ローマ時代アルジェントラーテ(Argentorate)と呼ばれていたストラスブールは、当時4万近いアレマンノ族によって占領されていた。
350年にわたってローマの軍団基地となっていたこの町は、高い城壁に囲まれた堅固な要塞であった。ろう城して戦に望めば有利なのだが、アレマンノ族は数をたのんでこの堅固な要塞を出て平野での合戦を挑んできた。
これは1万3千名のユリアヌスにとって幸運だった。陣頭に立ち自ら戦う総司令官として大活躍、6千以上の敵死者と族長以下多数を捕虜とし大勝利した。 また、勝ちに乗じてライン河を渡り蛮族の本拠地に攻め込んだ。
攻撃は最大の防御の喩えの如く、蛮族達はライン河を超えて進入・掠奪する事は出来なくなった。
ローマ帝国が光り輝いていた頃の税制は、直接税は10%、関税15%、消費税(売上税)1%という仕組みのため、税制シンプルでかつ広く浅い徴税であった。
これが「ローマ帝国後期」と呼ばれるディオクレティアヌス帝の頃から税制が一変し、全てが国税化した。また職業は世襲制となり、これが帝国後期独特の脱税世ステムを生み出した。
コンスタンティヌス大帝と息子のコンスタンティウス帝の二人によって、キリスト教の聖職者は免税とされ、地方自治体の有力者はこぞってキリスト教化した。これは合法的脱税者(非課税階層)を多数発生した。
後期のローマ帝国は、兵士と行政官僚の数を倍増したので、当然歳出も倍増したのであった。その上、ライン河やドナウ河流域の蛮族による破壊で主要産業の農業の生産性は著しく低下し税の減収を生じた。
これらの事が特別税をはじめとし、税制は複雑化の一途を辿り「広く浅く」から「狭く厚い」税制となった。 このように、ローマ帝国末期のこの時代は、紀元前の光り輝いていた元首政時代とは全て反対の考えが支配していた。
さて次のお題は、「どうするガリア再興」とする。
追記:
このブログの左側下方に「ブックマーク」がある。 そこにメル友のブログ英語版とフランス語版の二つを掲載した。彼女のブログはスライドショーで作った動画と詩で構成されている、御興味があればクリックしてみて下さい。
フランス語版では、スライドショービデオ作品や詩と共に彼女の横顔も見る事ができる。
英語版では、彼女のスライドショービデオ作品と詩を読むことができる。
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このうちの日本の国旗をクリックすると、日本語に翻訳してくれるが、言葉の問題は依然として大きく、かなり不完全な翻訳である。語学に強い人は、原文で読んで下さい。