先生の俳号は、「逃魚」である。
弔辞で、幾つかの句が、披露された。
中でも、特に印象に残ったのは、次の一句である。
「 極月や 大魚は いづくに行くのやら 」
まさに、参列者の心を代弁する句であった。
県・市俳句連盟の重鎮として、また市内と隣町の幾つかの句会の師として、ご活躍中の急逝は、影響の大なるものがある。
俳句の添削・ご指導を頂くため、ご自宅を訪問すると、一番に目に付くのが、柱に掛けた短冊であった。
朝な夕な、短冊を見ては、推敲されていたのであった。
さっぱりとした男性的な句を詠まれ、淡々とした生き様が、伺えたのであった。
厳しいが懇切な指導と、そのとき頂戴したコーヒーの味が、今でも鮮明に思いだされるのである。
よき師を失った今、改めて、教えを守り句作に励むことこそ、最大のご供養と思うのである。