12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

講座源氏物語

2007年05月13日 07時31分28秒 | Weblog

5月12日(土)から始まったのが、源氏物語の講座である。
この講座は、昨年度の後期から始まったのである。

 講師は、元高校の古典の先生、専門家である。
煙草愛用者である先生とは、休憩時間に、ご一緒に喫煙を楽しめそうである。

生徒は、27名内16名が、昨年度からの受講者。
ということは、11名が新人である。
男性生徒が3名である、心丈夫な限り。

 「帚木」・「雨の夜の品定め」から始まったのであるが、これが日本語かと早速難解な表現に戸惑った。

 「雨の夜の品定め」では、連れ合いとする女性の品定めであったが、昔も今も同じような考え方であることに驚いたのであった。

人の心というのは、さして変わってはいないのだろうか。

面白さが判り始めるのに、どのくらい掛かるのだろうか。 インターネットの世界でも、非常の沢山のHPが公開されている。

これらをいかように生かすのか、課題は山積である。

 とにかく、止めずにどこまで続けられるか、それが第一の関門である。

 

わき見;
窓の外では、グランドゴルフ大会が開催中。
以前ビデオ編集でご一緒した方が、世話役で七十名くらいのお世話をしていた。
面白そうであった。誘われてはいるが、時間の都合がつかない悩みがある。

また、別室では、ビデオクラブの月例会開かれていた。(目不調につき、ドクターストップ)


浪曲三昧

2007年05月12日 07時21分04秒 | Weblog

三波春夫、村田英雄などが、浪曲師出身演歌歌手であった。

現在、浪曲師出身の有名な演歌歌手がいるかどうかは知らない。

小気味よい語り口調で、痛快な物語や人情物語をうなる醍醐味に酔わされていたのであるが、最近はこういった機会が殆んどない。

5月1日は、NHK FMで、午前9時20分から午後7時まで、浪曲三昧という番組があった。

桃中軒雲右衛門、広沢虎造、春野百合子、玉川福太郎、真山一郎、京山幸枝若・・・、とても書ききれない。

“Word”で、浪曲師の名をタイプしようと思うのであるが、到底漢字変換が間に合わない、ひと文字毎の変換しか出来ない。

既に浪曲は、ワープロの世界から、忘れられつつあるのだろう。

 NHK 第1;「浪曲十八番」木曜 午後9・30~9・55 (再放送ラジオ第2 日曜 午前9・40~10・05)この番組が、唯一の定時浪曲番組である。

 “ベテラン・中堅の浪曲師が力演する”と、うたい文句にあるが、しかし、残念ながら往年の名人上手とは比較にならないのである。

小生は、小学校以来のファンである。
TVのような映像までも必要とはしない。むしろ想像力を逞しくする点から言えば、声と音だけで満足である。

若い人は、ラジオを聴く機会が殆んどなくなり、浪曲に接する機会が皆無になっているのである。

浪曲の存在自体が判らず、若い人たちが親しむ機会がないといってもよい。

落語や漫才は、近年かなり若い人たちに親しまれ、以前ほどの隆盛ではないにしろ、活気がでている。

なんとか浪曲が、存続して欲しいものである。

浪曲を繰り返し放送し、認知度を上げれば、小生のように小学生でも興味を持つ子が出てくるのではなかろうか。

そうすれば、文化の一端として、残っていくチャンスも出てくるのであろう。


やんちゃ酒

2007年05月11日 06時42分06秒 | Weblog

古いカセットテープを取り出して、居眠り運転防止対策に使用した。

 ラジオで録音した、小林幸子の歌1時間もの。

やんちゃ酒・雪椿・越後絶唱・いそしぎ・雨の屋台酒・おもいで酒・・・などが入っていた。

「やんちゃ酒」は、作詞;荒木とよひさ 、作曲;弦哲也 である。

この歌は、どう考えても、美空ひばりの歌にはなりそうにない。

美空ひばりには、べランメー調が似合う。
彼女の場合には、どうもこんな雰囲気には合いそうにない感じがする。

歌詞は、次のようである。

1番
お酒飲まなきゃ いい人だけど
・・・(略)・・・
いいのいいのよ うれしい苦労
膝で眠って下さいな   (・・・是非実現してみたい)
あたしが この人ついていなければ
                                (・・・・これこそ願望のきわみ)
 

2番
・・・(略)・・・
いいのいいのよ 惚れたのだから
少しお下がり頂くわ   ( ・・・これはありそう)
あたしが この人ついていなければ

3番・・・(略)・・・
いいのいいのよ あしたのことは
着物売っても飲ませるわ
                       (・・・はてな売るほどあるのかな?)
あたしが この人ついていなければ

男性族の切ない願望を、歌にしたのであろう。

こんな女性が、今居るのであろうか?

もし居たら、ぜひとも紹介して貰いたいものである。


手書き文字

2007年05月09日 09時48分17秒 | Weblog

本稿は、昨年の秋に書いたもの、順番待ちで、ついに年を越したのである。

季節はずれの句が出てくるが、お許しいただきたい。

俳句王国 坪内捻典先生
(俳人・佛教大学教授、京都教育大学名誉教授)主宰の日であった。

主宰は、時々TVでお目にかかる方である。

 小生が、承知している主宰の句は、次の一句のみである。

 “ 帰るのは そこ晩秋の 大きな木 ”

(“晩秋”は、秋の季語である、季節はずれで申し訳ない)

 しかし、なんともいえない郷愁を感じる大好きな句である。

今回の出演者は、学校の先生のみ、ゲストは、若い美人の大高翔さん。

この日、次の一句がとても気に入った。

“ 校長室だより 手書きの爽やかに ”

(“爽やか”は、秋の季語である、季節はずれで申し訳ない)

金釘流の字しか書けない自分は、丸みがあり暖かみのある手書き文字に惹かれるのである。

 いつも手書きを始めると、真っ先に困るのが漢字である。

それで直ぐワープロに切り替えしてしまう。

 何時になったら、手書きの手紙が書けるようになるのか。

よほど固い決心を持って取り掛からないと、手書きが出来なくなってきた。


正座

2007年05月08日 07時04分58秒 | Weblog

 毎日楽しみに読んでいる“セ**”さんのブログに、膝痛でお困りの様子が書いてあった。

お節介ながら、ストレッチ体操のお勧めを、以下のようにコメントした。

“ Commented by ひざ痛撲滅運動家爺さん

ストレッチ体操を試みられよ!
真向法 <=インターネットでお探しください=> 新興宗教ではない、御安心ください)

人体実験済み。
(1年後には、かなり楽になるはず、現在楽々2階に上がれる。

小生は、ひどい両膝半月板損傷、あとは手術のみといわれた者 <=無理なスポーツにて) ”         

男性、特に筋肉の発達した人は、この筋肉が邪魔をして、意外に柔軟性が低いのが普通である。

それ故、概して筋肉の細い女性の方が、柔軟性は高いのが普通である。

簡単な柔軟性の自己チェック法を書いてみる。

A1;正座をしてみる、正しく正座が出来れば、先ず正常。
   (正座が出来ない場合には、何らかの対策をとるべきである)

A2;正座が出来た人は、更に両足首が、お尻の両側に来るように深く座ってみて欲しい。

    これを「割り座」という、これが出来れば、ある程度柔軟といえる。(割り座が出来ない場合には、何らかの対策をとるべきである)

それでは次の柔軟度チェック

B1;両足を揃えて立ち、前屈から手のひらが地面にぺたりと着けば、かなり柔軟。

 もし、地面に届かない場合には、何度か繰り返してみて欲しい。

この動作を繰り返すたびに、だんだん下方に手の先が届くようになるはずである。

そして、一番深く届いた位置を記憶しておいて貰いたい。

翌日、同様の動作をしてみる。
ほぼ完全に前日の初めの状態に戻っているはずである。

そしてまた、同じ動作を繰り返すと、だんだん深く届くようになる。

このように柔軟体操は、初めと終わりでかなり差があることに気が付くはずである。

そして、1日たつと、殆んど元の状態に戻ることも経験されると思う。

柔軟体操の進歩は、1日1mmと言われるが、継続しないと、直ぐに元に戻るのである。

このように、人間の体は使わないと、直ぐに怠けてしまうのである。

 それ故、動かすことすなわち、柔軟体操が必要となるのである。

 自分の体は、自分でしか守れないのである。

TVを見ながらでよい、1日数分間でよい、少しずつ体を動かして欲しいものである。

正しい柔軟体操を続けると、1年後には楽しみなことが待っているであろう。


三種の神器

2007年05月07日 06時10分01秒 | Weblog

S35年(1960)は安保闘争、S36年は「所得倍増計画」が始まった年であった。

 池田隼人総理の下で、下村治という人により立案された経済政策であった。

経済成長に邁進する時代の幕開け。
海外から革新技術を導入し、魅力的な新製品を供給し、新たな需要を喚起しようという政策であった。

そして紆余曲折はあったが、見事7年後には目標を達成しGNPは倍増し、国民の九割は、中流意識を持つに至ったのであった。

 大気汚染・公害問題・農業後継者不足など幾つかの成長のひずみも顕在化し始めた。

S40年は、戦後初の赤字国債発行の年でもあった。

 昭和40年代、自動車(Car)、クーラー(Cooler)、カラーテレビ(Color TV)のいわゆる3Cが、「新三種の神器」と呼ばれていた。

あれから、約40年である、あっという間に過ぎた。


 時代は変わり、平成の今、
キッチンの三種の神器「IHクッキングヒーター」、「食器洗い乾燥機」、「生ごみ処理機」の3商品。

下流社会の三種の神器 2005年(平成17年)三浦展による著書『下流社会』で紹介された、所得の低い層がのめりこむという家電製品。

パソコン(Personal Computer)、携帯電話、プレイステーションの3種類で、英語の頭文字がみなPであることから、3Pと呼ばれた。

小泉首相の新三種の神器 2003年1月の施政方針演説で小泉純一郎首相は、

食器洗い乾燥機・薄型テレビ・カメラ付携帯電話を「新三種の神器」と命名した。

現在は、低成長の時代であると言われている。
下村氏は、江戸時代のような文化・教養に力を入れるべき時代だと、言い残している。 

文学・歴史・書画・演芸・演劇・歌謡・音楽・・・を楽しむのも、それであろうが、

三種の神器が、物の充実・充足だったとしたら、教養・文化の三種の神器はいったい何なのだろうか。

教養・文化における三種の神器となると判らないのである。


乗り遅れの夢

2007年05月06日 07時05分00秒 | Weblog

列車通学や通勤時代のとき、目の前でドアがピシャリと閉じる夢をよく見たものであった。

この夢は、実に嫌なものである。
最近は、この種の夢から、ようやく開放された感がある。

ところが、時々、「遅すぎた」・「遅すぎていないか」などと考えることがある。

いろいろな教室に出入りするようになってから、一段とこの思いが強くなったのである。

 才能に加えて、体力や知力が必要なことに直面せざるを得ないからである。

先生方は、いずれも遅くとも40代・50代から始められている。

 何事につけ、ある程度のレベルに到達するには、10年~20年の相応の年限が必要である。

 しかしである、いくら手遅れとは言っても、乗らなければ一歩も前進は無いのである。

ただ年年歳歳、体力的・知力的に乗り込めそうな講座が少なくなってきているのは、どうしても避けられそうに無い。

そこで、「手遅れの手遅れ」にならないように、がむしゃらに、乗り込んでみているのである。

他人には、満員列車に窓から乗り込んだり、満員のバスや満載のトラックの荷台に無理やり乗っている光景のように写るのであろうが、お構いなしである。

これを、逞しさと言うべきか、がむしゃらさというべきか・・・。

しかし、いくら乗り遅れようとも、
これらは決して「乗り遅れの夢」には出てこないであろう。


あれもこれも

2007年05月05日 05時51分36秒 | Weblog

 「赤いランプの終列車」や「お富さん」で有名な春日八郎の歌「雨降る街角」は、

「あれもこれも ひと時の夢ならば・・・」という歌詞で2番が始まる。

最近は、食器洗いをしていると、洗濯をしなければと思い、洗濯をしていると、掃除のことを思い、きりが無いのでやめるが、思考の飛躍がひどくなった。

 「多発性思考飛躍症」とでも名づけておく。

 何かを始めると、その結果、頭も活性化され、次々に思考が展開するようである。

これに電話でも掛かってくると悲惨である。

はてと振り返ってみると、食器洗い中途半端、洗濯は干し忘れ、掃除途中止め掃除機放置・・・、おまけにガスは燃焼中、パソコンも中途半端。

まさに、「あれもこれも」中途半端、危険極まりなかったり・何にも済んでいない未完了、困った問題が多くなった。

ついに意を決して、ひとつのこと以外しないことにした。

しかし、これは大変効率が悪い、ものすごく時間が掛かるようになった。

それではと、二つだけ並行作業をすることにした。

 こうするとかなり時間短縮ができるようになった。

悪いことに、「しなければならないこと」が、時々漏れて、「し忘れる」ことが発生し始めた。

まだまだ、対策を考えねばならないのである。

 厄介なことになった。


保火番

2007年05月04日 08時06分13秒 | Weblog

 “古希を迎えた貴婦人”という番組があった。

 どんな貴婦人が出てくるかと期待したが、あにはからんや「古希SL」が登場した。
ご存知、「やまぐち号」である。

“C571”のプレートを輝かせて、優雅にのどかな田園を走る蒸気機関車である。

すでに、地球92周超えの368万kmを走行しているのである。

電気やディーゼル機関車の場合には、スイッチひとつで直ぐ運転が出来るのであるが、蒸気機関車の場合にはこうはいかない。

前日から火を焚いて、先ずお釜の水を沸かす必要がある。

それを終夜、火が消えないように、そして蒸気の圧力が下がらないように、寝ずの番をしなくてはならないのである。

 この担当者を、「保火番」、“ホカベン”ならぬ “ホカバン”と読む。

漢字変換では、一字ずつ処理しなくてはならない、この言葉も、すでに存在しなくなったのであろう。

また、機関助手と呼ばれている、燃料の石炭を投入する役目の人がいる。

走行中絶え間なく燃料投入をしなくてはならず、登り坂にさしかかれば、その忙しさは半端ではない。

真冬ですら汗みどろになって、重たい列車が坂道を登るに十分な動力を生じるよう、多量の石炭を投入しなくてはならないのである。

シュッシュポッポと掛け声勇ましく走る、人間味溢れる機械なのであるが、残念ながら便利な機械ではない。

人手を要し・非効率的・・・などの欠点も多く、惜しいのであるが、やはり消え去る以外にない機械のようである。


アナタ カワリハナイデスかー

2007年05月03日 07時03分08秒 | Weblog

女ごころの機微を、阿久 悠は、巧みに描き、それに小林亜星は、ポップ調のメロディーをつけ、

都はるみが、これまでと違って「うなり」少なく、情緒たっぷりに唄った曲であると言えば、

第18回レコード大賞受賞曲(1975)、「北の宿から」である。


彼女が生涯の師匠と呼ぶのは、作曲家 市川昭介氏である。

この曲の作曲は、師匠市川氏ではなく、小林亜星氏である。

あるとき、TVでこの曲を歌ったあと、彼女のところに突然師匠の市川氏から電話があった。


アナタ カワリハナイデス「かー」の「か」の音がよくないというのである

もっと情緒のある「かーー」に、「言葉の置き方」を考えて歌うように、延々と電話指導があった。


師匠も師匠なら、弟子も弟子である、他の作曲家の歌の指導を、別の師匠がしたのであった。

単なる師弟関係を超えた、都はるみの歌にかけた市川氏の姿が見えたような気がした。

 都はるみ自らが語るこの話を、NHKのTVで見て、なんとプロの仕事は奥深いことかと感心した。

そんわけで急に、「都はるみ」に興味を持った。


丁度、四月に岡山公演があり、見物に出かけた。

以前見た川中美幸公演では、男性ファンが非常に少なかったが、これに比べると、男性が一段と多いのが特徴的だった。

ついつい懸命に見てしまったので、

前述の「かーー」の部分のことは、すっかり忘れてしまって聞き漏らしてしまった。


ダビンチコードの絵画

2007年05月02日 06時22分24秒 | Weblog

大塚国際美術館訪問の目的は、単に絵画鑑賞だけでなく、

「ダビンチコード」に登場した絵画を、小説の視点から見ること。

ところが、かなり以前に読んだため、記憶が曖昧となった。

インターネットで探しても、次の6点くらいしか判らなかった。

 ダビンチ:
「モナリザ」、「岩窟の聖母」、「最後の晩餐」、「東方三博士の礼拝」

カラバッジョ:「悔悛するマグダラのマリア」

ティツィアーノ:「悔悛するマグダラのマリア」

えーいままよ、と出かけた。

大塚国際美術館バスツアーに、この連休中の4月30日に参加。

とにかく広すぎる、1時間学芸員によるガイド・説明、残りの2時間半が自由行動。

目指す絵がどこにあるか探すのに一苦労、足が棒になった。

どうにか、目的を達したことにしておく。

それでは、バスツアーの評価をしてみる。

最初は、欠点から、

1. 道草一切駄目(当然)

2. どうしても営業上、バスも現地も混雑する日に出発
    (個人的な貸し切り状態は望むべくもない)

3. 若いきれいな人と行くと不測の事態
   (思わぬ人に会うという)になる恐れがある
   (今回は、家内の親友のご夫婦と一緒になってしまった)

次いで、利点、

1. とにかく安くて・楽

2. 自家用車より遥かに高い安全性

3. 効率的・無駄がない

良いこともあれば、そうでもないこともあるのだが、
年を重ねると中・近距離の一人旅は、バスツアーも重要な地位を占めてくるような気がした。

 時々お世話になることにした。

 

(注)この美術館の絵は、陶板(最大3mx1m)に焼き付けられた、Copyである。

それ故、大きい絵画には、継ぎ目がある。

変質の恐れが低いため、日本で数少ない写真撮影自由の美術館である。
カメラをお忘れなく!

海外のように、日本のどこでも、模写や写真が自由になるといいのだが・・・。

 


デモ・ニナラ

2007年05月01日 06時13分02秒 | Weblog

デモ・シカ先生をもじって、
デモ・ニナラ先生を考案したのは、「なだいなだ」氏である。

xx講座の生徒にデモ、又は、xx講座の生徒ニナラ成れるかもしれない、と使うのだそうである。

 こういう使い方は、大変前向きで積極的な姿勢が現れていて、結構だと思うのである。

小生の場合には、ニモ・ニスラ生徒である。

 xx講座の生徒ニモ成れない、又は、xx講座の生徒ニスラ成れない、
と極めて否定的・消極的な場合が多いのである。

こういう厄介な性格を打破して、清水の舞台から飛び降りたのが、昨年の状態であった。

ところが、蓋を開けて困ったことがおきた。

まず、昨年暮れから、目の具合がよくなくなったのである。

パソコン関係は、ドクターストップ、せいぜいブログを書き込む数十分を限度とされた。

これで、ビデオ編集と土曜塾は、お預け。

体育会系を中心に参加することになってしまった。

 ここでは、当然体力的な限界が、関門として待ち構えていた。

これから暑くなる、どこまで耐えられるか、見ものである。

 最後の砦、文科系は、水墨画と俳句、こちらは、相当ちゃらんぽらんにしても、叱られる気遣いは無いようである。

今のところ、現状維持できそうである。

今春から、新規に始める予定の源氏物語講座は、5月からである、

まだ全く様子が判らないが、講義であろうから、居眠りも可能であろうと、楽観視しているのである。

こんな風に、終生ちゃらんぽらんで、過ごすのであろう。