出生率が 1.37(2008年)で、前年比+0.03ポイントになったとのこと。
2008年に生まれた子供は109万人。
昔、団塊の世代が生まれた頃は年270万人、団塊ジュニアの頃は200万人だから、
まあ、昔の半分といったところですかな。
若干改善した様にみえるが、理由は明白。
団塊ジュニアの年代があがり、出産の適齢期がそろそろ限界に近づいているだけ。
この後、率で同水準を維持したとしても、絶対数はどんどん減るだろう。
少子化担当の大臣もいるらしいが、
何をやっているのか知らないけど、何かやっているソブリだけはしているんでしょうなぁ。
しかし、世界全体では人口の爆発的増加が続き、それこそ大問題。
1900年頃の15億人が、今では65億人、2050年には100億人と言われる。
日本をはじめとする出生率の低い国は、世界の大問題に貢献している訳で、褒め称えられてしかるべし。
限られた地球上では、当然のことながら、住める生物の数に限界がある。
出生率が低くて困ること、
- 社会が活性化せず停滞すること、少数で数多くの老人を養うこと(少数の負担増)、などがあげられる。
しかし、よく言われる様に、いい側面もある訳で、
例えば、一人あたりの面積が増える、自然の保全につながる、など。
今の日本は、約1億2700万人。
江戸時代の人口は3,000万人だから、その辺りの水準が適当な様にも思える。
奈良時代だと500万人といわれる。
その水準でもいいのでは?
いやいや、縄文時代は30万人。
それもいいかも。
それはともかく、考えるべきは、人間の生物としての限界が一部で見えてきたという点。
飢饉や大災害、戦争など、特定の事象で減少する場面を除き、
人口の減少は、人間の生物としての発展可能性の限界を意味する。
生物は、系統としては進化しても、一つの種だけをみると誕生、発展、衰亡を繰り返す。
あるいは、本来の主役が出現する前段階では、露払いとしての生物が誕生、存在する。
つまり、生物のベータ版。
人間は、真打が登場する前の、前座の存在かも? と感じるこのごろ。
誕生から衰亡の兆しまでの期間が短かすぎる。
まあ、ワタシの様なプアマンにとっては、どうなろうが構わないけどね。
人類が永遠に発展することなぞ、ありえないんだから。
どこかで曲がり角が来るのは当然の理で、
それが近づいているというだけのこと。
2008年に生まれた子供は109万人。
昔、団塊の世代が生まれた頃は年270万人、団塊ジュニアの頃は200万人だから、
まあ、昔の半分といったところですかな。
若干改善した様にみえるが、理由は明白。
団塊ジュニアの年代があがり、出産の適齢期がそろそろ限界に近づいているだけ。
この後、率で同水準を維持したとしても、絶対数はどんどん減るだろう。
少子化担当の大臣もいるらしいが、
何をやっているのか知らないけど、何かやっているソブリだけはしているんでしょうなぁ。
しかし、世界全体では人口の爆発的増加が続き、それこそ大問題。
1900年頃の15億人が、今では65億人、2050年には100億人と言われる。
日本をはじめとする出生率の低い国は、世界の大問題に貢献している訳で、褒め称えられてしかるべし。
限られた地球上では、当然のことながら、住める生物の数に限界がある。
出生率が低くて困ること、
- 社会が活性化せず停滞すること、少数で数多くの老人を養うこと(少数の負担増)、などがあげられる。
しかし、よく言われる様に、いい側面もある訳で、
例えば、一人あたりの面積が増える、自然の保全につながる、など。
今の日本は、約1億2700万人。
江戸時代の人口は3,000万人だから、その辺りの水準が適当な様にも思える。
奈良時代だと500万人といわれる。
その水準でもいいのでは?
いやいや、縄文時代は30万人。
それもいいかも。
それはともかく、考えるべきは、人間の生物としての限界が一部で見えてきたという点。
飢饉や大災害、戦争など、特定の事象で減少する場面を除き、
人口の減少は、人間の生物としての発展可能性の限界を意味する。
生物は、系統としては進化しても、一つの種だけをみると誕生、発展、衰亡を繰り返す。
あるいは、本来の主役が出現する前段階では、露払いとしての生物が誕生、存在する。
つまり、生物のベータ版。
人間は、真打が登場する前の、前座の存在かも? と感じるこのごろ。
誕生から衰亡の兆しまでの期間が短かすぎる。
まあ、ワタシの様なプアマンにとっては、どうなろうが構わないけどね。
人類が永遠に発展することなぞ、ありえないんだから。
どこかで曲がり角が来るのは当然の理で、
それが近づいているというだけのこと。