中国の道路名は、南京東路の例の如く主要な都市名や地方名、或いは建国西路のような国の大切ななにかにちなんだ名前である。中国の人達には分かり易いのだろうが、小生にはどうもよく判らなかった。
唯一覚えたのが、この南京東路であった。上海一の歴史を有する繁華街で、日本で見られるようなせり出した看板が沢山あり、東洋的な感じの街であった。
西蔵中路から河南中路の間は、終日歩行者天国で、午後4時になると、ビルの3階のベランダからサキソフォーンを持った男性がファンファーレを吹奏し一段と雰囲気を盛り上げる。
この頃からだろうか、歩行者天国に小さな遊園地で走っているような乗り物が、走り出す、外灘に行くときや帰るときに利用すると、足の疲れを軽減できる。(3元が乗車賃)
南京東路は、夜11時頃ともなるとかなり人通りが少なくなるが、夕方から暫らくは若い人達が繰り出してきて大変賑わっていた。
地下鉄の人民広場駅を起点とすれば便利に安く大抵の観光地をカバーできるこの通りに面した東亜飯店に宿を取ったのは大正解だった。二星ホテルでも不自由はない、こうなれば安くて便利な取り得の方が俄然効果を発揮した。
外灘にはてくてく歩きで、1.5km程度、商店を眺めながら散歩するには最適であった。結局外灘には、昼夜あわせて3度も見物に行った勘定になった。
追記;次回の特集「外灘」で今回の同窓会報告にピリオドを打ち、従来のテーマに戻る予定である。
重症筋無力症の検査入院の日はいまだ未定。1.5万円/日の個室料を払うと直ぐ検査にかかれるのだが、1.5万円x7日=10.5万円と高額である。
上海の奇跡であろうか、幸い症状はやや軽くなってきて、視野の中央部で静止したものに限定すれば、二重に見えるという不便さはなくなってきた。それで現在は、眼帯の使用を中止している。