陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プア6-(6) 貧窮問答歌

2009-06-26 08:50:16 | Weblog
トンボがえりで太宰府へ行った。
あまり時間がない中で、帰路に太宰府政庁跡にだけ立ち寄った。

昔の「遠の朝廷(とおのみかど)」の跡地。
広大な跡地の中央に石碑がたっていて、往時をしのばせる。
また、周辺の山並みの柔らかい線もよい。
雰囲気的には、藤原京に似ている。
政庁跡を眺め、大伴旅人や家持、そして山上憶良を連想した。

ワタシに近しいところでは、山上憶良に『貧窮問答歌』がありますなあ。
昔は、山上憶良には心情的な反感があったが、最近はそうでもなくなった。
何に対する反感か?
- 憶良は、社会的弱者を詠んだ歌が多く、一種の社会派歌人といわれるが、
所詮テメエは貴族じゃあないの。
「下層階級への温かいまなざし」なんていうけれど、
上からの目線で弱者を詠むとは、何ともイヤラシイヤツダというもの。
70数歳まで生きたそうだが、当時は、健康状態が余程良好でないとそのトシまで生きられない。
それだけでも、下層階級の者とは天地の差の生活を想像する。
というもの。

まあ、しかし、それは今の時代の感覚からそう思うのであって、
当時としては、貴族が民衆に眼を向けることはないから、上から目線とはいえ異色は異色。
今の価値観で見てはいけない。

今、山上憶良が生きているとすれば、プアなワタシや世をどう詠むだろう?
現代版の貧窮問答歌(答えの部分)。


天地(あめつち)は 広しといへど 吾が為は 狭(さ)くやなりぬる
日月(ひつき)は 明(あか)しといへど 吾が為は 照りや給はむ 人皆か
吾のみや然(しか)る わくらばに 人とはあるを 人並に吾も作るを
<ここからもじり>
クルマ無く 携帯も無く スイカ無く びっこを引きつつ とぼとぼ歩き
崩れつつあるボロ家の内で 何とか三度のメシを食いつつも ただそれだけの日々
世を見れば 総理が声は ころころ変わり 年寄りは明日の糧に心奪わる
若者は年金その他の国家詐欺に泣かされ 律令時代とさほど変わらず
<元に戻って>
かくばかり すべなきものか 世間(よのなか)の道

世間を憂しと恥(やさ)しと思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

山上プア男頓首謹みて上(たてまつ)る


糊口をしのぐだけの生活が続くと、
社会の本質は、憶良の時代と何も変わっていない様な気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする