昭和38年4月1日
いまから47年前の今日
社会人としてスタートした日だ
快晴、西宮の夙川沿いにあった寮から阪急電車で
大阪に向かう車窓から眺めた満開のさくらの
情景がいまでもわすれられない
確かな人数は覚えていないが150人ほどだったか
新入行員を代表して答辞を述べている自分の姿
兄が新調してくれたスーツを着ている

古びたコピーしか残っていないが
忘れられない47年前の22歳の自分を見ると
無性になつかしい
社会人としてはいいスタートをしたが
一年後に体を壊したのが悪運のはじまり
ころがり落ちるように沈んでいった
思い出したくもない
消すことができるものなら
人生から消したい時代もあったが
ここまで生きてきて
ここまで生かしてもらってきて
やっと過去の写真をみる気になった
どん底を味わったからこそ
自分ではい上がって行くことを身につけた
若い人たちに語れるものもある
あせるな、くじけるな
じっくり力をつけろ
自分の名前で生きるんだ!
それを今年も教えてやりたい。
いまから47年前の今日
社会人としてスタートした日だ
快晴、西宮の夙川沿いにあった寮から阪急電車で
大阪に向かう車窓から眺めた満開のさくらの
情景がいまでもわすれられない
確かな人数は覚えていないが150人ほどだったか
新入行員を代表して答辞を述べている自分の姿
兄が新調してくれたスーツを着ている

古びたコピーしか残っていないが
忘れられない47年前の22歳の自分を見ると
無性になつかしい
社会人としてはいいスタートをしたが
一年後に体を壊したのが悪運のはじまり
ころがり落ちるように沈んでいった
思い出したくもない
消すことができるものなら
人生から消したい時代もあったが
ここまで生きてきて
ここまで生かしてもらってきて
やっと過去の写真をみる気になった
どん底を味わったからこそ
自分ではい上がって行くことを身につけた
若い人たちに語れるものもある
あせるな、くじけるな
じっくり力をつけろ
自分の名前で生きるんだ!
それを今年も教えてやりたい。