列車通学や通勤時代のとき、目の前でドアがピシャリと閉じる夢をよく見たものであった。
この夢は、実に嫌なものである。
最近は、この種の夢から、ようやく開放された感がある。
ところが、時々、「遅すぎた」・「遅すぎていないか」などと考えることがある。
いろいろな教室に出入りするようになってから、一段とこの思いが強くなったのである。
才能に加えて、体力や知力が必要なことに直面せざるを得ないからである。
先生方は、いずれも遅くとも40代・50代から始められている。
何事につけ、ある程度のレベルに到達するには、10年~20年の相応の年限が必要である。
しかしである、いくら手遅れとは言っても、乗らなければ一歩も前進は無いのである。
ただ年年歳歳、体力的・知力的に乗り込めそうな講座が少なくなってきているのは、どうしても避けられそうに無い。
そこで、「手遅れの手遅れ」にならないように、がむしゃらに、乗り込んでみているのである。
他人には、満員列車に窓から乗り込んだり、満員のバスや満載のトラックの荷台に無理やり乗っている光景のように写るのであろうが、お構いなしである。
これを、逞しさと言うべきか、がむしゃらさというべきか・・・。
しかし、いくら乗り遅れようとも、
これらは決して「乗り遅れの夢」には出てこないであろう。