12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

海外で贅沢

2008年10月14日 07時45分52秒 | Weblog

 

 

夢にも考えた事がなかった同窓会を海外で行うという、そのまさかが今回実現した。既に報告したように同窓生6名と同伴の奥方3名合計9名のこじんまりした同窓会になったが、考えて見ると丁度良い人数だったように思っている。

第一日目の夜は、友人の知人、オーストラリア国籍の中国人の招待で、日本料理店での宴会となった。我々日本人にとってお座敷での宴会はなにも替えがたいものである。

英語と中国語しか解しない招待者を置いてきぼりにして、かしこまった通り一遍の同窓会と一味も二味もちがう笑顔が溢れ談笑かぎりなしといった雰囲気を得る事ができた。

続く二回の夕食のみならず、てくてく歩きの休憩・食事・喫茶なども、地方生活者の小生にとってははしり込みするような高級なレストランや喫茶店に入ったのである。

そして割り勘での支払い段階で思いがけない安さにその一瞬、バーチャル金持ちの気分を味わったのもであった。

てくてく歩いた今回の旅は、下町の庶民の生活に接する機会があり、たくましい庶民の生きかたを見ることが出来た。これについては、ビデオの編集が出来次第報告しようと思っている。

現地ではすぐ忘れてしまった事ながら、帰国後どうしてもいつまでも残っているなんともいえない感覚にこんなことがあった。

この町では見かけることが出来ないが日本の主要な大都市では、ホームレスなる人達を見ることがある。香港や上海では街頭のベンチや公園の片隅で夜を明かす人達を沢山見かけたが、珍しく上海の下町では幾人かの物乞いに出くわした。
(この種の光景はどうしても撮影することが出来なかった)

ある下町で身障者の夫と妻と子供の一組が物貰いをしていた。子供が親に背をおされて我々にまとわり付いてきた、友人数名はいくばくかの小銭を与えたが、どうしても小生はそれが出来なかった。

与えるべきだったか、そうしないことが良かったのか判断がつかず迷いにとらわれたなんともいえないやりきれない感覚がいつまでも残っている。


人民広場(公園)の太極拳

2008年10月13日 03時46分23秒 | Weblog


 

旅行中幾人かの中国の人に太極拳をしていますかと質問したが、全て答えはNO。

よく考えて見ると、日本で柔道をしていますかと質問しても同様の結果になる。ラジオ体操ですら万人がしているわけではないので当然の答えといえるのであろう。

さて本論であるが、中国の一般人の太極拳を初めて撮影する機会となった。(以前一度、太極拳教室に来られた中国国家認定六段の王先生という美人先生を撮影したことがある。)

小生はYouTubeに太極拳教室関連のビデオを幾つか公開しているが、10ヶ月間で千超のヒット数を達成するほど視聴者の関心は高い。日本でも健康維持のため多くの方が関心を持っているようである。

基本的な二十四式太極拳については、型の名称を中国語で勉強している関係もありそれなりに聞き取れたのには、自己満足であるが、痛快な気分になれた。

言葉にも方言があるように、太極拳にも方言があるのだろう、とても似ているが微妙に異なるようにもおもえた。

おそらく流行なのであろう、幾人かの女性が左手首に汗取り用の白い布を巻いていたのが印象的だった。

グループの隊列に統制が取れているものや、服装がきっちりしている人は、それなりの技量を有しているケースが多かったようだが、高齢者は総じて体を動かす手段として楽しんでいるように感じた。

ちょっと長めの5分ものになってしまったが、御辛抱頂きたい。

 http://jp.youtube.com/watch?v=RCmjkho93Ok

ビデオクラブのUさんへの謝辞
次のような経緯で大変お世話になり、有難う御座いました。

重症筋無力症の検査入院はベッドが空かないとの事で今月後半に伸びた。このためビデオの編集を繰上げて行おうと先日着手したが、パソコンへビデオカメラから読み込もうとしたところ、iリンクがカメラを認識しないトラブルが発生した。

 ビデオクラブのUさん宅へカメラとケーブルを持って押しかけ、そちらのパソコンで取込みDVDに焼き付けてもらって持ち帰りようやく編集作業に着手できた。

少したってUさんからポータブルHDDに記録したavi形式のdataでも提供できるとメール頂いたが既に作業を開始していたので丁重のお断りした。

ところがDVDに変換したものは、カット毎に切れていないので、未編集の場合にはカット毎に分割する手間が大きく掛かることになった。今となっては後悔している。

出来るだけ早期に編集作業を完了し、小生の検査入院と同時に、パソコンも入院させようと思っている。


早朝の南京東路

2008年10月12日 08時13分16秒 | Weblog

 
ホテル前の大通りが南京東路、早朝小雨が降った

地下鉄2号線に平行して東西に走る路が南京東路である。
地下鉄の南京東路駅と人民広場駅の中間地点に東亜飯店と呼ばれる我々の泊まったホテルがある。

二星ながら結構安くてまあまあのホテルであった。最大の利点はなんといっても立地条件といえる。

このホテルを起点にして、てくてく歩きと地下鉄を利用すると主要な観光地をカバーする事ができる。また 南京東路は終日歩行者天国で車に轢かれる心配は皆無である。

早朝の散歩は、人通りの少ないこの路を往復するだけも充分であるが、西方向に10分ほど歩き地下鉄の駅を過ぎると人民広場に着く。

ここは朝の散歩に格好な場所であった。 この広場は、沢山の人達が太極拳やウオーキングなど様々の日課をこなしている場所でもある。

今回は、太極拳見物に往復した人民広場までの10分間ほどの様子を、午前6時から7時くらいまでの早朝の時間帯について報告する。

大通りを後ろ向きに歩く人(なにか特別の健康上の効能でもあるのだろう)、バトントワラーのようなグループのダンスのようなものや、とりわけ有名な中国の早朝ダンスなどを見かけた、本稿では、10月3日に続いてダンスに絞って報告する。

単調なリズムを取るだけのダンス音楽でなく、ワルツやタンゴやチャチャだったらどんなに良いかと思ったのはと小生だけだろうか。

<!-- 早朝の南京東路 -->

 


上海でしゃぶしゃぶ

2008年10月11日 04時40分39秒 | Weblog

 独り者になってから外食が皆無に近くなった小生にとって、多人数でわいわいがやがや楽しく食事できる事は大きな楽しみであった。

そのうえ、観光客専門のありきたりのレストランばかりのパックツアーと異なり、今回の昼・夜は、すべて上海という巨大都市の一流豪華レストランでであった。支払いは割り勘、日本の数分の一の値段に過ぎなかった。(二星ホテルながら、朝の中国風バイキングも捨てがたかった)

二日目の夕食は、上海風しゃぶしゃぶ。
これをどのように説明すればよいのか判らなかったので、次の友人が中国の知人にあてたメールから引用してみた。

 “・・・we went to that Isramic restaurant that your father took me last time, and enjoyed Yangrou shabushabu and Baijiu.・・・”

我々はIsramic restaurant (イスラム風レストラン)へいったのである。
そして Yangrou shabushabu and Baijiu (??????)を食べたのである。

あとは写真を見てご想像頂きたい。大変美味しかった、どうも羊の肉のしゃぶしゃぶゴマだれ風という感じがした。 (自分で料理しなくても食べられるのは更に美味しさを増した)

 

近くのパーティションで仕切られた大きな席が大変賑わっていたのでちょっと覗いてみたら、お年寄りの前に巨大な四角いケーキがあった。

誕生祝いか、或いは米寿の祝いのようなことをしていたのであろう、一族郎党沢山集まっての盛大な祝賀会だった。

今でも中国の人達は、血縁を大切にし、年寄りを大切にする習慣が残っているようだった。


上海人民広場の朝

2008年10月10日 07時02分45秒 | Weblog


8時頃の南京東路(少し雨が降ったあと)

早朝、人民広場に太極拳を見物に出かけた。三々五々人びとは、自分の属するグループに参加するため、午前6時ごろ徒歩で集まってくる。


思い思いの服装で、ゆっくり歩いてくる。


公園入り口前で記念撮影


太極拳風景


沢山の緑や池がある。

かなりの広さがあるこの公園には沢山の人達が集まり、思い思いの過ごし方をしていた。 太極拳が主流であったが、ランニング・ウオーキング・ラジオ体操風のもの、珍しいものでは早朝ゲーム(トランプ)も見られた。


トランプゲーム中。

オリンピックのためマナー改善が行われたのであろうか、クラクションは殆ど聞こず至って静か、時折かすかに聞こえるのはカセット・レコーダーからの太極拳のBGMのみであった。


 7時頃から、出勤者が多くなるが、南京東路は車の乗り入れ禁止なのであろう、二輪車の出勤者が殆どだった。

朝の忙しい時間のはずだが結構人びとはゆったりとした雰囲気を感じさせた。 この旅で最も印象的だったことが、このゆったり感だった。

何故か判らないが、中国に来ると、この国の人々がまさにゆったりと悠久の時を感じながら生きているような気がするのは小生だけだろうか。


高画質YouTubeの見方

2008年10月08日 05時40分26秒 | Weblog

最近,YouTubeは、標準画質と高画質の選択が出来るようになりました。
(ただし、高画質で制作しておく必要がありますが)

 画面の赤丸をクリックして高画質にすると、かなり綺麗に見えるはずです。(但し、回線のスピードが遅かったり混み合ったりすると、途切れ途切れになることがあります)

盆栽のビデオです、下記のURLをクリックし高画質と標準画質を比較して見てください。現在の無料動画公開サイトでは、この程度の画質が限界です。

http://jp.youtube.com/watch?v=BAq7bGHJ-vs

 人さまに差し上げる場合には、全ての動画と静止画の編集が完了したら、動画と静止画映像(ハイビジョンではなくて、従来のTVの標準画質ですが)をDVDに焼いて、自宅宛送るようにしているのです。

 補足:
上記のビデオの場合、オリジナルのAVIのファイル=958MB、これでは大きくてYouTubeに送るためには長時間の送信が必要。

 このためDivXのファイルに変換=81.19MBと18分の1に圧縮して送っています。(これでupload時間が12分の1になる。)

更にYouTube側で変換され公開されるのである。これらの圧縮や変換作業毎に画質が劣化して行くことになります。


ピンクリボン

2008年10月07日 04時18分45秒 | Weblog

 

中国ではヌードに近い女性の写真を見つけることは大変困難である。しかし、地下鉄の人民広場駅へ通じる地下道に見慣れぬ大変垢抜けて綺麗で洒落た看板が20枚近くあった。

 ちんぷんかんぷんの中国語ながら写真をしげしげとみると、どうも乳がん撲滅運動のキャンペーンのようだった.

 テレビをつけると「ピンクリボン運動」なるものが、各局から盛んに放送されていた。 Wikiで調べると、この運動は世界的な規模で行われており、日本でも積極的に参加・活動しているのである。

読者諸兄に告ぐ、小生はこの病気で家内を失ったのである。
侘びしいやもめ暮らしをしなくてよいように、奥方にはこまめな自己触診や定期健康診断を励行するように、例え喧嘩になっても勧めるべきであることをお伝えしておく。

追記:
 早期発見を呼びかけている

ピンクリボン(Pink ribbon)とは、乳がんの撲滅、検診の早期受診を啓蒙・推進するために行われる世界規模のキャンペーン、もしくはそのシンボル。

この運動は、アメリカの乳がんで亡くなられた患者さんの家族が「このような悲劇が繰り返されないように」との願いを込めて作ったリボンからスタートした乳がんの啓蒙運動。

乳がん患者が増えつつあった1980年代のアメリカで始まり、行政、市民団体、企業などが乳がんの早期発見を啓蒙するイベントを展開したり、ピンクリボンをあしらった商品を頒布しその売り上げの一部を財団や研究団体に寄付するなど、積極的に取り組み、市民や政府の意識をかえた。

日本人女性のうち、乳がんを発症する割合は約20人に1人と言われており、また、乳がんで死亡する女性の数は年間約1万人弱とされ、そのキャンペーンは年を増すごとに拡大している。


スライドショーの勧め

2008年10月06日 00時51分47秒 | Weblog

 <!-- 浦東地区 東方明珠塔からの眺め -->

 近年、無料動画公開サイトは世界的に隆盛を続けており、益々便利に高画質にと進化し続けている。

大雑把に云って、これらのサイトの利用状況は。概略GDPに比例しているように感じている。具体的には、米国が一番で二番目に日本の利用者数が多いようである。

公開されている動画の中にビデオではなくて、静止画を複数枚使用して作られたスライドショーもある。 実例として、小生が作った物をご紹介する。

これは2分半くらいの長さでWMV(ウインドウズ・メディア・ムービー)と言うファイル形式である。(ファイルは11MBの大きさ)

静止画の編集ソフトには「スライドショー」を作るソフトも含まれており、どんな静止画を何枚使用するかを決めれば映像は自動的に作られる。これにタイトル文字などの説明文を挿入し、さらにBGMを入れると完成である。通常は、CDやDVDに焼き付けて、見せたい人に差し上げればよいわけである。

市販の静止画編集ソフトを購入するには数千円くらいから2万円弱くらいの物があるので、懐具合に応じて購入されればよい。
(どちらかと言うと、安物買いの銭失いにならないためには、1万円前後の物が良いように思っている)

スライドショーをお勧めする大きな理由に、一般的なパソコンで充分に動作する軽いソフトだと言う点である。おそらく、このブログをご覧になっているパソコンで充分に動くだろうと思っている。

反面ビデオの場合には高性能パソコン、さらにハイビジョンビデオを編集しようとすると超高性能パソコンが必要となり、大きな予算処置が必要になるためである。


海外型同窓会(上海)

2008年10月05日 04時33分02秒 | Weblog

 

機械科は僅か50名のクラスで現在四十数名が存命中、2年に一度同窓会を開いている。

今回始めて「東京組」で企画・実施された海外型同窓会に参加した。

通常の宴会型同窓会に較べると、3泊4日とはいえ格段に長時間行動を共にするため、通常のものと一味も二味も異なり、40年前の学生気分を取り戻すのに絶好の機会となった。

 韓国・中国・台湾或いは東南アジアなどの近場で開催するのであれば、それほど経済的にも体力的にも負担ではなく、実行可能な同窓会であろう。今回の企画は実に的を得た素晴らしいものだったと思う。
(豪華な料理が割安で楽しめた)

同窓会常連20名として、奥方同伴率が50%としても、総勢30名くらいなら、それも可能性は高いように思える。今後の同窓会のあり方を示したといえるように考えている。

さりとて古希を遥かに越えての開催は、体力的に困難度が一段と高まることは避けられそうにない。それ故、開催するなら早期にと言うのもまた避けがたい事実であろう。

 「東京組」は来秋、韓国or台湾での開催を検討するようである、来年も飛び入りで参加したいと考えている。

参加者全員海外経験豊富で緊張感は全くなく、マイペースの「ぶらぶら・てくてく上海旅」を楽しんだ。

 追記:
小生は、重症筋無力症(現在まだ疑いの段階)が進行すると、最悪最後の海外旅行になるかもしれないと、思い切って参加。

 両眼複視(物が二重見える)ため片目での歩行(段差が判らず、階段の下りに難渋)を余儀なくされている。

今回は、同伴奥方3名に入れ替わり立代り手を引かれての「上海漫遊」となった。
(友人達であるため多少迷惑な行動も許されることも参加の理由)


萬屋錦之助

2008年10月04日 03時54分45秒 | Weblog

 有名な時代劇俳優の萬屋錦之助(元の名は、中村錦之助)さんを何故本稿に引き合いに出したか、其の訳は次の一文を読んでいただくとお判りいただける。

“重症筋無力症は、小児発症の多い病気であるが、日本国内で本疾病について広く知られる様になったきっかけは、1982年6月に俳優の萬屋錦之介が歌舞伎座での舞台公演中に倒れて入院、その際に本疾病と診断された事であるとされる。

それまでは『怠け病』などの誤解や偏見も珍しくなかった病気であるが、萬屋の入院に関連するテレビ報道(ワイドショー)などによりその症状なども併せて語られた事により、ようやく難病として認知される様になった。

そのため、中年層以上の者に本疾病について説明する場合、事細かに症状を言うよりも

『昔、萬屋錦之介がやった大病』と言った方が早く説明が済んでしまう事も珍しくない。

なお、萬屋は1年半にも及ぶ闘病生活の末、驚異的な回復力を見せてこの疾病を克服、その後も映画やドラマ、舞台への出演を続けた。

重症筋無力症(Myasthenia Gravis; MG)とは、狭義には神経伝達物質であるアセチルコリンの筋肉側における受け皿であるニコチン性アセチルコリン受容体に抗アセチルコリン受容体抗体が結合してアセチルコリンによる神経・筋伝達を阻害するために筋肉の易疲労性や脱力が起こる自己免疫疾患である。

日本では厚生労働省により特定疾患に指定されている難病である。“

小生は、6月に両眼複視(物が二重に見える)が始まり、8月からは、左目のまぶたが半分くらいしか開かなくなったので、8月中頃から9月中頃に掛けて重症筋無力症の疑いで検査を実施したのだが確定診断までには至っていない。

そのため、さらに今月は1週間ほど入院して精密検査をする予定となっている。

 

この写真は、まぶたが半開になった事例の写真。(このようになると同時に、物が二重に見える)

 片目では正常なのだが、両目で見ると二重に見えるのはどうもたちが悪いようで、厄介な病気や重い病気である事が多いようです、ご注意ください。

反対に、片目でも二重に見える場合には、目の病気が多いそうです。

こんな訳で、今後は検査と治療に多くの時間をさかねばならなくなりそうで、しばしば休刊もすることになると思われるので予めお断りしておきます。 (出来るだけ正確に休刊日はお知らせするつもりです)


早朝ダンス

2008年10月03日 07時11分47秒 | Weblog

  
   午前7時の南京東路、出勤の人も見えはじめた

中国の人達にとっての健康法としてよく知られているものに太極拳がある。せっかく訪れたのだからと見物に出かけた。

近くの人民広場で午前6時から7時頃まで、多数の人が太極拳・ラジオ体操風の体操・ウオーキング・ランニングと様々な早朝健康法を楽しんでいた。

帰途、南京東路のビル街で早朝ダンスを見物したのでご紹介する。

大きなビルの玄関は、床がダンスに適し雨よけにも良いのだろう、比較的若い世代が集まりダンスを楽しそうに踊っていた。


         大きなビルの玄関、絶好のダンス場


            年齢的に太極拳より若い人が多い

 
白いズボンに赤い洒落たシャツの男性の相手はスリッパの女性、
このカップルとても上手だった

衣装をそれなりにした人、スリッパを履いた人、ベテラン・それほどでもない人、種々様々な人が楽しんでいた。


遊び方

2008年10月01日 06時35分57秒 | Weblog

 独創性豊かな江戸時代の遊びについて、法政大学の田中優子先生のお話がNHKTVであった。

江戸の人の最高の遊びは、おいらんと遊ぶことだった。吉原では、客が遊女を選ぶのではなくて、遊女が客を選ぶと言う。

初回はおいらんが客の品定めをし、二回目はおしゃべりのみ、三回目にして馴染みになれようやく床入りとなるのだそうである。

吉原での遊びはいわば擬似結婚で、恋の文化なのだと難しい事を言う。従って、美意識に基づく粋な遊び方が必要だと言うのである。

なんとも肩の凝る遊びなのである、こんなことのどこが面白かったのだろうかと不思議でならないのは、小生に粋なるものが備わっていないせいであろう。

それでも、遊女とて結構大変だったようで、馴染みに手紙を出すと言う営業活動はとても大切であった。加えて床上手である事は、人気の源泉だったようである。

これを西鶴の描写を借りると「馴染み客に夢中になる」とおのずから床上手になるようである。

さらに、涙ぐましいのは、[一途な思いを心中立て]して、体に刺青で[oo命]と入れたり、もっと大変になると、「小指を切って」馴染みに誠意(打算抜きの恋)を訴えるなど、あくなき執念とでもいえる事までしたようである。

さらにさらに元禄十五年には「心中大鑑」なるベストセラーなるものもまで刊行され、心中を一躍脚光浴びる行為にまでしたのであった。

さて我はと見れば、ラジオにTVには間違いなく遊んで貰っているのであるが、パソコンはどちらかと言うと遊女と遊んでいるのではなかろうかと思いはじめた。

パソコンと遊ぼうと思うと結構ご機嫌取りが大変なのである、やれアップデート、それバージョンアップと次から次へと面倒を見なくてはならない。

時とすれば、ご機嫌をそこねてああでもないこうでもないと、一生懸命に面倒を見なくてはならないのである。 悪くすれば、この面倒見の時間が馬鹿にならないくらい多くなっているのである。

パソコンと馴染みになる事が実に大変なことで努力が必要なのである。 さりとて、加えて床上手であるはずはなく、涙ぐましいばかりに「一途な思いを心中立て」してくれるわけでもない。

厄介なものと馴染みになってしまったとは思うのだが、おっとどっこいこれがどうゆうわけかやめられないのである。

しょうがないので、ぶつぶつこぼしながら粋でもない遊びを続けなければならないようである。