「熊本は森の都だ。」(漱石の言葉)
熊本城のまわりはクスノキの緑が鮮やかだった。巨木あり、老木あり。
クスノキは一番好きな木でもあるので気分がよかった。
水俣から熊本に入った日は、曇り空でどんより薄ら寒かったが、
次の日は快晴に恵まれ、かねてからの「疑問」を解明すべく文学散歩と洒落る。
まず、夏目漱石の住居。そして小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の住居、
さらに「熊本バンド」と称する同志社大学の発展に貢献した人たちのルーツ。
疑問は、熊本バンドはなぜ同志社と関係したのかということと、彼らの学力(実力)は
どのように育まれたのかということだった。
その疑問は「熊本洋学校教師ジョーンズ邸」を訪れて少しは解消した。
(明治4年にはアメリカ人教師による英語だけの授業でのエリート教育が行われていたんだ)
ここ熊本の地は、多くの文人、武者を引き寄せるものがあったのだろう。
宮本武蔵も剣術を教えたという。
物理学者の寺田寅彦もここで学んだという。(水島寒月のモデルか?)
阿蘇はやはり雲にかくれて見えなかった。
熊本城のまわりはクスノキの緑が鮮やかだった。巨木あり、老木あり。
クスノキは一番好きな木でもあるので気分がよかった。
水俣から熊本に入った日は、曇り空でどんより薄ら寒かったが、
次の日は快晴に恵まれ、かねてからの「疑問」を解明すべく文学散歩と洒落る。
まず、夏目漱石の住居。そして小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の住居、
さらに「熊本バンド」と称する同志社大学の発展に貢献した人たちのルーツ。
疑問は、熊本バンドはなぜ同志社と関係したのかということと、彼らの学力(実力)は
どのように育まれたのかということだった。
その疑問は「熊本洋学校教師ジョーンズ邸」を訪れて少しは解消した。
(明治4年にはアメリカ人教師による英語だけの授業でのエリート教育が行われていたんだ)
ここ熊本の地は、多くの文人、武者を引き寄せるものがあったのだろう。
宮本武蔵も剣術を教えたという。
物理学者の寺田寅彦もここで学んだという。(水島寒月のモデルか?)
阿蘇はやはり雲にかくれて見えなかった。