人は生きている限り
自分以外の人の死を
受け入れなければならない
時には身内以上に打ち解けあった
“Soulmate”の死をもね
ツラいことですが
でもこれさえも乗り越えて
人は生きて行くのです
2008年Sam Ishiharaと
おはようございますZUYAさんです
“私も音楽が好きなんです~”と言われても、皆さんが思っている以上に音楽の世界と言うのは広くて深いのです。そのジャンルは無数にあり、その好みは人それぞれ。CDやレコードを出したり、武道館ライブや“ドーム・ツアー”をしている人だけがミュージシャンではないのです
ちなみに
“Local musician”
ZUYAさんは“Musician's musician”と共にこの語が好きです
一昨日、色々な面で一杯一杯になってしまい、早朝に思い立って車を借りて郊外にドライブに出ました。まさに思い付きだったのでCDも持たずに、車内ではFMラジオを聴きながら高速道路から山道へ。昼下がりに家に戻って来た頃には幾分心が和らぎ、“さぁ頑張ってみるか!”と思った矢先に、訃報が届きました...
“ソウルメイト”だったカントリー・ミュージシャンのサム石原(Sam Ishihara)が逝きました
1979年に東京・赤坂で「Stonefield's」と言うカントリー・バーを開店し1999年に店を閉めるまで、国内外のカントリー・ミュージックのマニアが集うお店を経営していました。Elvis Presleyの後期のドラム、Ronnie TuttやThe Venturesのメンバー(名前を忘れた...)も来日時に気さくに訪れたり、ロナルド・レーガン大統領も来日時に訪問を熱望したのですが、警備上の問題で断念したと言う逸話もあります
Samは店を閉めた後、“カントリー・シンガー”として生きて行く道を選び、東京を中心に場末の酒場やライブハウス、個人パーティー等で弾き語りをするようになりました。時にはバンドを伴って古いロックン・ロールを含むオールディーズまで演奏していました。彼のMCでの曲解説はいつも丁寧で素晴らしい知識の持ち主でした
ZUYAさんが彼に出逢ったのは2008年の初夏。カナダから帰国後、東京に拠点を移して地道に音楽活動を続けていた頃です。国立にある「No Borders」と言うお店で、アメリカ人のChrisとライブをやっていた時に、違う日に出ているSamが観に来ていました。演奏が終わると彼は英語で話しかけて来たので、てっきり(米軍)基地関係の外国人かと思ったら、チャキチャキの“大阪のおっさん”(ZUYAさんの父親と同じ年)でした
ブルース・ギターを弾くZUYAさんですが、時折James Burtonのようなサウンドを織り交ぜる。そしてカナダではカントリー・ナンバーも良く演奏していましたからね。そこに目を付けたSamが、“ワテのバンドで弾いてくれへんか?”と言って来て彼との付き合いが始まりました
そして彼と赤坂、新宿、国立、赤羽、立川、羽村等々、月に4~5回ほど演奏することに。ライブハウスもありましたが、多くは場末のスナックのような吞み屋。もちろん機材もないので、ZUYAさんは小さくてそれなりに音が出るアンプを、カートで(電車やバスを利用して)運ぶことになりました
2008年頃
当時は板橋区の本蓮沼と言う所に住んでいて、最寄りの都営三田線は最終電車が早過ぎました(一般人には普通なのでしょうが...)。しばしば赤羽駅から歩いたり、タクシーに乗ったりしたものです。そしてエレベーター無しの4階建ての最上階に住んでいたので、部屋に辿り着くと酔いが醒めてしまい、また飲み直し二日酔いでアルバイトに出掛ける、そんな日々でしたね
赤坂の店だったかな。大層美しい女性店員がいてZUYAさんはこっそり連絡先を聞いていたのですが、Samが後々その女性の連絡先を知りたいと言って来ました。ZUYAさんは“知らんわ”とシラを切ったのですが、“お前が聞いてないはずがない!”と、自身の父親と同じ昭和16年生まれのおっさんと揉めたのは微笑ましい思い出です
あ!写真があった!
ZUYAさんが彼のバンドに加わる時は各お店でオーナーに掛け合って、“ZUYAはホンマにええヤツやから好きなだけ飲ませてやってくれ!”と頼んでくれたようで、何処でも飲み放題でした。後日、Samは店から出ていたZUYAさんのギャラも懐に入れてたのが発覚しましたけど、これもまた微笑ましい思い出です
が、当時はまだまだ血気盛んだったZUYAさん。この件でイライラしているとワイフに言われました、
“あんたが弾くのブルーズ・ギターやろ?カントリー・ギターはなんちゃってやろ?それでギャラを貰おうと思うな!”
ってね
とにかく彼のバンドをサポートしたお陰で音楽性の幅が広がり、噂を聞いたとあるオールディーズ・バンドからも参加依頼が来て、ZUYAさんなりの黄金時代が到来したわけです。月に6本ほどライブがあったわけです
そんな楽しい日々も、今再発している病気が初めて発症し全てが“おじゃん”に...(←って死語でしょ?)
ちょっと休憩して追悼を兼ねて、カントリーのアルバムを聴きますね
1976年グラミー賞を獲ったEmmylou Harrisの名作中の名作。盟友Gram Parsonsの楽曲だけでなく、カントリー以外の名曲も取り入れ、それをJames BurtonやLinda Ronstadtらが好サポート。エミルーのファッションもとても素敵ですよね。近年Taylor Swiftなんて小娘(もう大人になったのかな?)がもてはやされていましたが、エミルー・ハリスを聴かずして女性カントリー・シンガーを語ることは出来ませんね
12年前に病気をしたのをキッカケに音楽活動をひとまず休憩し、堅気の仕事に就く(正社員になる)ことに決めたZUYAさん。まぁ2年後に正社員になるも、1年で辞め、2社目は1年半で辞め...3度目の正直で今6年働いています
正社員になった後も“ギャラ”なんぞ関係なしに、時間が合う時には彼のバンドでプレイしました。彼がソロでやっている時もふらっと訪れて店のギターを借りてシット・イン(飛び入りでプレイすること)したものです。最後に会ったのは3、4年前かな。去年の夏、ZUYAさんが福生に撮影旅行に行った時に会おうと思って連絡を取ったのですが、既に体調を崩していたようで...
最後は彼へのメッセージで締めたいと思います
Sam、あんたが逝ってしもうたんは
思ぉとった以上にツラいわ
でも
あんたのおかげで俺の人生は面白くなったわ
おおきにな
俺はまだしばらくはそちらには行く気はあらへんけど
また会ったら腰が砕けるまで飲もうや
もちろん綺麗どころも揃えてな
知らせを聞いてから
あんたのおかげで
連日ガブ飲みしとるわ
でも
弔い酒は今日で辞めとくわ
See ya, Man!
Have A Good Day,Folks!
クリンもZUYAさまの一面を知ることができました🐻
元気出してくださいね!
(おじゃんは、まだ死語とまでは言えないと思っている)クリンより🍀
初めに訃報を受けた時よりも、時間が経つと実感が湧いてくるものですね。今は頭の中は彼との思い出が走馬灯の様に思い出されています