三日目は、ホテルから南京東路を外灘方向に東に、外灘の手前から四川路を北に進み、上海の中心部から北東部に2kmくらいの地点にある旧日本人租界を目指した。
次いで魯迅が住んだ「魯迅故居」と呼ばれる場所を訪れた。
上海の庶民の町を散策したのであった。上海にはスターバックスとUCCという日系のコーヒー店が見られ、数においてはUCCを多く見かけた。
ひと歩き後のトイレ休憩に洒落たUCCの店に入った。 早朝で客は我々のみ、店の選択は正しく一流店だった、ゆっくりとコーヒーを楽しんだが、惜しいことに水が少し臭った。
従業員は皆若く、外国人が来るような店ではないので言葉は全く通じない、全て中国語の出来る二人の友人の通訳に頼った。
旧日本租界では、奇石の露店市が開かれていたし、小さな商店も沢山見ることが出来た。
魯迅一家は、一階から三階まで使用する、当時のハイカラな三階建てのアパート風の建物の一隅であった。
管理事務所は国家公務員の管理であったのか、対応はぶっきらぼう、撮影禁止とおばちゃん事務員に叱られるし、ガイドの若い青年の日本語もうまくない。 その後、魯迅公園向かった。
ビデオは次にURLで。
http://jp.youtube.com/watch?v=2Qw6v2I_hQ4
(昨日ご紹介したダウンロード アクセラレータを使用して、高画質をお楽しみください)
追記;
三日目に入り疲れも溜まったのだろう、思いの他撮影量が少なかった。少し写真を補充するためインターネット見たら、うまく解説したものがあった。次の文と写真の一部をコピペした。(コピペ = コピーandペーストの略)
虹口地区は日本人租界で、当時上海は長崎からパスポートなしで行けた外国だということであった。この時代については、自由劇場の「上海バンスキング」を初め、様々な小説の題材となっている。
なかでも、金子光晴の『どくろ杯』は、『どくろ杯』、『西ひがし』、『ねむれ巴里』のヨーロッパ放浪3部作の中国編として、当時の上海の日本人たちの生活の様子が、彼独特の鋭い描写力で描き出されている。
村松梢風も上海で活動した文学者として著名だが、その孫が直木賞作家の村松友視。彼は、自分の祖父の痕跡を訪ねる旅を『上海ララバイ』という小説に描いている。(でも、これはちょっと大衆小説・・・)
それから、森川久美の『蘇州夜曲』とか『南京路に花吹雪』という漫画があり、これを読むと日中戦争の前後関係を理解できる。 上海の陸戦隊本部の建物。また、この道の反対側には日本の神社が相当広い敷地で存在していたそうだ。
戦前の日本人の活動は、中国をはじめ東南アジアの諸地域には相当進出していたようで、おそらく、今日よりもはるかに・・・。それが進出なのか侵略なのか微妙な問題であるが、狭い日本から抜け出してアジアで一発当てようと思った日本人が数多くいた事は確かなようだ。
ことに満州の大地は狭い島国日本人の欲望をかき立てたに違いない・・・。
この文の作者に、小生も共感を抱いた。かつては身近な外国の一つに上海があったのだろう。
この日は、多くの庶民生活を垣間見ることが出来たと言う点で、他の二日とは趣をことにした。