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司馬遼太郎記念館へ。

2010-02-12 21:14:19 | 本・読書・音楽
司馬遼太郎さんの命日の今日、東大阪市の司馬遼太郎記念館の記念行事「菜の花忌」に行ってきた

近鉄奈良線八戸ノ里駅を降りると駅前から司馬遼太郎記念館までの通りの店や民家の前はプランターに植えられた菜の花がきれいに咲いてその中を記念館まで冬の日を浴びながら散歩ウォーキング

司馬さんが好きだったという菜の花を記念館オープン当時から地域の人が会員組織にして種まきからお世話を続けてきていまでは菜の花を通して会話のある町になっているという



記念館の玄関には鹿児島県の指宿市民から送られてきた菜の花がいっぱい活けられていた、去年も確かそうだった

↑(指宿市民さんから届けられた菜の花)



記念館の廊下にも菜の花がきれいに飾られ
雑木林風の庭にある司馬さんの書斎の前にも咲き揃っていた



(書斎、椅子、机、執筆中のそのままが残されている)

記念館のホールは立ち見まで出るほどの盛況だったが
幸いにも座席を確保することができてゆっくりと話を聞くことができた

「菜の花忌」のメインは館長の「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」などにまつわる記念トーク
エピソードを中心とした話でとてもわかりやすく興味深い話でメモがノート3ページになった

今年は竜馬伝ですっかり「竜馬ブーム」になっているが坂本竜馬を本格的に取り上げたのは司馬さんが初めてとのことそれまでの坂本竜馬は「りゅうま」といわれ「りょうま」とは
言われていなかったらしい、確か自分も「りゅうま」と言っていたと記憶している
竜馬を作品として書き始めたのはたまたま土佐出身の後輩記者からの話で調べていくうちに竜馬の大きさに気付いてことからだそうだ

昨年暮れから始まった「坂の上の雲」について意外な話があった
司馬さんは「坂の上の雲」の映像化だけは反対し続けたらしい
司馬さんが亡くなってからも様々な方面から映像化の話があったが断り続けて、この作品が放映されるまで10年の歳月がかったという
活字を映像にすることで微妙なニュアンスが伝わらなくて戦争を美化するような伝わり方をされてはいけないということだったらしい
NHKで放映が決まってからも一年半も打ち合わせを続けてきたそうだ

帰り際にきちんと包装された「一輪の菜の花」をいただいた
花供養碑に寄りベンチに腰をおろしてしばらく菜の花を楽しんだ


記念館前で案内していた年輩の男性がシャッターを押しましょうと声をかけてくれた
記念館の中は女性、外は男性の年輩のボランティアの皆さんがいつものことだがとても親切に挨拶をしてくれて気持がいい



帰り道は少し距離のある近鉄河内小坂駅まで歩いた
こちらも家々の軒先や商店街まで菜の花がずっと続いていた


中小企業の町で知られる東大阪はハードの町と思われがちだが菜の花のごとく人間的なやさしさが漂うハートフルな町でもある


駅前のミスドによってドーナツとコーヒーで一休み


いただいた菜の花をしっかり持って近鉄、地下鉄を乗り継ぎ仕事場へ
戻ってきてすぐ花瓶に活けたらそれだけで部屋が春になった


記念館を訪れるたびに司馬さんの本を買ってくるのだが今日は人が多すぎて買うことをやめたので本箱の中にある司馬さんの作品から「人間というもの」を久しぶりに読み直してみることにした、また、司馬遼太郎記念館友の会に入会することに決めた



今日もとても気分のいい一日だった
これもウオーキングできたえたフットワークのおかげ、外に出よう、何かに出会おう!といつも言い聞かせているが結局は自分に出会っているのだろう

歩いた距離はわずかだったが心はたくさん歩いた。