なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

なんてこったいな誕生日(>_<) ≪退院記念ブログ Part 3≫

2009年08月12日 | Life
本日は退院記念でブログ3本立て 】


7月29日は誕生日プレゼントに胃カメラと言う生涯忘れられない物となった

 初の胃カメラ。検査の前に喉を麻痺させるドロッとした物を喉に溜めさせられるのだがうまく行かず結局眠らされた(初めからそうしてくれよ~!)。入院中は患者情報を記載した腕輪をしているのだが看護師がそれを確認して『 あら?誕生日なのですね!おめでとうございます~ 』と言われるや否や眠らされた...

起こされたときすでに終わっていて“No.1お気に入り看護助手”に車椅子で病室へ運ばれていた(笑)その日の検査はそれだけだったのだが翌日の検査のために昼、夜共に専用の食事になっていて考えられないメニューだった。

りんごジュース、牛乳、トマトジュース、はんぺん(昼はかけうどん)、お茶。...これが食事なのか

なんて誕生日だ...


翌日は注腸検査。これまた恐ろしい検査で腸の中を空っぽにしてお尻からバリウムを入れると言う過酷なものでさらにそれが腸内隅々まで行き届くように右に左に“シェイク”されるのだ ヒッピー・ヒッピ-・シェイクならぬ“ひーひーシェイク”だった 

それが終わり。よりによって“クワバタリエ”のババア看護助手が車椅子の係でもう心身ぐったりしたまま病室へ。体力が回復するや否や前日の分も食いまくった。夕方には1日遅れで嫁がバースデー・ケーキを買ってきてくれた




8月に入るとストレスの限界で医師にくって掛かりだした。なにせ入院は2週間目だが痛くなりだしたのは5月からだ。色々検査しても何もわからない。主治医の女性医師そのことを言うと『 入院前のことを私に言われても困る。私は入院してからしかのことしか責任が持てない! 』と言われて頭にきて大喧嘩 患者用の投書箱に担当医師を変えてくれと投書したらすぐさま病棟の責任者が謝罪しにやってきた。お喋り看護師によるとその主治医は上にも下にも患者にも評判が悪いと。やれやれである

担当医師が変わっても同じことで次々に検査をやっても病名、原因何もはっきりしない日々が続いた。総合診療科だけでなく膠原科が参加した辺りからようやく可能性のある病名が出てきたベーチェット病である。


ベーチェット病と言うのは難病の一つで色々な症状があるのだがその中のいくつかにZUYAの症状が当てはまると言うのだ。そのための検査にまたまた過酷なことをする羽目になった...大腸ファイバーである



上の写真にある腸管洗浄剤(不味いポカリスェットみたいな味)と言うやつを2リットル飲まされ腸の中をすっからかんにしてお尻からカメラを入れて直接診るのである。ほんとに死にたくなるよ。しかも苦労したわりにまたも異常なし...マジかよ

そうこうしている内に痛みは和らぎつつあり、ちょこちょこ外出許可をもらいCD屋に行きだした。しかし浮かれて歩きまくると腫れて痛みがひどくなって帰って看護師に起こられる始末

残すは10日の脳のMRIだけとなり8日の日には外泊許可をもらい嫁の希望で東京湾の花火大会を足を引きずり見に行った。さほど素晴らしい花火でもなく疲れて帰っただけであった。CD等をさらに補充して病院に戻ってMRIを受けたがその日に最終診断が下され、『 (特発性)結節性紅斑 』と診断(詳細はPart1参照)、もう症状は小康状態にあるとのことで退院許可が出た。翌12日火曜日に退院となったが今後は2週間おきに通院、経過観察となった。Part1でも述べたが際は可能性、ベーチェット病の一症状である可能性は50/50。

しばらくは自宅で安静にしているしかない。


しかし27日間の入院生活。これをいい経験とすべきか。実際からだの隅々まで調べて関節炎以外は全く健康だと言うことがわかったのだが...特別な治療をしてもらったわけではないので不安の残る退院となった...


しかし、お世話になった看護師さん達、一部を除く医師の方々、そして家族にこの場を借りて感謝したいと思います。


とりあえず前向きで行くか~


    

お暇な~ら、見てよね~♪ ≪退院記念ブログ Part 2≫

2009年08月12日 | Life
本日は退院記念でブログ3本立て 】 

 
さてPart2はZUYAの人生は初の入院生活を作り話も交えてお伝えします

7月16日にベッドが“空き待ち”だったので入院決定後数日待っての入院となった。写真にある一番新しい1号館9階に収容されることになった。

   

病院の所在はZUYAの大好きな御茶ノ水。何と言っても楽器屋街があるしディスクユニオンも一杯ある⇒んなこと言ってる場合ではなかったが(笑)

入院手続きはあっさり終わり、持ってきたものを片していると早速担当医師団がやってきて挨拶。正規の医者に研修医が2名(この時はこの正規の医者と後々揉めることになろうとは知る由も無い...)。一息つくと昼食。もちろん初の病院食で興味津々。しかもZUYAが普段バイトで出荷している野菜が使われているのだから

この日はなぜか眼科で検査を受け、全身のCTスキャンを取って終了。早速シャワー・ルームを使用。狭いが決して不便ではない。懐かしいカナダ・ウィニペグのユースホステル“IVEY HOUSE”を思い出させるようなシャワー・ルームだった

さてここまではなにやら旅行気分のようだがこの夜から激痛で睡眠を阻害されないように坐薬が始まった 

初夜は予想だにしなかった真夜中2時過ぎに激痛でナースコール。“坐薬をします”と言われた時、恥ずかしいも何もとにかく痛いのだから“お願いします”と言うしかない。翌日からは毎夜24時に看護師さんが入れに来たのだが、よくよく考えるとこれは“前”を見せるよりお尻を見せる方が恥ずかしいかもしかもこういうときに限って看護師はみんな若く、ババア看護師がいない...

 
2日、3日と経って来るとだんだん要領がわかってくる。手術をしたり骨折をしたりして動けない患者でない限り入院生活は“時間をいかに潰すか”が重要なテーマのようだ

だいたい一日に1つか2つの検査しかなく1つだいたい30分前後のものが多い。まぁ外来と違って待ち時間が少ないのはありがたいが。それでも後の時間はベッドにいなくてはならないわけだ。これは苦痛である。しかもZUYAは日本で5本の指に入るくらい時間を潰すのが苦手なのである 家から持ってきたCD40枚、本数冊ではとてもとても。次第に嫁に追加でいろいろ持ってきてもらいだした。あとは1階にあるampmに行くのも楽しみであり気を紛らわせてくれる。

となると一日の予定はだいたい、①検査、②食事、③シャワー、④TV、⑤CD、⑥読書、⑦昼寝の繰り返しとなる。


ZUYAがいたのは4人部屋。運良く“差額ベッド料”の要らない部屋になった。同じ設備でテレビがカード式でないだけで1日約7千円の部屋になるのだ。恐ろしい...病院はぼろもうけではないか!

入院した時は窓際に親父(60代?)が2名、通路側にお爺さん(70代?)とZUYAと言う配置だったがこの窓側のオヤジたちが何をトチ狂ったのか、てめぇ達が目が覚める朝4時とかに部屋のカーテンを開けやがる こちらは夜中は痛みで何度も目が覚めるし、早朝は眩しいし…、その上1人のオヤジはイビキもうるさい(>_<)

嫁は『アイマスクを使えば?』と言うがZUYAは毎晩“坐薬”なのだ…。アイマスクして看護師さんに坐薬入れてもらうって何かの“プレイ”みたいで…、日本のダーティ・ハリーと言われる硬派のZUYAがさすがにまずいだろう

で、初めの3日間は我慢したが4日目の朝はシメたかも。『まだ明るくする時間じゃねぇだろ!』って。次の日からカーテンは開かなくなった


入院一週間も経つともう口に出して“暇だ”、“退屈だ”と言い出す。とにかく入院したのに検査が1つどころか全くない日がある。イライラが溜まり医師に『 もっと検査増やして早く原因調べて治療してくださいよ! 』とくって掛かったら翌日から増えた(笑)。我ながら困った患者である

しょうがないから(?)看護師さんたちと仲良くすることにした(笑)。みんな若くて可愛いのだがどうもZUYAの好みではない。これは嫁の陰謀に違いないと退院した今でも疑っている まぁそういう考えだから初めはとても事務的だったが次第にみなさん心安くなった。謎は看護助手に1人だけ“クワバタリエの年の離れたお姉さん”みたいなのがいた。この人だけずばり“おばさん”なのだ


7月25日にガリウムシンチと言う検査のために浣腸を喰らった。何やら便が体内にあると撮影する画像に映ってしまうらしい。可愛い看護師さんに人生初の浣腸をやられて、撮影も済んだとほっとしていたら医師が申し訳なさそうな顔でやってきて申し訳なさそうにつぶやいた、

“...もう一度撮らせて下さい”と。

ZUYA:“え?”

医師:“今直ぐもう一度浣腸の準備をさせてますから...”

ZUYA:“え?”

何と再度撮影することになってしまったのだ

また別の可愛い看護師さんに“グサッ”...。もう死にたかった


この日は外出許可が出たのだが、ただでさえ脚が痛くてそろりそろりとしか歩けない上に浣腸2連発...さぞかし恐ろしい形相でZUYAは歩いていたに違いない。ZUYAがこの病院を選んだり理由の一つが冒頭にも書いた周囲に楽器屋、CD屋が多いことだ。ふらふらで歩いていてもさすがミュージシャンの端くれ、店内に入ると目を輝かせ次々と掘り出し物を発見、この日の収穫は何と言っても『 ロン・ウッド自伝 』である

翌週月曜日、火曜日とようやく嫁とお義母さん以外のいわゆる“見舞い”客がやってきた。その中に姪っ子もいたのだが“おじさん、ハッピー・バースデー”と言われた。そう次の日は36回目の誕生日だった。“おじさん”と呼ばれ、その上これがハッピーなバースデーなのか...(もちろん姪っ子に悪気は一切ない!)。

ZUYAこの時入院12日目疲れつつあった


※Part3に続く...

昨日、退院しました。 ご心配をお掛けしました~  ≪退院記念ブログ Part 1≫

2009年08月12日 | Life
本日は退院記念でブログ3本立て】

 
昨日ついに退院した


看護師によると普通は医師から“来週には~”とか“あと2、3日で~”と前振りがあるらしいのだが、ZUYAの場合突然月曜日の夕方4時ごろに『 もういつ退院しても良いですよ。 』と言われてた。で、『 では明日(火曜日) 』と言うことになった。まぁ普通は“来週までいたいです~”なんて奴はいないだろうから


結局27日間、ほぼ一ヶ月の入院と言うとんでもないことになってしまった。入院費は何と約18万円...恐ろしい ブルースマンのくせにもしものために安いコースだが保険に入っていて正解であった。約16万円保険金が下りる。“都民共済” ありがたや~ありがたや~


と、両手広げて喜んでいる場合ではない。なにせ日給月給の仕事を一ヶ月以上休んでいのだから。しかも退院したとはいえしばらくは安静にしてくださいとのこと...今うちには嫁の稼ぎだけ...家計は火の車である しかも入院したためにZUYAの“隠し借金(結婚前の税金の滞納)”がばれて血の雨かと思ったがこれはそれほどでも...


さて、結局ZUYAの病気は何だったのかが気になるところであるが


『 特発性結節性紅斑(とくはつせいけっせつせいこうはん) 』


と言う診断が退院の前日(?)にようやく下された。どんな病気かと言うと

『 下 腿(膝から足首まで)に円形ないし不規則形の紅斑が多発し、触ると硬いしこりと圧痛のある病気で、病理学的には皮下脂肪組織を中心とする炎症で細菌、ウイルスなどの感染アレルギーが主な原因と考えられている 』⇒ ZUYAの場合は原因不明ということで“特発性”ということになった。

『 症状は重症の場合は太ももや腕にまで広がることがあります。しばしば発熱、全身の倦怠感(けんたいかん)、関節痛などの全身症状を伴います。通常、2~4週で消えますが、反復することがあります。 』⇒ この関節痛が重症になり全身に広がりZUYAは歩行困難、ギターも弾けないくらいになってしまった。

『 治療に関してはベッドで安静にしていることが最も重要です。薬物療法としてはステロイド性消炎鎮痛薬等。』⇒ZUYAはベッドでの安静と消炎鎮痛剤による治療となった。

 確かに入院前に比べて各段に各関節の痛みは無くなったのだが問題がいくつか残っている。先ず第一に再発の可能性がとても高いこと。そのため退院したといえ数週間の自宅での静養、経過観察が必要で薬を服用しながら徐々に身体に負荷をかけていく。ちなみに可能性は50/50だそうで...

第二に、ZUYAは一般人の一生分くらいの検査をしたらしい( だから大して治療もしていないのに高額なのだ...)のだが、その中で日本人が10~15%ぐらいしか持っていない『 HLA-B51 』と言う白血球の中に特別な遺伝子抗原が持っているらしく、それが難病のベーチェット病の可能性を示しているらしい。だから今回ZUYAは結節性紅斑はあくまでも主症状となっているがベーチェット病の副症状の可能性も捨てきれないというのだ
 

とまあ、こんな具合でとりあえずしばらくはのんびり生活するしか無いわけだ


Part2はZUYAの27日間の闘病生活(ちょっと大げさかな...)をお届けします