どうもZUYAさんです
ブログを書いていると災害や戦争などが起こる度に考えさせられ葛藤します
太平洋戦争で日本は人も地も文字通り木っ端微塵にされましたが、戦時中とは違って“良い意味”で国民が同じ方向を向き、復興への道を進んで行ったわけですよね
ところが今回の震災のように一部地域だけに甚大な被害が出る災害では、どうしても地域によって温度差が生じてしまいます。神戸の震災における東日本エリアの立場もそうだし、その逆の東日本大震災における西日本エリアのそれも然り。もちろんボランティアや寄付等で、微力でも自分が出来る範囲で貢献しようする人もいる中、まったく無関心の生活を送る人もいるわけで(中にはその被災地が日本の何処にあるかも知らない人達も...)
これは決して日本人だけに限ったことではなく、アメリカの西海岸で地震があった場合の同国内の他のエリアも然りです。では悲劇が起こった場合には皆が皆が心を傷めて慎ましい生活をしないといけないのだろうか。遠い昔、昭和天皇が崩御された時は自粛モードがあったのに、自然災害では自粛モードはあまり…
でも結局のところ、自分自身が“対岸の火”とは考えずしっかりと心の中に止めて行動をすれば、それはSympathy(シンパシー)していることになるのですかね
ZUYAさんが今回の「大阪滞在記」を躊躇う理由は、やはり現在入院中の父と一人家に居る母を案ずる気持ちと、帰省した当日に起こった北陸・能登の地震のことです。父は年末の手術は経過が良かったのですが、そのままコロナに感染してしまいました。より面会が厳しくなり何の情報も得られません
地震に関しては発生から既に18日が過ぎ、今も多くの方々が行方不明なままであり、避難生活を余儀なくされていて、これから先の生活に不安を覚えたり絶望されていることでしょう
そんな時に呑気に、“こんな美味しいもの食べました~”、“テーマパークでアトラクションが楽しかった~”、“外は寒くて一日家の中で温かくして過ごしました~”等と言うブログなんぞ綴っている場合なのかと言う葛藤を覚えるわけです。個人的には時には用いますが、本文中に「お見舞い申し上げます」的な言葉も盛り込むのは、とてもあざとく感じるだけでなく吐き気がしてしまう
今回も前書きとして、このことを書いてから「大阪滞在記」の続きを綴ろうかと思いましたが、やっぱり今の心境では載せることは出来ません。ZUYAさんの稚拙な「旅日記」を楽しみにされている方々には申し訳ないですが、ご理解して頂けると幸いです。お詫びを兼ねて数枚選んで載せてあります
水しか出ない昔ながらの洗面所(実家です)
さていよいよ業務引継ぎとして、今週末・来週末と新勤務地に赴きます。色々考えることはありますが、先述の問題に比べればちっぽけなものかもしれませんね
Have A Good Day,Folks!
私も悩みました。
でも、被災した方の悲しみや苦しみは何年たっても癒えませんよね。
だったら、少しでも元気になっていただけるような記事を書きたいと思いました。
本当にそうなっているかは別ですが、そうあることを目指しています。
新しい職場になじむまで大変ですけど、ZUYAさんも頑張ってください!
そして職務上転勤が(かなり)多い砂希さんにそう書いて頂くと、幾分気持ちのスィッチが切り替わったような...
まぁブログのネタは増えそうなのですがね