そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

自分探し その五

2006年07月13日 | さ行


それでも人生はつづく。
そして人間は自分とは何かをしばしば考える。

自分とは何かを考えることによって、
いったい何が知りたいか、何がほしいか、何をやりたいか、
できるかぎりに明確にする。

自らの欲望を気づくことによって、生きる方向、課題がより明確になる。

人生について考えるということは、
いま自分がどのような生き方をしているか、
この生き方でいいのか、
これからどのような生き方をするのか、
を考えるということだ。

ここで、人生の意味が問題となる。
考えるということは、意味を考えるということに他ならない。

人生の意味とは自分自身の問題である。
そうすすけがどう生きるか?
只それだけのことである。

自分探しの落し穴は過去の出来事に人生の意味を求めてしまう。
すると、只それだけの人生が喪失してしまい、意味は独りよがりな言い訳となり、自分がわからなくなってしまう。わからないから、また自分探しをするという螺旋状に堕ちていく地獄めぐりとなる。

そうすけは、どう生きるのか?
この問いが浮かび上がるときは、喪失体験のあとが多い。

なにものかを失ったとき、どう生きるかとは、
失ったものと失っていないものを明確にし、
明日、変えられることと変えられないことを確認して、
行動を起していく。

この行動こそ自分自身の答なのである。
その答を評価できるものは、神だけである。

そうすけの鼓動は打っている。
生きている。只それだけでいいのである。