何も予定が無くなったのでちょっと山の雰囲気を味わいに蔵王へ行ってみることにした。
軽い山歩きなので本格的な装備は準備しません。
蔵王エコーラインの駐車場から熊野岳周辺を散策する約2時間コースの予定。
と行ってみたはいいが、
いつもの通り下調べ不足のため予定通りにはいかず。
観光客・登山客等の安全を確保する観点から、想定火口域(馬の背カルデラ)沿いの登山道への立入りを自主的に規制しております。
※登山道入口に看板を設置しています。
①「賽の磧」登山道の濁川への降り口~北蔵王登山道「追分」までの登山道
②刈田リフト降り場先の「リフト分岐」~熊野岳山頂南東の「三叉路」までの登山道
※蔵王山頂レストハウス側から熊野岳への登頂はできませんので、御留意ください。
なお、「馬の背登山道」は、緊急避難路を整備のうえ、平成28年8月の通行再開を目指しています。
だったんですよ!!
20数年ぶりの蔵王だったのに残念(T_T)
なので刈田岳へ登って景色だけでも楽しむ。
刈田岳山頂はレストハウスから約10分位。
標高1,758m
行きたかった熊野岳方面。
山頂には刈田嶺神社が鎮座します。
とりあえず参拝。
それで予定終了ではつまらないので30年ぶりに山形県の山寺に行ってみることにした。
蔵王から山寺までは約1時間。
30数年ぶりの山寺は観光客も多く門前町もにぎわってました。
まずは参拝する前に腹ごしらえ。
山形名物いも煮と今が旬の竹の子ごはん。
いも煮も竹の子ごはんも美味しかったですよ!!
腹ごしらえが済んだらいよいよ参拝するための登山開始。
「今日は暑いから飲み物持って行った方がいいよ!!」
とお姉さんに言われてペットボトルの水を購入。
手ぶらだとこれって意外と邪魔なんだよね。
でもやっぱり持って行って良かったんだけどね。
まずは立石寺本堂側から階段登り開始。
奥の院に参拝するには1000余段の階段を登らなければなりません。
30数年前に旅行に来て登った時は二日酔いで苦労した記憶がある。
それ以外の記憶はないんだけどね。
山寺は、正しくは宝珠山立石寺といい、
貞観2年(860)清和天皇の勅願のよって慈覚大師が開いた、
天台宗のお山。
正面の大きな建物は、国指定重要文化財の根本中堂である。
延文元年(1356)初代山形城主・斯波兼頼が再建した。
だそうです。
松尾芭蕉像。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
松尾芭蕉の弟子 空良
山門
いよいよここから本格的な登りが始まります。
入山料は300円。
うっそうと茂る杉林の中、急な石段を登って行きます。
参道にはきれいな花が咲いているので、
息が切れたときには花でも見ながら息を整えてはどうですか?
と言われているようです。
山門を通って少し登ると姥神様が祀られていました。
この堂の本尊は奪衣婆の石像。
ここから下は地獄、ここから上が極楽という浄土口で、
そばの岩清水で心身を清め、新しい着物に着かえて極楽の登り、古い衣服は堂内の奪衣婆に奉納する。
一つ一つの石段を登ることによって、欲望や汚れを消滅させ、明るく正しい人間になろうというもの。
だそうです。
約3分の2程度登ってきて体力的に参って来たときに大きな仁王門が現れます。
嘉永元年(1848)に再建されたけやき材の優美な門で、
左右に安置された仁王尊像は、運慶の弟子たちの作といわれ邪心をもつ人は登ってはいけないと、睨みつけている。
仁王門を過ぎるといよいよ終点の奥ノ院が近づきます。
本来の参拝コースは真っ直ぐ奥ノ院を目指すのですが、
俺は展望台のようになっている五大堂に寄ってから奥ノ院を目指します。
五大堂下の参道から奥ノ院方面を望む。
五大堂到着。
はるか下の方に門前町があります。
風が吹き抜けて気持ちいい!!
展望を楽しんだらいよいよ奥ノ院へ。
奥ノ院への最後の登りになる下の段にあるポスト。
以前テレビでこのポストのことをやっていたような気がする。
日曜日を除いて毎日11時に集配に来るようです。
ここまで来て郵便物が無かったらがっかりするだろうなぁ~。
終点の奥ノ院到着。
ゆっくり登って40分くらいかな?
山に登ると思えば楽な方かもしれませんね。
でも皆さん必死の形相で登ってます。
一つ一つの石段を登り到着したときの達成感で心が洗われるかもしれない。
正面右側の古いお堂が奥之院ともいわれる如法堂で、
開山・慈覚大師が、中国で修行中に持ち歩いた釈迦如来と多宝如来を本尊とする。
石墨草筆の写経道場で、明治5年の再建。
左側の大仏殿には、像高5メートルの金色の阿弥陀如来像を安置し、毎日、卒塔婆供養をおこなっている。
だそうです。
両方とも日頃の平安を祈って参拝させて頂きました。
30数年ぶりの山寺を堪能させて頂きました。
という話でした。