12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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孫臏(そんびん)と龐涓(ほうけん)

2009年10月09日 08時26分48秒 | Weblog

 何故かタイトルの漢字が記号に化けてしまいます。お許し願いたい。

海音寺潮五郎氏の「孫子」は、前編が孫子の始祖となる孫武が主人公である。

孫武より五代経た子孫が孫臏(そんびん)であり、孫子の兵法を著述したとされるこの人物が後編の主人公である。

 龐涓(ほうけん)は、若い時は共に兵法を学ぶ友人であったが、後年出世した後、才に優れた孫臏をねたみ自分の地位が危うくなると勘違いし罠にはめ罪に落しつい両ひざを失わせるという最悪の友人となった。

最後には、復讐のため孫臏によって戦場で討ち果たされるという運命の人である。

若い頃この両名が次のような話をしている。

秀才で出世欲の強い龐涓の言
「・・・楽しみを老後にのばし・・・若い時はわき目も振らず勉学したい。二度と得られない生涯です。末期に悔いたくない・・・」

この生き方は、小生の年代では金科玉条とされた考え方・教育方針であった。

立身出世を望まず地方の郷士の生活に満足する孫臏の言
「人間は同時に二つのことはできない。どのみち後悔はまぬがれない。

若いころ遊び暮らしたものが老後に後悔するのは当然だが、若い時一切の享楽を拒否し一心不乱に勉学したものは栄達するかもしれないが、老残の身になった時、なぜ若く気力のあふれていた時期にもっと世の中を楽しまなかったことを後悔しないことがあろうとも思えない・・・」

 この考え方は、「頑張らない・・・」というものが現実に流行っている昨今の流行りの考え方である。

孔子の教えは激烈・極端を嫌う、美と善は常に調和にあるとするのがその教えの根源である。

この考え方を規範とするならば、若い時の生き方も老いてからの生き方もホドホドにバランスの良い分相応なものがよいのであろう、残りが見えてき始めた小生が急がずあせらずにうまく調和をとっていけるのか少々不安である。