先日、とある居酒屋で見かけた
「ユニオンビール」のポスター
見るやいなやな
とあるブロガーさんが頭に浮びました
お会いしたこともないのに
不思議じゃね...
こんばんはZUYAさんです
ちょっと...心身共に疲れ果てていましてね、絞り出すようにしか文章が出ません。そんなわけで大量に保存されている「下書き(ネタ)」を上手く使って、斯様な稚拙なブログを心待ちにしている全国、並びに一部海外在住のZUYAさんファンにお届けしたいと思います~
“縁”とは不思議なものですよね
※緑に見えた人、眼科か眼鏡店へどうぞ~
ひょんなことから簡単に出来るものもあれば、懸命に努力を尽くした結果つながると言う場合もあります。格言うZUYAさんは縁とは苦労して得るものではなく、
“持って生まれた才能の一つであり宿命である“
とさえ思っています
いわゆる「引き寄せの法則」にもつながりますが、貧乏な人間が集まって日々、“俺たちは貧乏だ、私たちは貧乏だ”とか、”私たちはお金がない、俺たちはお金がない”と騒いでいても、彼らは永遠に貧乏のままなのです
人間と言うものはどうしても同じ境遇の人を見つけて群がりたい(繋がりたい)性質のようで。そこを抜け出してですね、新たな世界へ行こうとしている人達、或いはお金持ちのグループに入った方が...
1999年にカナダで暮らし始めた街で最初に訪れたナイトクラブ(Times Change Blues Club)で出逢ったのが、カナダでブルース好きなら知らない人はいないBig Dave Mclean。そしてその後、日本でプロ・ミュージシャンだった人がいると言う噂を耳にして、電話帳で番号を調べて押しかけた先が我が師匠だったわけです
ちなみに師匠がカナダに移住して最初に住んだ家。通りを挟んで対面の家に住んでいたのが、Big Dave Mcleanで家族ぐるみの付き合いだったと言う凄さ...
とにかくこれが全ての崖っぷちブルースマンであるZUYAさんライフの始まりであり、自身のアイデンティティーを持った瞬間であると今でも思っているわけです。そしてミュージシャンとしての才能はなかなか開花せず、三十半ばになってようやく兄貴分たちから、“ZUYA、お前ギター弾けるようになったじゃんか!”と言われるようになり、“よぉし頑張るぞ~!”と思った矢先に、初めて膠原病が発病したわけです...(2009年)
あれから◯◯年...
先日、大阪の両親を除いたZUYA家の家族全員が、渋谷の某レストランに集まりました。2人いる姪っ子の1人が昨年ステキな伴侶を見つけての“お披露目会”です
その渋谷に向かう山手線の車内でスマホを見ていると新宿駅でお客が入れ替わり、ふと目の前に著名なギタリストである谷川史郎さんが立っていました。しばらくご無沙汰でしたが、まさか電車の中で目の前に立っているとは~
思わず“史郎さん!!”と声をあげて、間髪入れずに“どうぞお座りください!”と立ち上がって直立不動...丁重にお断りになられましたが、大先輩を立たせてZUYAさんは座ったまま色々とお話しすることに。その間隣の嫁はグースカ寝ていたのは驚きです...(さすが見た目だけでなく、大物だ... )
さて昨夜は原宿で降りて表参道から明治通りを渋谷方面に歩き、超老舗のライブハウスの「クロコダイル」へ
もう幾度となく来ているクロコ。御年75歳になられるザ・ゴールデン・カップスのエディ藩さんとクリエイションの竹田和夫さんの夢の共演と言う素晴らしい夜(実際に云十年振りの共演らしいです)。店内に入ると稀にみる超満員で、いつもは出演メンバーが寛ぐ関係者席まで、一般客が座っているほど~
Opening Act(前座)は和夫さんの愛弟子であるSpider Tetsuとサミー中村がフロントマンになって、会場をぐんぐん盛り上げていました。本当はここに忘れてはならない愛弟子・ジョニー犬塚が加われば...
ZUYAさんは彼らとはほぼ同世代でもう長い縁だけど、すっかり“間”を開けられてしまいましたね...みんな頑張ってるなぁ...やっぱり野菜売ってる場合じゃないよなぁ...
さて和夫さんのステージは3曲目が終わったところで、エディさんがコールされるも店内の何所にもいらっしゃらず、更に1曲演奏していると外から帰って来て、“ごめん...飲んでた...”と豪快な大物ぶりは健在でした。ええこれぞカップスのメンバーです!横浜の不良ですよね~!
ステージは色々な意味で熱い場面もありましたが、とても楽しい夜となりましたよ。初めてカルメン・マキさんをお見かけしました。師匠から言伝があったのですが、今回はその場の空気を読んで、また別の機会に話しかけることにしましたよ~
さぁてまた一人ボッチの世界に戻ります...
Have A Good Night,Folks!