今回から、4世紀頃のローマ帝国について書くが、歴史を辿るとき結果だけではその面白さは判らない、それゆえ少し長文となるが、プロセスというか歴史的経過も書く。
ローマの円形闘技場(コロッセウム)の近くにある巨大な凱旋門(AD315完成)をコンスタンチヌスの凱旋門と呼ぶ。
コンスタンチヌスは、後世「大帝 (magnus=マーニュス))と呼ばれた4世紀初期のローマ皇帝である。また、最初にキリスト教を公認した皇帝としても有名である。
それまでは神君(divus)の尊称が死後送られたのであるが、一神教のキリスト教では、神以外の神はあってはならない、それゆえにgreatを意味するmagnusの尊称となった。このように4世紀の偉大な皇帝であった。
この大帝には三人の息子があり、死後それぞれに大ローマ帝国を3分割して統治させた。その後紆余曲折の末、次男のコンスタンティウスが、二人の兄弟を廃して、正帝コンスタンティウスとなり、全ローマ帝国を支配した。
直系の子には恵まれなかった正帝(=アウグストウス)コンスタンティウスは、残された唯一の血縁者(叔父甥の関係)のガルスとユリアヌスの異母兄弟を副帝(=カエサル)に任命した。
ガルスは、AD351年に副帝に任命されたが、性格に破綻をきたし2年後正帝の命令で斬首された。
ユリアヌスは、ガルスの死後AD355年に副帝に任命された。 今回数回にわたり、このユリアヌスについて書こうと思ったのは、
「時代の転換期の生きかた」に次の三種があるとすれば、
下記3以外の、1.と2.、むしろ改革を引っさげて2.“流れに逆らう”に近い生きかたをした人のように思えたからである。
1. 流れに乗る
2. 流れに逆らう
3. 流れから身を引く(引退or隠遁)
それでは次回をお楽しみに。
補足;
正帝(=アウグストウス)と書いたのは、「アウグストウス」が尊称のため。
副帝(=カエサル)と書いたのは、「カエサル」が尊称のため。
特に、”カエサル”という表示は、ユリウス・カエサル (日本で有名な、シーザ本人のことではない)こことではない。