【壮絶な家庭内暴力】
前回記事(→・6月8日に考える~その2~。)の続きです。
「池田小の事件」
「アキバのあの事件」
6月8日に起こったあの恐ろしい事件の犯人は、どちらも壮絶な家庭内暴力を受けて育ったって話を御存知でしょうか。
検索すればどちらの幼少期もすぐに出てくる。
事件はぜったいぜったいゆるされない。
…それとは別で。
子ども時代に犯人たちが受けた仕打ちはあまりにも残酷で、文字だけでも
「もうやめて!」
と思うほどです。
Wikipediaのリンクだけ貼らせていただきますが、事件の項目も犯人の項目もほぼ文字だけとはいえあまりに凄まじいので閲覧注意です。
※附属池田小事件(Wikipedia)
※秋葉原通り魔事件(Wikipedia)
そういうことを知る人の中には
「罰せられるべきは虐待の果てに子どもを怪物化した毒親だろう」
と語る人もいるようだ。
でも私は考えるんだ…それだけで終われるだろうかと。
その毒はどこから出てきたものか。
たまたまその人が凶悪だったから、という考えは私は広く当てはまらないと考えていて…やっぱり社会・時代といった大きな大きな強いものから毒が流れ流れて最後に子どもにいくんじゃないかと。
機能不全家庭は、その一族だけの問題じゃない。
誰もが生かされた存在でもあるからね…。
凶悪犯罪者にならなくても、“罪に問われない罪を犯し続けるようになる”毒を注がれた者はたくさん存在すると思うし。
虐待連鎖は100%じゃないけれど、残酷な仕打ちを受けた人が後に加害者になって同じようなことをするってのも、よくある話だ。
【見えない、けれど存在している狂気】
そもそも私が今回こんなシリアスな記事を書こうと思ったのは、友人達からこんな話を聞いたから。
友人が
「6月8日って、池田小の事件とアキバの事件が起きた日なんだって。
年は違うけど同じ日付なんだよ」
と話し始めてくれたのは、こんなことだった。
(以下、彼女の話した内容は特定を避けるためにフェイクを入れて書きます。
文字だけですが恐ろしい記述もあるので気をつけてください)
彼女が生まれ育ったのは関西地方の裕福な住宅街で、当時も今も土地は高いしマンションも高い。
でもそんな街で、事件にならない恐ろしい事件がいつも起きていたという。
「一番多かったのは、ペットが盗まれたり殺される事件。
私の家も大切な大切な猫が盗まれて帰ってこなくて、今でも詳細を話せないくらい深く傷ついてる。
外飼いしてたわけじゃないのに、一瞬のスキをつかれてやられた。
狙われてたんだと思う。
他の家でも、犬猫鳥、あとハムスターや熱帯魚が盗まれて帰ってこなかった。
ひどいのは…殺されてた…。
二度と会えないのと自分たちで葬れるのとどっちがマシか、なんて昔は考えた。
どっちも犯人が悪いに決まってるのにね。
友達の家の外飼いされてたワンちゃんなんか、日に日になぜか弱っていって日虹の橋を渡って、遺体を見てもらったらどうやら石を頭にぶつけられすぎて致命傷になったみたいだってわかった」
…そんな…。
「夜中にベランダやバルコニーに登られて、物を壊されたり汚されたりすることがたくさん。
多分動物をやった犯人と同じ。
それでみんななんとなく近所にヤバイのがいるらしい、って知ってた。
でも怖くて、気をつけるしかできない。
同一犯だって証拠はないし、スマホがない時代だから証拠集めできないんだよね。
ホームセキュリティーも浸透してない時代だったのもあるかな。
凶悪事件の報道でさ、犯人がまずは動物で試す、動物に加害しまくってエスカレートして人間にいくってやってた時本当に怖かったよ。
池田小の事件の時もアキバの事件の時もまだその街に住んでたから、明日は自分かもしれないって本当に怖かった。
東京も怖いけど、もうすでに可能性のあるのがいるんだもん、ぜったいに」
なるほど…。
「色んな報道があって自分でも勉強してさ、犯罪者になるまでに“犯罪として扱われない”暴力を受けまくって狂って罪を犯すことがあるって学んで」
家庭とか、学校とか、会社とかでね…。
「あの街にいた“何か”もそうだったのかもしれない、そうだったら納得いくって思ったの。
教育虐待も校内いじめもブラック企業もありふれてる。
そういう中で罪を犯すほど狂ったのかもしれないって…。
でも私、ぜったいゆるせない。
うちの子を帰さなかったことも、他の家の大事な家族を奪ったことも殺したことも。
抵抗できない弱い者を狙ってるじゃん。
愛されてるのがうらやましかったんだろうな、だから動物なんだなって納得できちゃうのが辛い。
強いのにはぜったいやらない。
だって近所の強いドーベルマンは外飼いなのに何もされなかったもん。
あーなんだろうな、なんかごちゃごちゃまとまらないね。
でも誰かにいつか聞いて欲しかったんだよ、ありがとう」
彼女のゆるせない、が何よりわかる。
その犯人が幸せだったなら、犠牲にならずにすんだ多くの命、物質、人の精神。
その不幸は誰のせいか。
誰か、だけなのか。
もっと大きく抗えない力が作り出すものなんじゃないか…。
そんなことを、6月8日に考えて暗い気持ちになりました。
ここまで読んでくださってありがとうございます
前回記事(→・6月8日に考える~その2~。)の続きです。
「池田小の事件」
「アキバのあの事件」
6月8日に起こったあの恐ろしい事件の犯人は、どちらも壮絶な家庭内暴力を受けて育ったって話を御存知でしょうか。
検索すればどちらの幼少期もすぐに出てくる。
事件はぜったいぜったいゆるされない。
…それとは別で。
子ども時代に犯人たちが受けた仕打ちはあまりにも残酷で、文字だけでも
「もうやめて!」
と思うほどです。
Wikipediaのリンクだけ貼らせていただきますが、事件の項目も犯人の項目もほぼ文字だけとはいえあまりに凄まじいので閲覧注意です。
※附属池田小事件(Wikipedia)
※秋葉原通り魔事件(Wikipedia)
そういうことを知る人の中には
「罰せられるべきは虐待の果てに子どもを怪物化した毒親だろう」
と語る人もいるようだ。
でも私は考えるんだ…それだけで終われるだろうかと。
その毒はどこから出てきたものか。
たまたまその人が凶悪だったから、という考えは私は広く当てはまらないと考えていて…やっぱり社会・時代といった大きな大きな強いものから毒が流れ流れて最後に子どもにいくんじゃないかと。
機能不全家庭は、その一族だけの問題じゃない。
誰もが生かされた存在でもあるからね…。
凶悪犯罪者にならなくても、“罪に問われない罪を犯し続けるようになる”毒を注がれた者はたくさん存在すると思うし。
虐待連鎖は100%じゃないけれど、残酷な仕打ちを受けた人が後に加害者になって同じようなことをするってのも、よくある話だ。
【見えない、けれど存在している狂気】
そもそも私が今回こんなシリアスな記事を書こうと思ったのは、友人達からこんな話を聞いたから。
友人が
「6月8日って、池田小の事件とアキバの事件が起きた日なんだって。
年は違うけど同じ日付なんだよ」
と話し始めてくれたのは、こんなことだった。
(以下、彼女の話した内容は特定を避けるためにフェイクを入れて書きます。
文字だけですが恐ろしい記述もあるので気をつけてください)
彼女が生まれ育ったのは関西地方の裕福な住宅街で、当時も今も土地は高いしマンションも高い。
でもそんな街で、事件にならない恐ろしい事件がいつも起きていたという。
「一番多かったのは、ペットが盗まれたり殺される事件。
私の家も大切な大切な猫が盗まれて帰ってこなくて、今でも詳細を話せないくらい深く傷ついてる。
外飼いしてたわけじゃないのに、一瞬のスキをつかれてやられた。
狙われてたんだと思う。
他の家でも、犬猫鳥、あとハムスターや熱帯魚が盗まれて帰ってこなかった。
ひどいのは…殺されてた…。
二度と会えないのと自分たちで葬れるのとどっちがマシか、なんて昔は考えた。
どっちも犯人が悪いに決まってるのにね。
友達の家の外飼いされてたワンちゃんなんか、日に日になぜか弱っていって日虹の橋を渡って、遺体を見てもらったらどうやら石を頭にぶつけられすぎて致命傷になったみたいだってわかった」
…そんな…。
「夜中にベランダやバルコニーに登られて、物を壊されたり汚されたりすることがたくさん。
多分動物をやった犯人と同じ。
それでみんななんとなく近所にヤバイのがいるらしい、って知ってた。
でも怖くて、気をつけるしかできない。
同一犯だって証拠はないし、スマホがない時代だから証拠集めできないんだよね。
ホームセキュリティーも浸透してない時代だったのもあるかな。
凶悪事件の報道でさ、犯人がまずは動物で試す、動物に加害しまくってエスカレートして人間にいくってやってた時本当に怖かったよ。
池田小の事件の時もアキバの事件の時もまだその街に住んでたから、明日は自分かもしれないって本当に怖かった。
東京も怖いけど、もうすでに可能性のあるのがいるんだもん、ぜったいに」
なるほど…。
「色んな報道があって自分でも勉強してさ、犯罪者になるまでに“犯罪として扱われない”暴力を受けまくって狂って罪を犯すことがあるって学んで」
家庭とか、学校とか、会社とかでね…。
「あの街にいた“何か”もそうだったのかもしれない、そうだったら納得いくって思ったの。
教育虐待も校内いじめもブラック企業もありふれてる。
そういう中で罪を犯すほど狂ったのかもしれないって…。
でも私、ぜったいゆるせない。
うちの子を帰さなかったことも、他の家の大事な家族を奪ったことも殺したことも。
抵抗できない弱い者を狙ってるじゃん。
愛されてるのがうらやましかったんだろうな、だから動物なんだなって納得できちゃうのが辛い。
強いのにはぜったいやらない。
だって近所の強いドーベルマンは外飼いなのに何もされなかったもん。
あーなんだろうな、なんかごちゃごちゃまとまらないね。
でも誰かにいつか聞いて欲しかったんだよ、ありがとう」
彼女のゆるせない、が何よりわかる。
その犯人が幸せだったなら、犠牲にならずにすんだ多くの命、物質、人の精神。
その不幸は誰のせいか。
誰か、だけなのか。
もっと大きく抗えない力が作り出すものなんじゃないか…。
そんなことを、6月8日に考えて暗い気持ちになりました。
ここまで読んでくださってありがとうございます