【「こんな気持ちだった」と老人は語った】
公開延期になってしまったそうですが、新作映画の公開にあわせて放送している『エヴァンゲリオン』を観てみました。
日本中で、そして世界中で愛され続けている作品ですから、私ごときがどーこー書くのは愛してる人たちに失礼なのではないかもと思ったのですが、個人ブログですので手加減して読んでいただけましたら嬉しいです。
実は幼少期に観て
「む、難しくて全然わからない…」
と思って今年まで全く見返していませんでした。
でも大人になって多くのエヴァファンの方々に
「高校生のときリアルタイムで観てたけど俺たちにもぜーんぜんわからなかったよ!」
「むしろ大人になって何度も見返してるけど全然意味わかんないよ」
「でも大好きだから、フランス映画と同じでわけわからんものだと思って鳥まりさんも気楽に観るといいよ~」
などなど言われて、そうなのかなーなんて思ってたらテレビ放送です。
サブタイトルにしましたが、私はこんな証言を覚えていたんですよ。
「子どもの時、おじいちゃんと毎週観てたよ。
戦争のときこんな気持ちだったってよく言ってた。
そのときは意味わからなかったけど、おじいちゃんは戦争のときパイロットやらされてんだって」
「うちのおばあちゃんはむしろ過剰反応ってくらい嫌いだったよ。
戦争思い出して嫌なんじゃないかって母ちゃんは言ってたから、ビデオにとってばあちゃんがお風呂入ってる間観てた」
覚えたっていうか、『エヴァンゲリオン』観てたら
「ああ、あんなこと言ってたな」
って思い出したというか。
点と点が線でつながって、大きな意味が鮮やかに浮かび上がるっていうじゃないですか?
あんな気持ち。
私は、このアニメに込められてる(勝手にこもってるのかもしれない)のは戦後という壮絶な時代だなと思った。
今も戦後だけどね。
古い『相棒』で
「彼(地雷処理ロボット開発に命をかけていた人)にとって戦争は終わってなんかいない。
昭和は終わってない。
でもその苦しみを語りませんでした」
という意味のセリフがある回がありましたが(ハトを使ってダイヤモンドを運んで~ってエピソードだった)、このセリフが戦争を耐えた人たちが作品に感じ取ったものだったんじゃないだろうか。
ちなみに、このセリフに
「どうしてその苦しみを語らなかったの?」
と疑問をもつ人から
「語れるわけがない、辛すぎるから」
とお返ししたい。
【傷ついて、大人になれない永遠の子どもたち】
そういうことと絡めて作者が『エヴァンゲリオン』を描いているのかはわからないけど、
「組織が信じられない」
「大人はいつでも自分を守ってくれない」
「わからないことが多すぎる」
「死ぬかもしれないのに、戦わないと袋叩きにあう。
戦っても叩かれる」
は少年兵や戦後に子どもたちが感じたことと同じだと思うのね。
どんな人に聞いても
「戦中と戦後で学校や先生の語ることがあまりに違うのはとんでもないショックだった」
と語っていたそうですよ。
多くの人が
「子どもの頃はシンジくん(主人公)がウジウジしていて嫌いだった。
でも今なら心からかわいそうだと思うし、あんな境遇で明るい方がおかしい」
と思ってSNSなどに書いているのを見ますが、私は視聴者が子どもから大人に成長したってだけでなく、時代がやっぱり変わったんだと思う。
「子どもは弱いのが当たり前」
「子どもは保護しなければならない」
「傷ついているひとはまず休ませなければいけない」
という当たり前の感覚がやっと根付いたというか。
エヴァのテレビ放送が始まったのは1995年だそうですが、90年代~00年代、もしかしたら10年代でも…とんでもなかったよ。
だって
「いじめは、いじめられる方が悪い!
いじめられない努力を怠っているからだ!」
ってマジで毎日マスコミも先生も言っていたんだから。
(何度も書くけど私が幼いときに
「そんなことない、いじめはぜったいいじめる人が悪い!」
ってテレビで言い切ってくれたの瀬戸内寂聴さんだけだったからね。
彼女の生き様や作品を大好きではないけど、そこはずっと感謝しています)
つまり集団で優しい人・弱い人を虐げるのが
「いいこと」
扱いされていたのよ…おっそろし…(『のだめ』のシュトレーゼマン)。
これは「有害な男らしさ問題」「家父長社会の負」とも大いに関わってることなのかもしれない。
というわけで、大人になって・そして時代が変わってみると、大人キャラも大人になれない子どものままで、それでも過酷な世界でなんとか生存しているんだなーって視点が持てた。
そうなると色々わかりやすかったです。
シンジくんの実父がレイちゃんはかわいがれても息子はかわいがれないのも、ミサトさんがいっぱいいっぱいなのも。
あ、ちょっと話それるけど綾波レイちゃんがなんであんな人気だったのか大人になったらわかりました(笑)。
健気…。
子どもの頃は年上キャラを
「おにーさん、おねーさん」
としてみるので訳わからなかったのがよくわかった。
映画版だとあんまりわかんなかったけどアスカちゃんも相当傷ついた歴史がおありのようで。
話を戻して。
物語に漂う悲しさ、安住の地がない辛さ、信じられるものがないやりきれなさ…きっとそれが戦中・戦後なのだろうなーと私は勝手に思ったのでした。
そんな過酷な世界で
「お母さんに還りたい」
といつも願っているのもなんかわかるよ。
お母さん=愛、優しさ、安定した生活。を破壊して奪い取るのが戦争なのかもしれない。
公開延期になってしまったそうですが、新作映画の公開にあわせて放送している『エヴァンゲリオン』を観てみました。
日本中で、そして世界中で愛され続けている作品ですから、私ごときがどーこー書くのは愛してる人たちに失礼なのではないかもと思ったのですが、個人ブログですので手加減して読んでいただけましたら嬉しいです。
実は幼少期に観て
「む、難しくて全然わからない…」
と思って今年まで全く見返していませんでした。
でも大人になって多くのエヴァファンの方々に
「高校生のときリアルタイムで観てたけど俺たちにもぜーんぜんわからなかったよ!」
「むしろ大人になって何度も見返してるけど全然意味わかんないよ」
「でも大好きだから、フランス映画と同じでわけわからんものだと思って鳥まりさんも気楽に観るといいよ~」
などなど言われて、そうなのかなーなんて思ってたらテレビ放送です。
サブタイトルにしましたが、私はこんな証言を覚えていたんですよ。
「子どもの時、おじいちゃんと毎週観てたよ。
戦争のときこんな気持ちだったってよく言ってた。
そのときは意味わからなかったけど、おじいちゃんは戦争のときパイロットやらされてんだって」
「うちのおばあちゃんはむしろ過剰反応ってくらい嫌いだったよ。
戦争思い出して嫌なんじゃないかって母ちゃんは言ってたから、ビデオにとってばあちゃんがお風呂入ってる間観てた」
覚えたっていうか、『エヴァンゲリオン』観てたら
「ああ、あんなこと言ってたな」
って思い出したというか。
点と点が線でつながって、大きな意味が鮮やかに浮かび上がるっていうじゃないですか?
あんな気持ち。
私は、このアニメに込められてる(勝手にこもってるのかもしれない)のは戦後という壮絶な時代だなと思った。
今も戦後だけどね。
古い『相棒』で
「彼(地雷処理ロボット開発に命をかけていた人)にとって戦争は終わってなんかいない。
昭和は終わってない。
でもその苦しみを語りませんでした」
という意味のセリフがある回がありましたが(ハトを使ってダイヤモンドを運んで~ってエピソードだった)、このセリフが戦争を耐えた人たちが作品に感じ取ったものだったんじゃないだろうか。
ちなみに、このセリフに
「どうしてその苦しみを語らなかったの?」
と疑問をもつ人から
「語れるわけがない、辛すぎるから」
とお返ししたい。
【傷ついて、大人になれない永遠の子どもたち】
そういうことと絡めて作者が『エヴァンゲリオン』を描いているのかはわからないけど、
「組織が信じられない」
「大人はいつでも自分を守ってくれない」
「わからないことが多すぎる」
「死ぬかもしれないのに、戦わないと袋叩きにあう。
戦っても叩かれる」
は少年兵や戦後に子どもたちが感じたことと同じだと思うのね。
どんな人に聞いても
「戦中と戦後で学校や先生の語ることがあまりに違うのはとんでもないショックだった」
と語っていたそうですよ。
多くの人が
「子どもの頃はシンジくん(主人公)がウジウジしていて嫌いだった。
でも今なら心からかわいそうだと思うし、あんな境遇で明るい方がおかしい」
と思ってSNSなどに書いているのを見ますが、私は視聴者が子どもから大人に成長したってだけでなく、時代がやっぱり変わったんだと思う。
「子どもは弱いのが当たり前」
「子どもは保護しなければならない」
「傷ついているひとはまず休ませなければいけない」
という当たり前の感覚がやっと根付いたというか。
エヴァのテレビ放送が始まったのは1995年だそうですが、90年代~00年代、もしかしたら10年代でも…とんでもなかったよ。
だって
「いじめは、いじめられる方が悪い!
いじめられない努力を怠っているからだ!」
ってマジで毎日マスコミも先生も言っていたんだから。
(何度も書くけど私が幼いときに
「そんなことない、いじめはぜったいいじめる人が悪い!」
ってテレビで言い切ってくれたの瀬戸内寂聴さんだけだったからね。
彼女の生き様や作品を大好きではないけど、そこはずっと感謝しています)
つまり集団で優しい人・弱い人を虐げるのが
「いいこと」
扱いされていたのよ…おっそろし…(『のだめ』のシュトレーゼマン)。
これは「有害な男らしさ問題」「家父長社会の負」とも大いに関わってることなのかもしれない。
というわけで、大人になって・そして時代が変わってみると、大人キャラも大人になれない子どものままで、それでも過酷な世界でなんとか生存しているんだなーって視点が持てた。
そうなると色々わかりやすかったです。
シンジくんの実父がレイちゃんはかわいがれても息子はかわいがれないのも、ミサトさんがいっぱいいっぱいなのも。
あ、ちょっと話それるけど綾波レイちゃんがなんであんな人気だったのか大人になったらわかりました(笑)。
健気…。
子どもの頃は年上キャラを
「おにーさん、おねーさん」
としてみるので訳わからなかったのがよくわかった。
映画版だとあんまりわかんなかったけどアスカちゃんも相当傷ついた歴史がおありのようで。
話を戻して。
物語に漂う悲しさ、安住の地がない辛さ、信じられるものがないやりきれなさ…きっとそれが戦中・戦後なのだろうなーと私は勝手に思ったのでした。
そんな過酷な世界で
「お母さんに還りたい」
といつも願っているのもなんかわかるよ。
お母さん=愛、優しさ、安定した生活。を破壊して奪い取るのが戦争なのかもしれない。