『 んなの訴えなきゃダメだよ!! 』
我が師匠を含めそう考える人がZUYAさんの周りには意外と多い。もちろん師匠の場合は訴訟が当たり前の北アメリカにいるのだからそう考えるのであるが。でも日本で“社会化すること”を選んでしまったZUYAさん...今回は受け入れるしかない

そう、次に何かあった時は...




テーブル兼(コタツ)の脚が壊れてしまったので、補強するための部材を後楽園にある 『 DOIT(ドイト) 』 に買いに行った。しっかし豪快な名前だよね、このホームセンターは

ZUYAさんは都心に住んでいるから何かと便利なような気もするのですが、好きなDIYをする時にホームセンターが近くにないことだけはとても不便。東西南北どこへ向かっても遠い。今日は駒込駅付近から文京区のコミュニティバス 『 ビークル号 』 に乗りこんだ

普段なら難なく歩ける距離なのですが、今日のテーマは“安静”なので

バスの中で今日が 『 日航ジャンボ機墜落の日 』 であることを思い出す

もう30年にもなるのかぁ。当時ZUYAさんは小学6年生。父親が日本航空の関連会社にいたので、東京への出張は頻繁で、泊まりだけでなく“突然の日帰り”も多かったので、テレビで事件の第一報を知った時の母の狼狽え振りは未だに鮮明に覚えている

幸いなことにあの便には父親は乗っていなかったのだが、犠牲者500人以上と言う日本の航空機事故史上最大の大惨事である。もちろん全ての命は平等であるべきだが、音楽に携わっている者として坂本九氏の搭乗・死亡は色々考えさせられる。なぜなら20世紀の音楽史において、あまりにも多くのミュージシャンが飛行機事故において亡くなり過ぎているからだ

平日の昼間とは言え、駒込から後楽園までの道中はそこそこかかるのでスマホで生存者の当時の証言など読んでいると、ZUYAさんの日々の出来事など“ちっぽけな物”のように思える。そう実際に“戯言”なのだろう

実際のところ、ここ数日足の傷を見るたびに怒りが込み上げていたZUYAさんですが、この墜落事故の犠牲者のご冥福、ご遺族の心中をお察しすると...もっともっと広い心を持って生きなければと考えさせられます
