こんばんはZUYAさんです
先ずは夕飯のご紹介をざっと~
トマトが高いので赤色にはラディッシュを使った水菜とブロッコリーのサラダです。“ちょっと待って!何か載ってるじゃない上に!何?何?”と思ったそこの貴女!お目が高い!
これは先日サンプルで頂いた「フィンガー・ライム」です。切るとオクラのように(?)中に粒粒が入っているのでそれを散らしました
箸休めには、ラディッシュの葉とカニカマの辛子ぽん酢和え
汁物は具だくさんの野菜の味噌汁。茄子、大根、しめじ、豆腐、茗荷が入っています。メインは手ごね寿司。三重県の郷土料理ですが、要は“漁師料理”ですね。酢飯の上には生姜、大葉、茗荷、もみのりと15分ほど漬けにした鰹を載せました。食べる時に混ぜて食べるのですが、不機嫌な家人は従わず自己流で食べていました...
さてここからは長々と音楽の話を綴ります (興味のない方はここで、お休みなさいませ )
音楽業界で訃報が続いていますね。先日の谷村新司さんに続いて、今度はもんたよしのりさんまで...
“昭和の”なんて簡単な形容句を使いたくはないものです。日本の音楽業界に素晴らしい功績を残したお2人なのですから。ZUYAさんは谷村新司さんとは、残念ながら直接面識はありません。ご存知の通り「アリス」のメンバーだった谷村さん。ZUYAさんはその兄弟バンドであった「ザ・ムッシュ」のメンバーだった方とは親しくしてさせて頂いています
「ザ・ムッシュ」は当時の関西ではアリスと人気を二分するほどでしたが、解散してしまいました。でもその方は今も曲作りを続けられています
このアリスの武道館ライブでは、“ベーやん”こと堀内孝雄さんが、ある曲を歌う前に曲を作った彼に向けてメッセージを言うところは、なかなかの聴かせどころのようですね
そして、もんたよしのりさんとも間接的には...ZUYAさんは「もんた&ブラザーズ」のギタリストのお二方とは何度も顔を合わせていますからね(当ブログにも時々...)
ですから、どうも遠戚が逝ってしまったような気がしています。人の死を敏感に感じてしまうキライのあるZUYAさん。昨日今日の連休は明るく努めましたよ
お二人とも安らかにお眠りになられることを心から祈りたいと思います。
そしてあちらでも素晴らしい音楽を!
さて昨夜(月曜日の夜)は観て来ましたよ。伝説のミュージシャン・山内テツさんを~
夢にまで見た...
あのZemaitisだぁ...
30年以上前にRod Stewart擁するFacesを聴いたことにより、音楽の泥沼に入り込んだZUYAさん。そのFacesの後期ベーシストだった山内テツさんが10数年ぶりにライブを行いました
山内テツさんは、“ロッド・スチュワートのバック・バンド扱い”されることに嫌気が差して脱退したRonnie Laneの後任として、当時Paul Rogers率いる「Free」でベースを弾いていたところを(円満に)引き抜かれました
FreeとFacesと言う世界的なバンドのメンバーとして、2度も来日公演をすると言う偉業を残した山内テツさん。1975年Facesが解散した後は国内で活動しますが、商業音楽に嫌気が差し始め遂には隠遁生活に。先述したように最後のライブは2009年。ZUYAさんはこのライブを見逃してしまい、数十年後悔していました
それが昨夜。遂にええ夢ですよ
(叶ってはいませんが)“自分が音楽で食って生きたい!”と思わせてくれた人が目の前にいるのですからね。もうずいぶん前からサウンドはロックでなく、フリージャズと言うかかなりアヴァンギャルドな音楽です
でもねぇその音圧の凄さと言ったらまさに本場仕込み。ベースとドラムのデュオと言う珍しい形ですが、ドラムは知る人ぞ知る嶋田吉隆さん。音楽に携わる、或いは詳しい方なら誰でもご存知ですよね。この方もワールドワイドな活動をされて来ています。実にダイナミックなサウンドで、途中まで“2人で演奏している”ことを忘れていました
まぁテツさんの歌はお世辞にも上手くはないのですが、オリジナル曲の歌詞が良かったです
「答えは既に自分の中にあり 後はそれを見つけるだけだ」
と言った内容(その後泥酔してしまい、正確な詞を忘れてしまいました...)
ステージが終わると多くの方が持参したアルバムやフェイセズの日本公演のパンフレット等に、サインして貰っていました。ZUYAさんも握手ぐらいしてもらおうかと思いましたが、性格上断念しました(リスナーではなくプレイヤーですからね、ZUYAさんは)
とても素晴らしい時間を過ごしました。が、隣に座っていた初老の親父2人が煩かった。ええよくいる輩です。昔の曲(フリーやフェイセズ時代)を期待して来て、その辺をやらないと文句を言うやつ。ずっと隣で愚痴っているのが耳障りでした。嫌だったら帰れって~の
奇しくも、数日前に某中堅ミュージシャンが茨城のステージでやらかしたようですが...
まぁ客の求めるものとアーティストの求めるものは常に一緒だとは限りませんからね。ZUYAさんとしてはこの件に関してはどっちもどっちかと。でも音楽だけを聴きたいのなら家で聴けば良いと言うのには賛同します。そしてライブと言うのはハプニングを含めてこそ...ま、そう思うわけです
さてそんな山内テツさんのアルバムを1枚紹介します
山内テツさんが一時帰国して作った1stソロアルバム。成田賢さん、原田裕臣さん、角田ヒロさん等が参加。女性ヴォーカルはイギリスから連れて来たようですね。ロックと言うよりはファンキーなジャズ・ロックと言った感じの曲もあります。フリーやフェイセズでのサウンドを求めて聴くとちょっと違うかもしれませんが、ZUYAさんはこういうサウンドは大好物です
このアルバムが制作・発売された1972年は山内テツさんは忙しく、「Kossoff, Kirke,Tetsu, Rabbit」を作ったり、その後再結成されたフリーに参加するわけですね
さてブログの「下書き」が随分溜まっています。時系列がおかしくなるかもしれませんが、皆さんに楽しんでいただけるように、盛りに盛って(←あかんやろ!)書いていこうと思います~
さて1日行ったら、公休日ですので頑張ってみます
Have A Good Night,Folks!
食卓のお写真、おお!手ごね寿司だ✨と嬉しく拝見。美味しいですよね。そういえば今年は作っていないな。戻り鰹の美味しいうちに作ろうかな!です。
例によって音楽のことは門外漢なのですが💦。山崎まさよしさんの話題は、ちょっと気になりました。
沢田研二さんは、かつてのジュリー時代の大ヒット曲は歌わないと聴いたことがあります。ZUYAさんのブログを読んで考えましたが、タイガースの一員として歌っていたけれど、次第に”売れる歌”を”歌わされていた”のかな?それを封印したいのかな?と。
ジュリー時代は自分のものではないという想いなんでしょうかしら。
アーティストは常に進化、変化していて、それを発信し続けるものなのかしら。
詳しい経緯はわかりかねますが、山崎まさよしさんは殆ど歌わなかったとか。「歌いたくない」「キーが高い」「そんなに高いチケット代を払う必要ない」という発言も合わせると、今の自分の歌を聴いてくれ!というのとは違うみたい。
一体どうしたんでしょうね。
歌を聴きに来たのに、お喋りばかりしてるなら帰ると帰った方もいたそうですが、さだまさしさんはお喋りが面白くて、そちらを楽しみに来るファンもいるそうで、なかなか面白いなぁ。
葉月
ほほぉ...みっちり書き込んでくださいましたね
さぁてどう返そうかと思っていたところ、“いつもの時間調整”が入りましたので丁寧に書かせて頂きます(酷過ぎると思いませんか?職場を出た連絡がを貰ってから実際に出たのは1時間後って...全て急いで準備したのに... )
確か、葉月さんのブログで「手ごね寿司」を知ったかと思います。すっかりレーパートリーに(って言うほど難しいものではないのですが...)
ジュリーこと沢田研二さんは、本当に自分と言うものをしっかり持った方だと思います
以前にも書きましたが、沢田さんは地方公演の後の893がらみの打ち上げ等には一切出ず、更には自分(たち)を見つけてくれてた恩師・内田裕也さんへの恩も決して忘れない
ですから過去のヒット曲のオンパレードできゃあきゃあ騒がれるより自分のやりたいこと・伝えたいこと(曲)を選んでやっているのだと思います
本当にうわべだけの曲がったことが嫌いな方だと思いますよ
もちろんこれから更に年を召されて何かの拍子に過去の歌を...と思って歌われることもあるかもしれません。でもそれは“その時が来たから”だと思います
山崎まさよしさんに関しては葉月さんと同じようにネットによる情報しか知りません(私は彼の楽曲もほとんど知らない)。でも本文中にも書きましたが、“ハプニング”も含めてのライブだと私は考えています。もちろん音楽の楽しみ方、ライブの楽しみ方は人それぞれですが、少なくとも一部の意見だけが取り上げられて、(彼のトーク中心のライブに)満足された方もいるはずなのにね...