小生がこの世に生を受けたのは
1970年代の前半...
でも
身や心に沁みついたのは
80年代や90年代ではなく
70年代のセンスや文化
革ジャンにロングヘアー
ブーツカットのジーンズに
カウボーイブーツ...
そして
家の中ではガウンではなく
今でもアディダスのジャージ
それが...
わ・た・し
The apartment I used to live in Canada
こんばんはZUYAさんです
1971年のいわゆる“ニクソン・ショック”までは、固定相場制と言うものがあり「1ドル=360円」と決まっていましたね。ですから、これ以前に海外に渡航経験のある方は、お仕事やご結婚、そしてお大尽の家系に限られると思います。あの伝説的ギタリストのゴールデン・カップスのエディ播さんも、“稼業を継ぐ約束”でアメリカへ旅に出たそうな...
映画やテレビの中でしか知らない北米やヨーロッパ、そして他の国々...若者たちは職場で、“海外転勤”、“海外出張”となれば、こぞって手を挙げたようです(某有名ガラスメーカーの元社員談)
ところが2000年頃になると、その海外への転勤や出張命令が出ると若者たちはこぞって、
“(会社を)辞めます”
と言い始めたそうな...
そして最近ではオーストラリアに、“ワーキング・ホリデー”に行った若者の一部が現地で働かず(働けず)に現地の炊き出しの列に並んでいると言うニュースを目にしました
どうやら理由は英語がロクに話せない(努力もしない)ので、仕事が見つからないとか。日本の低レベルのマスゴミが、
“円安だから海外でとても稼げる”
とか馬鹿な情報を流すからだよ...
The room I used to live in Canada
格言うZUYAさんは太平洋を渡る前に英語を頑張って勉強したので、
“カナダに行ったら、同じく公用語であるフランス語を勉強してトリリンガルだな~“
と考えながら自信満々でカナダに行きました
それは1999年のこと(当時の円相場は、1カナダドルが70円台でした)。ZUYAさんが選んだ地は、カナダ内陸のManitoba州。現地の英語は日本で慣れていた英語よりも数倍速く、飛行機を降りたカナダの玄関口であるBritish Columbia州のヴァンクーバーの街からしてビビりましたね(この街は日本人慣れしているはずなのですが...)
ですから更に日本人と馴染みの無い人々が多く住むマニトバ州の郊外の町などは英語が早いどころか、そこに更には人々のルーツの国の言葉が混ざるから、もうほとんど暗号でしたね~
やっとの思いで、日常会話は困らい程度に(女の娘をデートに誘えるぐらいの)英語が身に付いたのに...
未や、少しの日本語と少しの英語しか話せません~
Have A Good Night,Folks!
P.S.
ここだけの話ですが、ZUYAさんはあのテレビで見かける“ホ◯ン千秋”と言う女性がとても苦手です...
“滝クリ”さんの方が全然、良い印象です
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます