なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

日本航空123便墜落事故…

2022年08月12日 | Life

2022.8.8. 横須賀市長井にて

 

こんばんはZUYAさんです

毎日暑い日が続いていますが、皆さん元気であらせられますか?(それだけでなく災害に遭われている方々も、多くいらっしゃるので、これしきの事で泣き言を言っている場合ではないのですがね…)。天気予報によると明日に東海・関東地方に接近する台風8号が通過した後は、どうやら少しずつ天気の変化があるようで

昔は「暑さ寒さは彼岸まで」と言う言葉がありましたが、近年は死語となりつつありますね

 

          

 

実は内緒にしていたことがございます 

基本的には好まないコンビニのフードなのですが、一目惚れ(一口惚れ?)してしまったのです。ええ、店員さんではなく商品にですよ、もちろん(←安心してください!)。フォローしているとあるブログの中で、コンビニの商品の中でも粋な物を頻繁にUPされている方がいらっしゃいましてね。小生も負けずにコンビニを開拓しようと思ったのが発端なのですが、既にもう数え切れないぐらい食べているのが、こちら(↓)

 

 

ビーフン好きのZUYAさんですからね。販売終了まで買い求めるつもりです

 

          

 

さて、ここからはおふざけ無しで真面目に書きますね(基本的に小生はいつも真面目に書いているのですが、持ち前のエンターテイメント性、並びに大阪人気質のために…)

 

我が国日本にも、太平洋戦争に関わる記念日(追悼の日)を始め、様々な悲しい歴史を持った日がありますね。そしてそれは年々増えているような気がするのは不思議なことでもなく、それが正しく“歴史”と言うものなのですからね

先日、睡蓮さんのブログの中で書きましたが、ZUYAさんにとって最も心が震える出来事は、「日本航空123便墜落事故」(犠牲者は520名)であります。当ブログでも何度か書いていますが、37年前に起きたこの悲劇だけは忘れることは容易ではありません

この事故が起こったのは、37年前の1985年8月12日。当時ZUYAさんの父親は日本航空の関連会社で働いていました。あまりにも頻繁にある東京・大阪間の出張のため、特に家族に告げない(日航機を利用しての)日帰りで飛行機に搭乗することもありました。ちなみに、その当時は大阪にはまだ伊丹空港しかありませんでした

ですからこの事故の一報がテレビのニュース速報で流れた時の母親の取り乱し方は、当時小学生だったZUYAさんですが、今でも脳裏に焼き付いています(現在のように携帯電話なんぞない時代ですからね...)  

もちろん結果的に父親はこの日は搭乗しておらず、でもこの事故だけは云十年経った今でも他人事には思えないのです 

 

毎年この時期になると必ずこの事故に関して、本やネット等で忘れていた事実や新しくわかった事実を調べる習慣を持っています。今はネットのお陰で映像も数多くあり、特に「ブラック・ボックス」に残された圧力隔壁の損傷発生から墜落までの機長達の壮絶な戦いの肉声は...何も感じないとしたら“あんたは人間ではない!”とまで言い切りますよ   

事故直後は機長の遺族にまで嫌がらせが頻繁にあったようですが、このブラック・ボックスの音声が世に出て、機長が最後の最後まで諦めずに必死に操縦を試みたことが知れ渡ったことは、機長自身にも残されたご家族にも、そして搭乗していて亡くなられた乗客・乗員519名(※機長を除く)、並びに酷い怪我をしたにも関わらず生存できた4名の方々の心をどれほど癒したことか…

 

この事故に関しては、尋常でない飛行を続ける機内で書き残した遺書など様々なエピソードが残っていますね。小生が最も心に残る話は、5人家族で搭乗し母親と長女だけが生き残った方々のお話し。いわゆるダッチロールが始まった時にご主人が奥様に「子供たちの前だ。うろたえるな!」と励ましてくれたと言うセリフ。小生は熱いモノが込み上げました。特にこのご主人は次々と失神する周囲の人達を、(スチュワーデスに許可をもらって)ベルトを外して励まして回ったそうな

※スチュワーデスは現在ではキャビンアテンダントと呼ばれますが、便宜上当時の名称を使っております

 

母親はその後時々メディアのインタヴューを受けているそうですが、長女はネット等のメディアのデマ情報にうんざりしているそうな。でもきっと父親の勇敢な行動・最期は心に刻まれていると思います。ZUYAさんは残念ながら父親になると言うことは叶いませんでしたが、でもこの父親が行った自身の家族だけでなく、この状況下での周囲の人達への気配りは畏敬の念を持っています  

本当にこの時期になると様々なオカルト的な情報も出回ることにうんざりします。ええ、純粋に吐き気が出ます。信じるか信じないかは各自の問題なのでしょうが、「アメリカが日航機にミサイルを撃ち込んだ」とか、事もあろうに「自衛隊が撃墜した」なんて話まであるのです

何を信じるかはあなた次第。でも間違いなく言えるのは、亡くなった人は二度と戻ってこないと言うことです

 

被害者の方々

その遺族の方々

全員に祈りを捧げます  

 

Have A Good Night,Folks!  



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2 コメント

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砂希さまへ (ZUYA)
2022-08-15 05:24:43
今、思えばあの頃のテレビや雑誌は“未熟(あいまい?)”だったので、うっかり映してしまったり、週刊誌に生々しい写真が載っていましたからね。まさしくその場の“異臭”までもが伝わりそうなくらいな

海外のアーティストでも多いのですが、いわゆる「飛行機嫌い」が多い人の中には“航空機事故に対する恐怖”がありますよね

とにかく日本人が忘れてはいけない歴史的な日の一つだと思います
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日航機事故 (砂希)
2022-08-14 16:49:09
あれはとんでもない大惨事でしたね。
当時、私は大学生だったと思います。
ビジネスや旅行で乗っていた方は本当にお気の毒でした。
30代に入ってから、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』を読みました。
フィクションとはいえ、事故の背景にたどり着いたような気がして。
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