つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

人生の深さ 

2023-12-26 06:40:29 | 日記

もう12月も中下旬だから、秋の夜長という時期ではないわな。

それでも、もの悲しい季節ではあるので、少しだけ人生というものを振り返ってみた。

参考にしたのは、19世紀米国の思想家・小説家のラルフ・エマーソンだ。

 

重要なのは人生の長さではない、人生の深さだ

 まあそういうことなのだろうな。

 何もしないただ生きているだけの人生など、なんの意味もないはずだ。

 現役生活からのリタイアを考える時期となれば、いつ体調不良となって寝たきりにならないとも限らない。

 むしろ、健康で元気なのが僥倖なのかもしれませんね。

 そんな危うい日々なのだから、身体が動くうちに友と語り合い、情熱を持って深く行動したいものだ。

 明日はないのかもしれないのだから。

 

 →たしかに、今日の続きの明日はもうないのかもしれません。

  だからこそ、今日を深く生きなければならないのでしょうね。

 

 


使命(しめい)

2023-12-25 06:38:06 | 日記

使命とは人に与えられた任務(ミッション)ですが、こういう理解もあるようです。

コピーライターのひすいこたろうさんだ。

「使命」とは、その「命」を誰かのために「使う」ことだそう。

 

◆大半の人は死期が迫った時に、もっと冒険しておけばよかった(ああすればよかった)と思うものらしい

 だったらおいらたちも、人生を冒険として(あれこれやって)生きるべきだろう。

 その時その時に、あなたの一番大切にしたいことはなになのか?

 なぜそれを「今」やらないのだ?

 それは、死んだように生きていることではないのか。

 

 「覚悟」という言葉がある。

 「覚悟」とは、「覚り(さとり)」と「悟り(さとり)」をふたつ重ねた言葉だ。

 何があっても平然と生きる=死ぬ覚悟もできるということです。

 あなたのその命を使って、一番やり遂げたいことは何なのか、名誉でも財産でもないはずだ。

 大切な人の笑顔を生み出すこと=それこそが生きる目的=人のためになることをやりたいではないのか。

 

 動物の本能ならば、食欲・性欲・睡眠欲だ。

 人間はそれに加えて、人に喜ばれるとうれしいと感じるはずだ。

 自分のこれまでの人生が、人に喜ばれるようなものだったかを問うてみよ。

 そうでなければ、これからでも人に喜ばれる「使命」を果たしたいものだ。

 

 →これは厳しい指摘だ。だがそういう視点や感覚も持つべきなんでしょうね。

 

 

 


できないこと

2023-12-24 06:54:19 | 日記

若いころは、無限の可能性があったように思える。

だが年齢を重ねると、もう自分のできることと、できないことがはっきりとしてくる。

それが分別がつくことだと思っていたら、それはとんでもない誤りのようだ。

今日は、17世紀オランダの哲学者バールーフ・デ・スピノザの言葉だ。

おいらはあまりよくは知らない存在なのだが、実はあのデカルトと並ぶ哲学界の巨人らしい。

 

自分にはできないという思うたいていの出来事は、できないのではなく、本当はやりたくないだけなのだ

 これは、脳天に鉄槌を受けたような衝撃だ。

 年齢を理由にもうできないとおいらが勝手に決めつけていたことの数々は、

 実は本当はやりたくないからそう思い込んでいただけのようだ。

 そうか、真剣に取り組めば今からでも遅くはない、なんだってできるはずだ。

 もしかすると、志半ばで死期を迎えるかもしれない、それでもそれまではなんだってできるのだ。

 年齢を理由に、言い訳をするのはやめなくちゃいけないなぁ・・


合気道の達人

2023-12-23 06:41:26 | 日記

おいらの知人というか遠縁の方に、合気道の達人が居る。

達人というものは不思議なもので、ただ立っているだけで押しても引いても何にも影響されず、

びくともせずに立ち続けている稀有な存在だ。

そんな氏が、今回病魔に襲われたのだ。

 

◆鼠径ヘルニアだそうだ

 平たく言えば、「脱肛」らしい。

 ただ立ち続けていても、実はしっかりとフンバカ(肛門)に力を入れ続けていたのかもしれません。

 氏は合気道八段で、日本のトップではないが、海外にもその門下生は数多くいる。

 韓国・英国・米国・オーストラリア等々・・・

 全地球を網羅した活動だ、だがそれでも病魔は襲ってくる。

 

 なぜこの私がこんなことに・・・

 そんな達人には、気軽なアドバイスはできません。

 それでも、おいらの思うところはあります。

 あるがままを受け入れて、それに対処するしかないんじゃないかな、ということです。

 達人であればあるほど、負けを認めるのは困難なのかもしれませんが、

 それを認めるのもまた達人の身の処し方なのかもしれませんね。

 

 →達人でも老いるということ、おいらが老いるのはまあ当然だわな。

 


人が生きるということ

2023-12-22 06:35:45 | 日記

多くの方々が数多くのテレビドラマを楽しんだはずだ。

今日は、脚本家・小説家の山田太一氏。

氏のこんな言葉が、心と身体に染みる。

 

人が生きていること、それだけで、どんな生にもかなしみがつきまとう

 この言葉は1991年のものだ。

 世はバブル景気で、明るいことだけを見続けていた時のことだ。

 そこに、この暗い?とも感じられる言葉が投げかけられた。

 世の大部分の人々からは、おそらく否定されたことだろう。

 だがこの言葉は結果的に、ただ生き延びるだけではなく、普遍的なものへともつながっているようだ。

 

 つまりは、生きるかなしみというものはいつの時代にももれなくあるということなのだろうな。

 悲しいことなのだが、それがまぎれもない現実ということらしい。

 で、そのかなしみを、何につなげていくかというのが人生という訳なのだろうな、きっと。