝物の詰まった戸棚も、よかった☆
やっぱり録画しておけばよかったかな。。(苦笑)
いつか機会を作って、一緒にコンサートへ行きましょう♪
実はエレクトーンではそうなんですよ~。
エレクトーンを習っていたとき、楽譜どおりでない弾き方をすると
大抵ほめられました。
ピアノを始めてから「楽譜どおり」ということを言われて
実はカルチャーショックのような状況に陥ったこともあるんです^^;
やっぱりどんなものでも勉強する人が多くなったり
そのもの事態が変化してくると
ある程度の秩序を保つためにルールみたいなもの
(この場合「楽譜どおりに弾く」)を
つけなければいけないんでしょうかね~。
単なる私の想像ですが・・・。
ちなみにブラームス、人前いかにも苦手そうですよね♪
えぇ~~!?
エレクトーンだと、楽譜どおりではない方が好まれる??
でもピアノも、ポピュラーやジャズは、また違うみたいですしね。
装飾音が違う楽譜がたくさん出ているのも、当時の名残?
・・・なんて思ったりもしました。
これだと、楽譜の版の違いで、「楽譜どおり」なんですよね。
その辺の「抜け道」のようなものも、面白い。
私も潮レストさんに同感です。
あまりにも、皆で、好き勝手に弾いてしまって、
収拾がつかなくなったのかも。。
それにしても、「楽譜どおり」という流れに変えたのも、
スゴイと思いました。
それまでの風潮に逆行するわけですから。
誰が? どこから? そういう流れになったのでしょう?
あ~~、またギモンが沸いてきてしまう……。(笑)
ブラームスは。。。ふふふ、ですね♪