12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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エンタメ小説とミステリー小説

2010年07月07日 04時27分31秒 | Weblog

黒部アルペンルートを 5月に旅したおかげで土地勘ができたので、ミステリー小説「黒部ルート殺人旅行」斎藤栄著、双葉文庫、1990年発行、を図書館で借りて読む気になった。著者は昭和8年の生まれで小生より十年弱人生の先輩であるが、全く存知あげない著者だった。

舞台は昭和46年頃の設定で、これまた小生にとっては懐かしい時代背景の話であった。土地勘が出来た後に読んだため実に鮮明に情景を描くことができた。

今回ブログに書こうと思ったのは、本来60ヘルツである長野県の中に50ヘルツ地域が飛び地のごとく数か所存在することが謎解きの大きなカギとなっていることだった。

これ一つとっても著者のち密な思考を伺うことができるが、随所に幅広く深い知識が認められ並々ならぬ力量を感じさせられたのだった。

続いて氏の作品の「龍王殺人事件」と題する短編集を読んだ。著者は、毎作品毎に何らかの将棋の差し手を引用し作品に彩りを添えているのは、並々ならぬ将棋強者なのであろうことを思わせる。

この短編集に「家康の殺人」と題する作品があり、これを読んでなるほどと感心した一文があったので合わせてご紹介する。
「・・・そこで、家康に残された道は、秀吉よりも一日なりとも長く生きる才覚しかなかった。
“殺人”とは、ある人物を自分より早く死なすことだ。とすれば、ある人物より一日でも長い長生きせんと試みるのは、立派な“殺人”ではないのか。・・・」

 読後のほのぼのとした爽快感や高揚感や満足感を得ることができるエンターテインメント小説(例えば、佐伯泰英氏の居眠り磐音シリーズや密命シリーズ)に比較して、ミステリー小説は、謎解きのような重苦しさが何とも言えぬ魅力である。それ故、引き続きこの著者の作品を読んでみようと思っているところである。

エンタメ小説とミステリー小説の違いは、前者はしばらく時間を置くと2度3度と読むことができるが、ミステリー小説は2度読むことには適さない小説ではなかろうかと思うのだが、これは小生の思い違いだろうか。