釜茹でにされながら詠む
「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」は、
石川五右衛門の辞世の句である。
なぜこんなことを書くのかと言うと、
迷惑メール、ピッキング、俺おれ詐欺など、世情を騒がせる悪事に我慢がならなくなったからである。
世に様々な悪事を働く人がいるのは、困ったことである。
五右衛門について小生の知りうるところは、以下のごとしである。
(正しいかどうかは、自信が無い)
• 幼い頃から非行を繰り返し・・・、伊賀にわたり忍者の弟子になった後、京に出て盗賊になった・・・
• 百地三太夫について伊賀流忍術を学んだが、三太夫の妻と密通した上、三太夫の愛妾を殺害して逃亡したとの伝承もある。
• その後、暫くは、権力者のみから奪う義賊だった。
秀吉政権末期の政情不安な時期でもあり、庶民のヒーロー的存在になった。
• 秀吉の寝室に忍び込んだ際、香炉が鳴り捕らえられる。
• 有名な釜茹でについても諸説があり、子供と一緒に処刑されることになっていたが、
高温の釜の中で自分が息絶えるまで子供を持ち上げていた説と、
苦しませないようにと一思いに子供を釜に沈めた説がある。
またそれ以外にも、あまりの熱さに子供を下敷きにしたとも言われている。
盗賊五右衛門は、おそらく貧困から生まれたものと思えるのだが、
この種の様々なインターネットの時代の悪人は、どうもそればかりではないように思う。
相互の「顔の見えない」インターネットコミュニケーションは、
相手を思いやることが一段と希薄になる。
その結果、自分さえ良ければと言う、
「自己中心主義」に陥り、「欲・得だけ」で行動するのであろう。