東京モーターショーやオートサロンなどに出品され、
多くの人々の羨望を集めるコンセプトカー。
そのうち一部は市販化に移され、多少の変化とともに
夢から現実へと飛び出してくる訳ですが、
逆にその多くはラブコールに応えることなく
いつの間にやら忘却の彼方に消えていくものでもあります。
個人的にスポーツカー大好きな私です。
東京モーターショーなどでは「それを見に行く」と言って
行く目的がショーではなく、たった一台のクルマになる
場合がほとんどです。
ちょっと欲求不満の解消と思い出話を兼ねてクルマ話など…。
先ず思い出深いのが1995年の東京モーターショー(以下TMS)です。
「このTMSははっきり覚えてるぞ!」と言う方も多いと思います。
このTMSではホンダとマツダから意欲的なスポーツカーが出品されました。
先ずはホンダSSM。
SSMはSports Study Modelの略でした。
詳細は割愛しますが、この4年後にS2000として日の目を見ることができました。
デザインは市販版よりクールなデザイン。
全高が低く抑えられていることと、ショーカー的な装備の大胆な省略と相まって
非常にスタイリッシュでした。
市販化にあたってデザイン…特に顔回りが変わったことに賛否が分かれたと
記憶しておりますが、逆に言えばSSMはかなりショーカー然としたもので
市販化の匂いはかなり薄い感じが個人的にはしたものです。
エンジンは当時のインスパイアに使われていた直列5気筒で
それを5AT+FRレイアウトと組み合わせていたそうです。
個人的には直5ではなく4気筒…当時あるエンジンの中だったら
プレリュードの2.2Lを使って欲しいなぁと思ったものです。
市販にあたっては2Lの専用エンジンを用意してくれました…
ホンダにはこんな時代もあったんですねぇ…(涙)
そして忘れえぬマツダRX-01…。
FD3Sとはある意味別のアプローチ…、軽さと低重心を極めていこうという
非常に意欲的な内容でした。
少なくとも私は今でもそう思っています。
エンジンはNAロータリー、今のRENESISの原型…と言うかそのものずばりの
250PS・13B‐MSPロータリーエンジンを搭載していました。
それを当時のFDよりさらに低く奥に押し込めてマウントする
新FRレイアウトを採用していました。
スタイリングもFR側のボンネット上面をウィングのような構造にしたアグレッシブなもので
FRナンバープレートを何所につけるかが問題だったでしょうけれど
少なくとも何にも似ていない、美しい90年代のマツダデザインでした。
そんなヨタ話も何も吹き飛んでしまうのが、その現実感の高い姿…。
灯火器に一部ショーカー的な要素がありましたが
シャシーはNAロードスターからキャリーオーバーされていることが
公式にアナウンスされていましたし、
ショーカーとしては珍しく窓周りやワイパーなどがちゃんと仕上げられ
まるで市販寸前のような佇まいをしていたのです。
当時NA6CEに乗っていた私としては気になりまくりです。
出たら買いたいなぁ…と真剣に思ったものです。
「SSMとRX-01、どっちも欲しいし魅力的だけど
SSMがモックアップ+αなのに対して
01は市販してくれそうだもんなぁ…」と
ただ現実は逆となり、市販化への道を水面下で確実に歩んでいったSSMに対し、
01はその後の経営環境の悪化などから、市販化されることなく姿を消してしまいました。
ただし…そのコンセプトは4座+観音開きドアの4シータースポーツカーへと変化し
RXエヴォルブを経てRX-8へと形を変えて結実しました。
RX-8はいいクルマです。
でも…あの日あの場所で多くの人々の羨望の眼差しを浴びたRX-01が
市販されていたら…と思ってしまうのが正直なところです。
SSMとRX-01、
どちらも名を変え、姿を変えながら市販化への道をたどったのは
非常に面白いことだったと思います。
お次はちょっとさかのぼって1991年へ…。
この時は、私ダイハツブースがお目当てでした。
X-021というオープンスポーツカーが見たかったのです。
このルックスだけでも卒倒しそう…と言う方も多いと思います。
しかし中身はまるきりレーシングカーのようなつくりです。
アルミバスタブのシャシー、
サスペンションはまるきりフォーミュラーカーのような
前後プッシュロッド式のダンパーを持つダブルウィッシュボーンサスペンション…
エンジンはアプローズ用の1600SOHCをハイチューンとし、
超軽量(700kg台?)の車体と合わせて、排気量からは想像できない
強烈なパフォーマンスを実現していたと思われます。
これを見るためにTMSへ行き、この車の前からずいぶん動かずにいたと思います。
これもまた日の目を見ることなく、歴史の中へ消えていきました。
ただ、外観デザインはその後のダイハツ・コンセプトカーに受け継がれ
前照灯のデザインなどは今のCOPENに受け継がれています…。
このクルマ、製作はあの”童夢”なんですね。
とあるイベントでは実走したやらしないやら…。
一度走る姿を拝んでみたいものです…。
そして今度はMR-S
。
1997年のTMSでお披露目され、1999年秋に発売。
これもTMS出品時から発売を楽しみにしていた機種でした。
先代のMR-2と比べ、ターボの設定がない事やオープンカーなことで
軟派なクルマと呼ばれ続けてしまいましたが、ところがどっこい。
乗ったらこれまた痛快なクルマでありました。
しかも予想外に速く、かなりのペースで走ることが出来ます。
デビュー当時、外観はコンセプトカーのままのように思えましたが
こうしてみるとずいぶん市販版はエモーショナルなデザインに
手直しされていたんですね。
これも今や過去のクルマです。
ちなみに前述のコペン、S2000ともども今の我が家に居たりします(^^;)
TMSではなくオートサロンからも1台…、
NB型のマツダスピードMPSです。
MPSはMazda Performance Seriesの略で、
メーカー自らによるハイパーチューンドロードスターでした。
これもオートサロンで多くの方の熱い眼差しを浴びていたと記憶しております。
最初期発表型ではBP型エンジンを2L化して200PS超のパワーを搾り出し
ボディーはFHC化され、剛性や空力等を完全に見直し。
またノーズは通常のNBと異なる、クラシカルでありながらも戦闘的なルックスで
そのパフォーマンスに負けないデザインも手にしていました。
MPSは、まさに夢のロードスターでした。
市販前提…と言われたMPSでしたが、その後徐々にMPSの内容はトーンダウンされ、
いつの間にやらフェードアウトしてしまいました。
またMPSは海外専用ネーミングとされ、国内の”マツダスピード”と合わせて
マツダの高性能者の名前として今は活躍しています。
NC型へのFMCなど、いろいろな事情があったものと考えます。
これまた路上を走る姿を見てみたかったクルマです。
これもまた変わった所にその片鱗を残しています。
メーカーの手を離れ、NAの開発者とショップによる
ファインチューンロードスターのプロデュースの際に、
そのフロントフェイスのデザインにその面影を残しています。
そして最後に登場するのが日産MID-4。
1985年に1型が、そして87年に2型が発表され、
その完成度の高い姿と、謳われた圧倒的高性能に
国産初のスーパースポーツカーはこれだ!と思った方も多いのではないでしょうか。
私もその一人でした。
85年のTMSでは、私もMID-4を取り囲んだ大観衆の一人になっていました。
国産初のミッドシップスポーツカー、MR-2の興奮も冷めやらぬ中に、
230PSという超・大パワーのエンジンと、
それを高速4WDシステムとミッドシップENGレイアウトで支えるという
”常軌を逸した超高性能車”の登場は
日産ファンでなくとも十分に熱狂させる破壊力があったと思います。
遠目に見たステージには(たしか赤い)MID-4とそのパワートレーンが飾られ
小学校高学年に過ぎなかった私にも、国産車にも新しい時代が来るのだと、
十分に感じさせてくれました。
Wikipediaによると、MID-4は高速実験車両としての役責と、
WRC Gr.Sへの参戦を目的に開発されたということです。
2型に関しては、本当に市販直前だったのではないかと思ってしまいます。
当時のパンフには、いかにしてこれを量産していくか…みたいな話があったと思います。
むしろ、これが市販されぬままに消えていったことが不思議でなりません。
しかし皆様ご存知のように、このMID-4は市販されることなく消え、
その技術やコンセプトは日産のクルマたちに個々に継承されていきました。
今をときめく超高性能マシン・R35 GT-Rもこのコンセプトを受け継いでいると聞きます。
そういう意味では本当に”プロトタイプカー”だったのですね。
以上でヨタ話は終わり、お付き合いありがとうございました。
上記書いていて思ったのは「ただ消えたのではない」と言うこと。
どのクルマも何かしらを残していっております。
身体や存在は滅びても、魂は消えない…そんな風に思いました。
何だ…消えちゃいないじゃないか。
そのまま残っていないだけで、意思は今に至るまで残っているじゃないか。
そう思ったら何かちょっと幸せな気持ちになりましたです。
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